死神の通告(陽月さん)

 隣家の目覚ましの尖った音に起こされる朝。かわいい通い妻の肩トントンだったら目覚めの良かったはずなのに、この歳になっても俺にゃ通い妻はおろか彼女すらいやしねぇ。こんだけ生きてきたんだ、理不尽極まりねえだろ。

 白髪の侵食甚だしい後頭部をボリボリ掻き毟りながら、三日も洗ってないコップに水を2Lペットボトルのミネラルウォーターを汲み、今月最後の食パンは半分に分けると、もう焼かずに生で食す。クソ不味い。

 手回し発電付きラジオから流れるニュースに耳を傾けると、いつものように天気予報と世界人口速報が終わった後に報じられたのは、「全国一斉突然死」である。なんでも最近、一日に一回、全くの同時刻に偶然とは思えない人数がばたりと倒れていく不可解な事件が起きているらしい。

 ま、俺にゃ関係ないけどな。


 家を出て歩く。上下は一週間ほど洗っていないヨレヨレのジャージで、靴は踵が完全に死んだスニーカー、まばらな髭は、伸びきってないしまあ良かろう。そんな俺を見て昼下がりの奥様は「浮浪者よ、あの人」なんて後ろ指を指す。言い返す言葉のないのがまた腹立たしい。いいんだ、俺にゃ鳩がいる。90円しか入っていない小銭入れを開け、ひっそりとした公園の裏にある赤錆塗れで鉄屑同然の10円自販機からカビの生えたワンカップを取り出す。ベンチに大きく腰掛け、カップをちびちび啜り、持ってきた残りのパン半分を近くの鳩たちにばら撒く。獲物の匂いを嗅ぎつけた畜生はわらわらと集まってきて、もっとくれもっとくれと俺の脚にすり寄ってくる。俺の心から望んでたモノが満たされていく実感があって、堪んねぇ。

 パンはあんまり大きくしちゃいけねぇんだ。細かく細かく千切れば長い間楽しめる。


 昼の光が真上に高く上がったころに、黒づくめの男が一人、俺の目の前に立った。安いアルコールで酔っているのもあって、なんとなく不愉快だ。


「あぁ?なんか用か、あんた?」


「私は死神です。あなたの死期を知らせにきました。」


「死期?ハハハ、なに言ってんだ。馬鹿じゃねぇの?なんだよそのカッコ。ダッセ。まさか本当に自分が死神だ、なんて思い込んでんじゃねぇだろな?」


 俺は無性に腹が立って罵り散らしたのだが、いつまで経ってもコイツは涼しい顔してやがる。そうすると、ますますムカついてくるのと同時に、言い知れぬ不安感を覚えた。

 俺の罵倒がひと段落すると、黒い男は俺の顔を覗き込んだ。鼻より下はマスクをしていたから素顔が見えないが、その赤い眼は俺の魂を射竦めるがごとく睨んだ。彼はこう言った。


「あなたの寿命は残り12時間です。」


 は?????


 脳内で疑問符が止めどなく増殖する。なに言ってんだコイツ?

 あと半日?

 なんだそれ?

 どうせ口から出まかせだろ?

 どうしてこんなコスプレ野郎の言葉を信用する?

 構うことないんじゃないか?

 じゃあなぜ俺は震えてるんだ?

 なぜこんなに胸がざわつくんだ?

 頭ではなんでもないと信じようとするが、俺は取り乱してしまっていた。


 昼の日差しが目に射し込んで、意識を取り戻す。

 夢?あるいは幻覚……?

 身体は過呼吸気味で、口の渇きが酷い。吐き気もする。力を入れようとすると、全身のあなという孔から体液が流れ出るようないやな感覚を覚えて動けない。手足はびりびりとして、目のピント調節ができないので今の自分の周りの状況すら覚束ない。

 酔ったのか?酔っているな。こんな、ほとんど水みたいな酒で?

 わからないことが多すぎて脳がパンクしそうだ。

 俺はしばらく体も動かせず、そこで呆けていた。


 日も暮れると、くの字に折れ曲がった柱のてっぺんからひび割れた大昔の民謡が響く。酔いも醒めたようで、立ちあがれるくらいにはなっていた。俺の出した結論は、だ。すなわち思考停止だ。あんなの考えるだけ無駄なもんだ。

 まだふらつく足で薄暗闇を歩いていると、挙動不審な男が前からやってきた。しきりに安い腕時計を見つめ、そわそわしている。誰かと待ち合わせだろうか、などと考えていると、男は普通は誰も入ろうとしない路地裏に入っていった。あっちは俺の家がある方だ。もしやさっきの死神モドキは集団ストーカー組織の人間で、俺を脅して面白がって、その後の様子をこの男に監視させるつもりか。疑惑のもと、跡をつけていたが、その男は俺とは別の筋に入った。なんだ、アイツもこの辺に住んでるだけか、と安心した矢先、突如痙攣を起こした彼の目が白くなって、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。まるで糸の切れたマリオネットのごとく倒れた彼の挙動を見て、真っ先に俺の脳裏に浮かんだのは、助けを呼ぶことではなく先ほどの死神のことであった。脳内であの声がこだまする。


「あなたの寿命は残り12時間です。」


 俺はあたりを見回した。しかし人はいない。やはり彼の突然死は全くもって不自然なもので、死神の件もあって俺はいっとう不安に駆られる。そして、その場から全力で走り去った。



 歩行は自動的なものになっていた。

 すなわち俺はまた頭の中の整理に必死だったのだ。目の前の景色はまるで車窓から見たものように色と単純な形だけになって意識に入っては流れ出ていき、記憶に残らない。薄汚い路地裏に転がっているものと言えば、いまや大した意味を持たないモノばかりだ。そして、今その無意味なモノの一つが自分であると想像すると、ひどく悲しくなった。

 そうか。あの死神はきっと俺の無意識下から出てきた象徴の一つに過ぎないのだ。社会から見放され、毎日を無意味に過ごしている自分の無意識のうちにむくむく育った退廃的思想が具体的な体を持って白昼夢に現前したと考えるのが妥当だ。

 つまり、あの死神はである可能性が高い。

 結局最初の結論に戻ってきたが、それが一番現実的だろう。


 家で0時の時報を待つ。死神とやらが示したのは、ちょうどこのくらいの時刻だろう。俺は多少貧乏ゆすりをしながら、ラジオが鳴るのを待っている。


 ピッ、ピッ、ポーン


 そしてその音は予定通りに俺の耳に聞こえた。


 よかった!全ては偽物で、やはり何も気に病む必要なんてなかったのだ!


 だはははは。


 俺は下品な笑い声を上げた。


 その瞬間、頭が沸騰したかのように熱くなり、部屋の中のものが全部歪んだり崩れたり大きくなったり飛び回ったりして、ひどく喧しい音がごちゃごちゃと響いて、吐き気と便意と窒息とその他色々の感覚が混雑して、最後は無音状態の暗闇の中に俺(僕?私?あなた?どなた?)が放り出される……。


 🕴🕴🕴🕴🕴🕴🕴🕴🕴🕴


「本日の執行、予定通り完了しました。」


 高級官僚である彼の仕事は、もっぱら人口の調整であった。いよいよ貧富の差が拡大し、政府からの生活保護は不正受給を減らすため現物支給に代替された今日、止まらない人口増加によって世界的な食料難が発生し、やむなく秘密裏に「間引き政策」が取られることとなった。長期間職を持っていない人間から数を減らすことになったのだが、その方法が数十年前の新生児から国民の管理のため導入された「脳内チップ」に「死神」のデータを送信することであり、これによってチップはたちまち時限爆弾へと変化する。


「……しかし、これはあくまで秘密裏の政策であるから、報道規制はしいているもののメディアに取り上げられないようにしないといけません。ところが、今日0時に亡くなった男のうち一人を監視していてわかったことですが、男のよく聞くローカルなラジオ局でそのニュースが報じられたようなので、直ちに調査し、その局に連絡を取る必要があります。また闇ルートで、規制されているはずの酒類が朽ち果てた格安自動販売機などで流通しているということも発覚いたしました。さらなる調査をお願いします。」


 男はメールを送信すると、休む暇もなく、今度は名簿帳を開き明日のターゲットを探し始めた。




 原作(陽月さん)


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885330674/episodes/1177354054885330681

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短編リライトの会参加作品 馬田ふらい @marghery

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