狂恋歌

玉鬘 えな

狂 恋 歌



 たとえば孔雀が、螺鈿らでんの扇子のごときその尾羽を拡げるように。

 たとえば蜘蛛が、朝露きらめく芙蓉ふようの線帯(レース)を形作るように。

 衝動と行動が相伴って幾ばくかの神秘を産み出すことが道理なのだとしたら。

「こんなこと……間違っている」

 まだ覚めやらぬ暁天になり・・を潜めた草庵の中、肌に滑らかに注ぐしとねさえももどかしく、触れ合う肩を震わせた君があえかにこぼす。

 何故? と、僕は君を掻き抱きつつ覆いながら問う。

「何故だなどと……貴方にも、おわかりになるでしょう?」

 さて……君が、父上の寵を一身ひとえに受ける身だからだろうか。

「……おかみはご療養中であらせられます。私は隔離と祈祷のためにこの一時期だけ、里下がりを致して参りました」

 そうだね。だからこそ、こうして君のもとへ忍んでくることが可能になった。

 普段の君は金屋、玉楼の奥深く、艶やかによそおい錦と金歩揺きんほように飾られて厳重に囲い籠まれている。

 後宮の三千の佳麗に目もくれず、父は夜も朝も、君に夢中だからね。

「……かような仕打ち、お怨みいたします」

 君の恨歌を甘んじて受けることでこの愉悦ゆえつが手に入るなら、僕はいくらでもそれを享受しよう。

「もうお帰りになってくださいませ。そしてどうか、ここへは二度と、おいでになりませぬよう……しもおいでになられても、私はお逢いいたしませぬ」

 何故? と僕は君の耳朶みみたぶに唇を寄せてまた問いかける。

「罪深いことです。これは、人の道にもとる行いです」

 罪深いこと、か。――だけどたとえば、君と僕の逢瀬が世の道理を乱しているというのなら、父と僕はどう違うの?

 え? と君は艶かしくも白い首をもたげ、熱に潤む双眸で僕を見る。

 僕はその温度に穿たれ君のこめかみを噛むように撫で上げて、その雲鬢うんびんを指に絡ませた。

 生を育まない性は不必要で理に反する。もはや子を成すこともない老獪の王の欲の望むまま、子を成さない愛妾の身で体を捧げ続ける君には一体どんな価値があるというの?

「そういうことでは……ありません」

 しなる蛇のように肢体を捩って僕の手から逃れた君が面伏せた。黒い髪がしとどに散って頬に肩に腕に降る。

 僕はその下の、花貌を拝みたいとただひとえに焦れて請う。

「天なるお上を謀ることこそが、背徳行為だということです」

 ……そうかな。

 顔を見せろ、その瞳を僕に注げと念じながら薄衣の下へと手を這わせ、あらわになった細腰をつうと辿る。ぴくりと脈打つ君の血潮が指先にいとおしく伝い漏れ、罹患するように僕の四肢が痺れて酔う。

 天にも等しいお上を裏切るという、それよりも前に、僕ら・・は天上の神々も生も性さえも、冒涜しているのではないのだろうか。君と父上だって、そうであろう?

 理を曲げて宴は続く。現世はまるで掴むことのできない夢想のようだ。

「……お上はいやしい私を拾い上げ、一族もろとも過分なまでに善くしてくださいました。私はただ、そのお心に報いたいだけ」

 美談だね、と僕は口許を歪めて嗤った。

 なるほど君の忠愛とやらは理解した。父もさぞご充足されよう。

「ですから……」

 ――ところで、夜毎に君がはべる父の宴では、かの豪奢な杯に母の時と同じ・・・・・・酒をいでいるのかい?

 僕の科白せりふを聞くや否や、さっと、君が蒼白い顔を仰け反らせた。

 ようやく此方こちらを見たな、と再びの悦に極まれ、僕の背筋がぞくりと泡立つ。

 君の両眼に僕が映る。

 そうして僕だけを映し続けてこのまま時が静止すればいとすら、こいねがった。

 ――君が初めて、母が催す宴に現れた日のことを、今でも鮮烈に覚えているよ。

 君の舞はまるで瑞雲のよう。その微笑みはまるで牡丹のよう。あきらかなるひとみひかりなる。えも言われぬ甘美なるかおり

 君はあの場にいた総ての五感を惹き付け、あやしくもしたたかに見る者を惑わせていた。

 あの日から、僕の心は君に釘付けだった。同様に、父の心もね。

 それからの君は、宮中の宴に欠かせない存在となった。ほどなくして母が急な病を発して・・・・・・・たおれ、君は後宮の中央に大輪の花のごとく咲き開いた。――あたかも、それが当然の筋道であるかのように。

 ……古い戯曲のような演出だな。所詮は何もかも嘘なんだ。嘘は、泡沫うたかたの夢のようなものだろう。

「……何故……?」

 わかるのさ。君のことなら何でも。

 どこか悄然として戦慄く唇に引き寄せられるように吸い付いた。恍惚と蜜を貪る虫螻むしけらのように、ちうちうといやらしげな微音をたて幾度も舌を交わらせては、その赤く熟れた肉にきつく歯を立てる。重なりの微かな隙間から、ああ、と漏れる君の吐息は果たして悲嘆か嬌声か。

 そうだろう?

 父も僕も君も、つきつめて何ものも産まないのだ。

 そこに残るのは泡沫うたかたの、ほんの小さな想いの残骸ひとかけらだけ。

 耳障りの良い詩歌では決して吟じ得まい。

 それは条理にあらず。道徳にあらず。――冀望きぼうにあらず。

 六合に在り縷々るるとして天に昇ることもあたわず。

 君はまたしても、ああ、と悲鳴にも似た吐息を落とす。

「恐ろしいこと……」

 ――なに、案ずることはない。

 顔を覆い尽くした雪枝のごとき指先を断として剥ぎ取り、震撼する瞳を敢然と見据えて僕は笑う。

 そう。たとえ君の身体から放たれる精が僕と同じ種のものだったとしても。

 赤血と白濁にまみれてその雄々しい胸を悶えさせていたとしても。

 決して君を一人にはするまい。

 道に背を向けて堕ちていく時も、比翼ひよく織り成して傍らにいると誓おう。

 煉獄の淵までも、常に君と共にあらんことを。


 ――だから今は、いっそ無心にこの泡沫の夢に溺れ尽くしていればいい。


 そう言って僕は、またしても打ち震えている君の丹花の蜜を貪った。






                         了

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