第4話 いつまでもあなたと

 冷たい空気が入ったかと思うと、誰かの温もりが身体に触れるのを感じる。アルコールの抜けきらない頭が痛み、わたしは目を覚ました。

 ここ何日か、ユカとはギクシャクした関係が続いていた。別に喧嘩をしたとかそういうわけではないけれど、以前わたしから誘ったのに断られて以来、わたしからもユカからも、相手を誘うような事はしていなかった。別に期待していたわけじゃないけれど、わたしたちにはもっと会話が必要な気がして。


 気づけば、独占していたはずのセミダブルベッドには、いつの間にかユカが潜り込んでいて、静かにわたしの肌着を掴んでいる。

 この人は本当にどうしようもない。わたしの背中に顔を埋めるユカに、そう言ってやりたかった。


「髪、ちゃんと乾かしたの?」

「…………」

「……風邪ひくよ?」

「……うん」


 曖昧な返事を返すユカ。わたしは背中を向けたままでいたが、ユカはやがて耳元に手をかけてきたかと思うと、わたしの乱れた髪に指を入れた。不意の事態に、わたしは驚いた猫のように逆毛立ってしまった。


「んっ……やめてっ……」

「……なんで?」


 まるでわたしの言葉なんて耳に入っていないかのように、彼女はわたしの中に入ってこようとする。指先が首筋を這い、こそばゆい感覚に身体が蝕まれていく。

 やがて彼女の指先が唇に触れ、わたしは小さくを声を上げてしまう。


「あっ……」


 細くしなやかな指が向歯に当たり、酒で乾いた舌を濡らしていく。いつしか胸の高鳴りも、自分でもわかるくらいに激しくなっていた。

 けれども彼女の空いていた手は、それ以上を求めてわたしを攻め立てようとした。もう我慢できなかった。


「痛ッ……!」


 気づけばわたしはユカの指先を噛んでいた。思い切りではないけれど、決して弱くはない勢いで。


「あっ……」


 わたしはすぐにユカのほうを振り向いていた。

 乱れた吐息に混じって鉄の味がする罪悪感が口内へと広がった。ユカの瞳にわたしの上下する肩が映る。

 ユカは驚いて困惑しているかな、痛くて涙目になっているかな。そんな想像を思い浮かべていたわたしの気持ちとは裏腹に。


「…………」


 ユカは驚いてもいなければ、泣いてもいなかった。ただ遠くを臨むような、そんな目でわたしを見つめていた。

 恐かった。何を考えているのか全くわからなくて。

 わたしを抱きたいだけないのだろうか。


「ねぇ、あおちゃん」

「……やめて」

「まだ何も言ってないじゃない」

「わかるから」

「……そう」


 突き放すような言葉なんて意に介さないように、ユカはわたしを強引に押し倒す。

 ユカと再び目が合った。

 冬だというのに下着しか身に着けていない彼女は、綺麗だったけれど、どこか頼りなくて、壊れてしまいそうな弱さを纏っていた。


「あの夜、わたしを傷つけた男と同じ事をするの?」

「ふふっ。皮肉が上手だね、あおちゃん」

「冗談ならやめてよっ……!」

「冗談なんかじゃない」


 ユカはわたしの目を見ていたけれど、果たしてその瞳の中にわたしは居たのだろうか。言葉と身体が合っていないような、そんな感覚を覚えた。


「お願い……好きにさせて」

「……勝手だよっ!!」

「愛してるから」

「……!?」


 強引に唇と唇が触れ合い、呼吸が止まる。

 ほんの数秒の間だったが、わたしは身体の動きを止め、彼女を見た。彼女の瞳から、小さな水滴が伝っていた。


 わたしは唇を離すと、ユカの頬を思い切り叩いた。初めてだ、彼女に手を上げたのは。


「はぁ……はぁ……」

「…………」


 ユカはキョトンとした表情で叩かれた頬を抑えながら、ベッドの上で尻餅をついていた。わたしは乱れた下着を直すと、立ち上がって彼女に向き直った。


「……わたし、サカってるだけの子供じゃないよ」

「違うの葵……」

「違わないっ!! ユカは誰でもいいんだよ、男でも女でもさ!!」

「そんなわけないでしょ!!」

「じゃあなんで、雪が降るってわかってたのに早く帰ってこなかったの!! どうしてコートからいつもと違う香水の匂いがするの!! ねぇどうして……!?」


 気づけば、わたしの瞳もまた涙で溢れていた。

 どうして泣いているんだろう。悔しいとか悲しいとか、そういう気持ちじゃない。彼女が男と遊んでいることなんて前から薄々感じていたことなのに。。


「私だって寂しい時くらいあるよ……でも」

「でも何? わたしは特別って言いたいの? 都合の良い時だけわたしを抱きたいの間違いじゃなくて!? あの日わたしを慰めてくれたのもそういう目的だったわけ?」

「そんなわけないじゃないっ!!!」

「…………」


 ユカも流石に怒りの感情を顕にしていた。

 ユカの言いたいこともわかってる。彼女が傷つきやすくて、甘えたいってことも。

 それでもわたしはユカが許せなかった。こんなに軽い”愛してる”なんて言葉を、わたしは聞きたかったわけじゃない。


「ごめん、わたし出ていくね。もうここに来るのもやめるから」


 こんなことを言いたいわけじゃないのに。


「待って……!! 違うの!!」


 ベッドから遠ざかるわたしに、ユカの悲痛な声が刺さる。

 怒りの感情はとっくに引いていたけれど、わたしは抜いた剣をどこに戻せば良いのか分からなかった。


「ありがとね」


 泣きじゃくって真っ赤になった目で、わたしはユカに別れを告げた。

 涙がいっぱいで、ユカの綺麗な顔が歪んでしまってよく見えないけれど、わたしは精一杯笑顔を作ろうと努力した。それはきっととてもひどい顔で。

 

「行かないで……!! 葵っ!!」


 わたしは自分勝手で本当にどうしようもない。ユカの大切な人になりたいと思い続けて、でも今までの居心地の良い関係も壊したくはないと願っている。

 わたしがもっと大人だったら、ユカを受け容れられたのだろうか。

 でもこうして身体だけ、こんな形で求められるのは絶対に違う。

 わたしが求めていたのは、こんな、こんな薄っぺらい関係じゃない。


 ユカの手を振りほどき、ダッフルコートを羽織ったわたしは、足早に部屋を後にした。

 細雪が降る中、裸足のまま履いてしまったスニーカーはいつもより重くて、まるで彼女を傷つけた言葉の代償を引きずっているようだった。


 通路の突き当りにあるエレベーターの前まで来ると同時に、わたしの歩みも止まった。

 気づけばふと、わたしは後ろを振り返っていた。

 あんなにキツイ言葉で彼女を拒絶したのに。もしかしたらと、あり得ない光景を思い浮かべてしまった。


 しばらくして到着音が鳴り響いた。

 ゆっくりと前を向くわたしの瞳に、大粒の涙が浮んだ。


「……わたしってホントに馬鹿」


 自己嫌悪の重みと一緒に沈んでいくエレベーターの中で、小さなわたしは一人、静かに嗚咽を漏らした。

 





 


 



 


  




 

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