EP.2 透明になった青年

EP.2-1 無色透明

 この世界が大きな舞台なのだとしたら、自分自身はその舞台で踊らされている役者に過ぎない。見えない誰かが主役で、その主役とやらを引き立てるのが自分の役目。決して目立つことなく、自己を主張することなく、只踊る。そこに意味など無い。


 気持ちが沈んだ時、何かに嫌気がさした時、貴方もそんな風に考えたことは無いだろうか。自分に嫌気がさす。何となく自分が嫌い。そうやって、舞台から距離を置いて降板する。それこそが、楽な生き方なのだと、勝手に決め付けて生きる。そんな考えを彼もまた常時胸に抱いていた。


「・・・あー・・・、一限の時間過ぎとるやん・・・。まぁ、ええわ・・・」


 カップ麺の容器、飲みかけのペットボトル、握り潰されたビール缶。何ヶ月も掃除をしていない事が見て分かるこの部屋に、一人の青年は暮らしていた。


「何回休んだっけな・・・。何か・・・、もうどうでもええな・・・」


 地元を出て、首都圏の大学に進学し、念願だった一人暮らしを始めた。しかし、現実は彼が思い描いていた様な、煌びやかなものではなかった。一クラス30人規模に慣れていた彼にとって、学科に1000人という桁違いの人の多さは、自分の居場所を見失うには充分な数だった。それぞれが小さなグループを形成し、そんな小さな仲間内で行動をする。自らが行動し、仲間をつくる事をしてこなかった彼にとって、何もしないという行為は自分の存在を埋もれさせる事に等しかったのだ。


「今日もサボるか・・・」


 彼女はおろか、友人と言える類の人はいない彼にとって、日々の生活は無色透明。酷くつまらないものになっていた。






 翌日、彼は昼過ぎから学校に向かった。昨日は一日中寝ていたせいか、この日は昼には目が冴えてしまったのだ。


「では、5人班で実験を行ってください。実験の結果は全て用紙に記入するように」


 実験室に集まった学生は直ぐ様5人班をつくる。そんな中、誰とも関わろうとしない彼は必然的に溢れてしまった。しかも、彼一人を除いて綺麗に5人班が出来上がってしまった。


「俺、いなくても変わんないんだな・・・」


 居ても居なくても変わらない存在。自分がそんなものになったのだと改めて実感すると、彼は誰にも気づかれず、実験室を後にした。


 一人誰も居ないキャンパスを歩く。それが彼にとって不思議と心地好かった。自分だけが存在している様な、ここに自分が居るという事を、自分だけが存在する事で感じることが出来たからだ。邪魔な者がいない。自分を消し去る者がいない。そんな世界に入り浸っていたが、視界の隅に他学部の教授が映り込むと、彼は瞬時に自分の存在を見失った。






「俺・・・何してんやろ・・・」


 何を夢見て上京したのか。何がしたくて今ここにいるのか。自分を自分たらしめるはずのものが、気が付くと自分の手から消え去っていた。見えなくなってしまっていた。


「死ぬのは嫌やな、痛そうやもんな。ほな、消えてしまいたいわ。どうせ、俺が消えたところで誰も分からんやろ。ははっ・・・、悲しいな・・・自分で言うてて悲しくなるわ・・・」


 自宅にたどり着いた彼は、ベッドに身体を沈めると、歪む天井に弱音をぶつけた。






「ん・・・、何や・・・寝落ちしたんか・・・」


 薄いレースのカーテンから差し込む日差しに目を細めながらスマホを探す。


「あれ・・・、どこやったっけな・・・」


 シャワーも浴びず、飯も食わず、着替えもせず寝たせいか、頭が働かない。まるで二日酔いの様に頭がくらくらする。


「忘れてきたんかな・・・、てか・・・、俺の手・・・どこや・・・・・・?」


 枕元を探っているはずの右手が見えない。目元のピントはしっかりと合っている。それなのに、そこにあるはずの自分の手が見えない。


「何でや・・・?」


 夢でも見てるのか。そう思った彼はゆっくりと上体を起こし、自分の身体を眺めるが、そこにあるはずのものが何一つとして見えない。


「嘘やろ・・・。ちょっ待て!そんなこったない!」


 自身の身に起こっている事が飲み込めず、慌てて姿見の前に立つ。しかし、やはりそこには“自分の姿”は映ってはいなかった。


「消えてる・・・」






 舞台が暗転した時、小道具やセットを移動させる役割を担う人がいる。その人達は「黒子」と呼ばれ、全身黒の衣装で、顔までかっちりと隠し、何者でもない「黒子」になっている。明かりのない、暗闇と化した舞台で動く黒子は、客席からはその存在が見えないようになっている。見えてはいけない、そんな存在なのだ。舞台の主役はあくまでも、主人公。それを支える周りの役者達。そして、そんな舞台を作り上げる黒子。彼等は闇となり、居ない存在として意味を成している。そんな彼等も、明かりの元では存在を明らかにされてしまう。そうなれば、「黒子」として意味を成さない。闇の中だからこそ、彼等は「黒子」であれる。存在できる場所があるのだ。


 透明とは、実に不思議な仕組みをしている。ありとあらゆる光を屈折させず、透過させることで、そこに存在しながら“見えない”ものとして扱われる。存在はしているのだ。ただ、見えなければ居ないのも当然。存在感とは、見える事で放つことが出来る。


 そんな彼は主役にはなれない。スポットライトを浴びる事が出来ないからだ。なら、脇役はどうだ。これもライトを浴びることが出来ない。透明とは、あらゆる光を透過するのだ。なら、闇の中で存在を成す「黒子」ならどうだ。只仕事をこなす黒子になれたとしても、「黒子」にはなれだろう。


 そう、彼は舞台から強制的に降ろされたのだ。見えない誰かのせいかもしれない。自分自身のせいかもしれない。どっちにせよ、彼はこの大きな舞台で踊らされることすら出来なくなってしまった。


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