第31話 始まり

「いよいよ、だね」

「あぁ、いよいよだな」

「いよいよですね」


 フェリシアと容、そして凪沙の3人は「学徒会棟」と書かれた建物の前に立っていた。約半年前、入学式典の後。容はフェリシアと共に、この建物の前で「必ずここに来よう」と誓った。紆余曲折あったが、2月末のこの日。ようやくその願いは叶った。


 緊張しつつも、正面扉に手をかける。ゆっくりとそれを引き「学徒長、どうぞ」とうやうやしく容が言った。フェリシアは「ちょっと、やめてよ!」と言いながらも「それでは」と、ぎこちなく一歩室内へと踏み入れた。


 室内は、真っ白に塗られた外観とは異なり、木目がむき出しの簡素な作りになっていた。容は一瞬「ログハウスっぽいな」と思った。実際にはログハウスとは異なり、板状に裁断された木が使われていたのだが、木に囲まれているという雰囲気では、容の感想も大きく外れているわけではなかった。


 扉の正面には長い廊下があり、左右には4つのドアが付けられていた。手前から順に見ていくと「資料室」「会議室」「学徒委員室」とあり、一番奥に「学徒長室」と書かれている。凪沙がひとつひとつ見ていこうと言い出したので、容たちはそうすることにした。


 資料室はその名の通り、大量の資料が並べられていた。どれも壁に沿って整然と管理されており、前学徒会の仕事の良さが伺えた。会議室には机と椅子が設けられており、それ以外には本当に何もなく「なんか味気ないね」とフェリシアが言うのを聞いて、容ですらも「確かに」と思った。


 学徒委員室は、どこか自分のいた捜査一課を思い出すなと、容は感じた。あれほどカオスな状態ではないが、机の配置などがそう思わせたのかもしれない。30ほどの机と椅子があり、奥には給湯室や、来客用のソファーとテーブルもあった。「学徒委員は、学徒長が指名するんですよ」凪沙が開いた手帳を見せながら、そう言った。


「学徒委員は学徒長の業務を補佐するんです」とちょっと得意げに解説する。「もう決めたのか?」と容が問うと、フェリシアは「一部は、ほら決まったんだけど……。ほかは、みんなと相談してからと思って」と答えた。


 最後に残った「学徒会長室」の前に立つ。いつになくフェリシアが緊張しているのが分かった。いつまで経っても動かないので、容がフェリシアを肘で突いて「おい、開けろよ」と促す。「分かってるわよ! でも……」と、何度も扉の取っ手に手をかけたり離したりしている。


 まごまごしていると「早く入ってこい」という声が室内から響いてきた。フェリシアがようやく扉を開いて中に入ると、そこにはエミーリアが立っていた。いつになく笑顔で彼らを迎えると、フェリシアに「当選おめでとう。あとを頼んだよ」と言った。


 それを聞いたフェリシアは、身が引き締まる思いでキュッと唇を結ぶと「はいっ!」と返事をした。


 引き継ぎ事項がある、とのことで、フェリシアとエミーリアを残し、容と凪沙は部屋を出た。その場で待っているのも、なんだか盗み聞きをしているように思えたので、学徒会委員室へと戻ってみた。


「あら、おはようございます」「もう来てたんですね」


 ソフィアとティナが手を振って、容に挨拶をした。彼女たちはティナの言っていたように、その後ソフィアが「今後の立候補権を剥奪する」ことに、ティナは「選挙管理委員会の職を解く」ことになった。


 ただ、これもティナが言った通り「学徒会への参加」については、一切の制限はなかった。そこでフェリシアが、2人を呼び寄せたのだった。それ以外にも報道部から笹原姉妹にも学徒会への参加を呼びかけたのだが、姉の聡美は「部を離れるわけにはいかないし、今年卒業だから」と固辞した。


 妹の英里は、随分悩んだ挙句「やっぱり、少しでもお姉ちゃんの助けをしたい」と言って、こちらも断ってきた。容たち、特に凪沙はそれを聞いてかなり落ち込み、一時期は「学徒会の強権でなんとかなりませんか?」とまで言っていたが、最終的には「ま、英里がそう言うのなら」と諦めていた。


 そこへ引き継ぎを終えたフェリシアが戻ってきた。エミーリアは廊下から「それでは私はこれで。頑張れよ」と声を掛けた。容たちは深く頭を下げたあと、お互いを見合って「やっぱ、まだあの人には敵わない」と笑った。


「お茶でも淹れるか」と、容が給湯室に行き棚を探っていると、委員室の方からワッと小さい歓声が上がった。「何事だ?」と容がカップを手に戻ってみると、そこには英里が立っていた。


「ええっと、お姉ちゃ……部長から言われて、今日から学徒会専属の記者になることになりました」


 少し照れながら、そう言う。凪沙が走って、そのまま英里へと飛びつくように抱きついた。英里は「わっわっ」と慌てていたが、凪沙は構わず「じゃ、これからも一緒だね!」と嬉しそうに言った。フェリシアもソフィアも、それを見て微笑んでいた。


 容はそれを見て、給湯室へと戻った。お湯を沸かし、ポットに茶葉を入れる。その間に、全員分のカップを並べて、少しお湯を入れて温めておく。それを捨て、ポットからお茶をカップに注ごうとした時だった。


 突然、背中に熱い感触が走った。それはすぐに広がっていき、やがて胸全体が熱くなっていった。苦しくなり、なんとかポットを置くと、その場にしゃがみ込んだ。依然として胸の痛みは消えず、思わず手を当ててみる。


 この感触に、容は覚えがあった。


 あのコンビニで女性を助けようとして、刺された時。あの時のものに似ていると思った。息が荒くなる。額には一気に汗が噴き出し、それがポタリポタリと床にシミを作っていった。自分が一体どうなっているのかすら分からなくなっていた。


 胸に手を当てたまま、うずくまるように床に頭をつけた。死ぬかもしれない、と容は思った。元々死んで、ここに来たはずなのに、また死ぬかもしれないというのが、おかしいことだとは思ったが、それ以上深く考える余裕すらなくなっていた。


 その時、給湯室扉の向こうから「ヨウ~、何してるの? お茶だったら私が」という声が聞こえてきた。頭がボゥっとしている。まるで、頭の中で大切なものが消えていっているかのようか感触を覚えた。


 自分を呼ぶ声、あの声……どこかで聞いたことがあるような……誰だったか……? 思い出せない。思い出さないといけない。だが……。


 その時、もう一度「ヨウ? どうしたの?」という声が聞こえた。その声を聞いて、容は思い出した。


 フェリシア・ウィングフィールド。亡国の王女にして、学徒会長。俺が守って、俺を支えてくれて、俺が一番……‥。


 今度は徐々に痛みが引いていくのが分かった。数分もすると、嘘のように痛みは消えて、何事も無かったかのようになっていた。一体なんだったんだ? そう思いながら、もう一度胸に触ってみる。


 もうなんの感触もなく、そっとシャツをめくってみたが、やはり傷などもなかった。頭の方もすっきり元通りに戻っていた。


「どうしたの? ヨウ?」


 フェリシアが扉を開けて入ってきた。床に座り込んでいる容を見て、慌てて「ちょっと、大丈夫? 気分、悪いの? どこか痛いの?」と聞いてきた。容は立ち上がると「悪い悪い。ちょっと寝不足だったのかな? ふらっとして」と苦笑いする。フェリシアは「凄い汗じゃない」とハンカチを取り出すと、容の額を拭いてやった。


 容はしばらくじっとしていたが「もう大丈夫だ」と言った。まだ心配そうに見上げるフェリシアに「ほら。全然だいじょうぶ」と、わざとらしいくらい元気なポーズを取る。フェリシアもそれにつられて笑うと「お茶、私も手伝うから」と言った。


「ほら、みんな待ってるから。行こう」トレーに並べたお茶を持って、フェリシアが言う。「おぅ」と容は短く答えた。


 ここまでも大変だったが、本当に大変なのはこれからの方だ、と思う。それでも、部屋に並んで座っているみんなを見ていると、何でも出来そうな気もしてくる。容はカップをテーブルに並べながら「ゆっくり出来るのは、今日までだぞ」と冗談っぽく言った。


「なんか、ヨウさん。先生みたいですね」凪沙が、お茶に口をつけながらそうこぼす。

「ヨウさん……怖い」と英里は凪沙の影に隠れながら怯えていた。

「こうなったからには、私も全力でやらせていただきますわ」とソフィアが言うと「私も微力ながらお手伝いさせて頂きます」とティナも同調した。


「そうね、みんな。大変なことも多いかもしれないけど、頑張っていきましょう!」


 フェリシアがそう言うと、全員で「おー!」と腕を上げた。笑っているフェリシアの顔を見ながら、容は今の幸せを噛みしめた。

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