第2話 俺のデスクの椅子がよく分からない技術で作られている件

 ああ、間違いない。

 もちろん、目が覚めるとここはオフィスだ。

 そろそろこの展開にも慣れてきた。

 どういう仕組みかはわからん。だが明らかに俺の会社はおかしい。

 もしかすると俺は家に帰っていないのでは? とさえ思えてくる。


 昔から気分屋な俺は、少しでも気分が乗らない日は、理由つけてはちょいちょい仕事をズル休みしていた過去がある。

 そして雨が降る朝は、当たり前のように遅刻する遅刻魔でもある。

 だが俺はこの会社で働くようになって、そんな『憂鬱な通勤』をした記憶が、未だかつて一度もないのだ。

 着替えをした記憶も、歯を磨いた記憶も、顔を洗った記憶も、ましてや朝食を取った記憶などあるはずない。

 遅刻もズル休みも許されないこの労働環境は、俺にとって良薬なのかもしれない。

 しかし、気味は悪い。

 断片的な記憶。握らされた封筒の二万円。そして気を失う前の強い光。

 この会社には、絶対何かある――。



 今日の俺に任された仕事は、『ドラゴンクエストⅡ』だ。

 発売当初は一世風靡したこの王道RPGを知らない日本人は、かなり少ないのではないだろうか。

 しかも今回使用するハードウェアは、もちろん復刻版やリメイク版でもない純正のファミコン本体。

 このゲームには、最近のゲームと違いセーブ機能が無い。

 ゲーム内の教会の神父から聞いた、『ふっかつのじゅもん』と呼ばれるランダムな五十二文字を入力しないと、ゲームを再開できない。


 そして今回の業務内容、それはただひたすらその『ふっかつのじゅもん』を適当に入力し、高レベルパーティーを引き当てるという、果てのない苦行だった。

 確かに理論上、最強装備で更にパーティー全員LVマックスに到達している『ふっかつのじゅもん』は存在するはずだ。

 しかし、何故今?

 俺は疑問でしかなかった。

 初めは全て『あ』の文字で埋め尽くし、一文字ずつ『あいうえお順』で文字を変えて決定する。

 大体は『じゅもんがまちがってます』と表示されるのだが、仮に『ふっかつのじゅもん』が通った場合、再開されたパーティーの状況をデータベースにまとめる。

 クソつまらない仕事だ。そして終わりが見えない。

 ふっかつのじゅもんの入力文字数は五十二文字に対し、入力可能な文字種は濁点と半濁点の文字を含み六十四文字。

 その組み合わせは、天文学的数値になる。

 しかし金の為――これは仕事だ。やらねばならない。


 俺はカチャカチャとハードを準備し、電源を入れる。

 カセットが上手く刺さっていないのか、画面がバグりイラついた。

 普段ならこんな一つの出来事に懐かしむのだろうが、仕事となると別だ。

 そしてそんな俺の様子を見ていた隣の席の小太りのベレー帽が、お決まり文句を渋い声色を使って俺に言う。


「ヘイボーイ! いつものコーヒーはどうだい?」

 小太りのベレー帽はテカテカした顔で、ウィンクして見せる。

 その表情に俺は、妙に殺意を覚えた。

 きっとここが職場で無ければ、俺は彼をミンチにしていただろう。

 俺はベレー帽に返事すること無く、画面に集中し作業を進めた。



 長時間、俺は黙々と作業を行っていた。

 しかし俺のデスクに、何か違和感のようなものを感じた。

 その違和感の正体をなかなか掴めないまま、昼休みが過ぎ、午後もそのまま作業を続けた。

 だが俺はその違和感の正体に勘づいた。

 俺のデスクの椅子が、妙に快適・・なのだ。

 値段がとても高価な椅子なのだろうか、見た目は自宅で使っているOAチェアと何ら変わらないのだが……不思議と体にしっくりくる。

 こんな地味な作業をずっと繰り返していると、腰や尻、首などが痛くなってもおかしくないのだが――。


 そして更に俺は気づく。

 まさかと思い何度も触って確認したが、間違いない。

 午前の業務を行っていた時には、確かに無かった『肘掛け』が俺の椅子に生えているのだ。

 しかし今日の俺は、あまり離席をしていない。

 節約のため、昼食も抜いていた。

 午後に入ってから一度だけトイレに立ったが、その時に誰かがそっと取り付けてくれたのだろうか。

 いや、それも考えにくい。

 もしもそうなら、一声あってもいいはずだ。

 俺はモヤモヤとその謎について考えていた。


 しかし、次の瞬間それは起こった――。


 俺の腰かけている椅子の高さが、勝手に変わりはじめたのだ。

 俺の身体はそのまま、オフィスの床に沈み込むんじゃないかという高さまで下がったところで椅子は動きを止める。

 俺は何が起こったのか理解できず、しばらく茫然とした。

 この異常事態に俺はキョロキョロと周りを見回すが、誰も俺を見ようとしない。

 オフィスの人間はみな、不自然なほど静かに業務に集中していた。


 なんなんだ、これは――。


 椅子は荒ぶり、再び動き出す。

 床と接地しているキャスター部分が小さく音を立てて、軟体生物のように伸び始める。

 その伸びたキャスター部分は俺の足に絡みつき、まるでフットレストみたいに俺の足を持ち上げた。

 背もたれは横に広がり始め、俺の首や背中を包み込む。

 俺は何が何だかわからず、なされるがままだった――。

 よくわからないまま、介護ベッドに横たわる寝たきりの老人のように、俺は椅子に身を任せる。


 しばらくして変形が終わったのか、椅子は動かなくなった。

 いやもはやこれは、椅子ではなくベッドだ。

 俺の足はデスクの下へ伸ばす形で投げ出され、だがしかしデスクに手は届く。

 なんと寝たままにして、業務ができるのだ――。


 快適だ。実に快適だ。

 だがこの椅子の技術を、俺は未だかつて見たことが無い。

 俺はこのよく分からない椅子に恐怖を感じ始める。


 するとまた椅子は、動き始めた――。


 俺は焦ってしまい、小さく「えっ」と声を出してしまう。


 瞬く間に形を変える椅子。

 今度はどうなってしまうのか、恐怖にビクつく俺の身体。

 しかしそれは何の変哲もない、まさしく元の椅子の状態。


 もう何が何だかわからず、俺は椅子にもたれ掛かり頭を抱える。

 絶対おかしい。

 だが目立つ行動したら、きっとまたあの光を浴びる――。

 俺はそう考え、大人しく業務に戻ることを心に決める。


 俺は黙々と業務を続けた。あと一時間で定時刻だ。

 今日こそ俺は、気を失うことなく退社するのだ。


 間もなく定時刻になろうかという瞬間、再びカタカタと俺の椅子が動き出す。

 今度はあっという間に椅子が、俺の身体を包み込む。

 思わずびっくりした俺は椅子から身を起こして逃げようとするが、うねうねと椅子が蠢きうまく立ち上がれない。

 ヘルメットの形に湾曲した椅子の首あてが、すっぽりと俺の頭を覆い隠す。

 視界が遮られた俺は、パニックになって必死に足をバタつかせた。

 だが、覆いかぶさった椅子の中で、放たれるまばゆい光――。


 まじかよ――またか。




 どうやら俺は気を失ったらしい。


 気がつけば俺はまた、二万円の入った封筒を握り締めて自宅のベッドで眠っていた。

 どうやって自宅に帰ったのか、もちろん思い出すことは出来ない。

 だがオフィスであったことは鮮明に覚えていた。


 のうのうと椅子に座って、定時刻を迎えることは無理のようだ。

 じゃないとまた、あの光にやられてしまう。

 定時刻前には、あの椅子から離れよう。そう心に誓った。

 コツコツ対策を積んでいけば、今度こそは――。


 しかしあの椅子は一体なんだったんだろう。

 人のサイズに合わせ、形を変える。

 そしてあの味わったことのない座り心地と快適さ。

 どう考えてもまだ世の中に広まってない、未発表の技術に違いない。

 あの会社のオリジナルの製品なのだろうか。

 まるでSF映画で見るような椅子だった。

 俺は冷蔵庫で冷えていた缶ビールを飲み干し、明日の出勤にワクワクしながら、ゆっくりと眠りにつくのであった。

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俺の会社に未来人がいる件 須和部めび @Mebius_Factory

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