二日目のカレーライス
新成 成之
金曜日の明日は、土曜日
大学の学食にて、俺はカレーライスを受け取る。平皿にこんもり盛られたそれは、食欲をそそる、いい匂いがしている。すると、俺の後ろに並んでいた友人が、唐揚げ丼を受け取り、呆れた顔をして俺に言った。
「お前、毎週毎週金曜日にはカレー食ってるよな。海上自衛隊か何かなの?」
俺は、カレーライスを受け取ったすぐ横、野菜で彩られたショーケースからポテトサラダの小鉢を取ると、トレーに乗せた。
「別に、そういう訳じゃないけど。何となく、癖だよ。昔俺ん
友人もショーケースから小鉢を取る。緑色のそれは、おそらくほうれん草のおひたしだろう。
俺達は動線に沿ってレジに向かう。今日は金曜日。心なしか、他の学生の表情が明るく見える。今日が終われば、明日は休み。きっと、大半の人がそんな事を考えてレジを待っているのだろう。
「明日土曜か・・・、バイト怠いな・・・」
俺の後ろに並ぶ友人は、どうやらそうでもないらしい。
金曜日、それはきっと特別な日。平日と休日の境目。平日最後の学校、仕事。人それぞれの特別がある日。
それは、この俺も例外ではない。
金曜日になると、無性に食べたくなるカレーライス。そして食べる度に思い出す、母の味。
*****
俺が当時小学生だった頃、我が家では毎週金曜日にカレーライスが夕食に出されていた。市販のカレールーを使ったオーソドックスなカレーライスは、幼き頃の俺の大好物の一つでもあった。俺は特に、二日目のカレーが好きだった。金曜日の夜に出されたカレーは、一晩寝かされ、次の日の土曜日の夜に再び夕食に並ぶ。俺は、その土曜日のカレーライスが特に好きだった。金曜日に比べて、ドロドロになっていて、味が濃くなっているような、理屈は分からないけど、とにかく美味しくて、俺は毎週土曜日の夜が楽しみで仕方なかった。
うちの家族は、俺の他に父親と母親、そして弟が一人の四人家族だった。家は郊外のアパートの2階。そのせいで、毎日の様に部屋を走り回るなと、父に注意されていた。
父は当時、製鉄工場で働いていた。俺が朝起きると、父は緑色の作業着に着替えており、毎朝テレビの前で新聞を読んでいるような人だった。俺が学校から帰ると、父は俺よりも早く帰宅しており、決まってテレビでニュースを見ていた。
母は、近くのスーパーでパートをしていた。稼ぎの少ない家庭を何とかやりくりしようと、必死に働いていた。それでも、決して辛そうな表情は見せず、俺達には笑顔を見せていた。
ある日のこと、俺が学校から帰宅すると、玄関には弟の靴と母の靴が置かれていた。当時小学生高学年だったから、弟はまだ小学校低学年だった。そのため、俺よりも早く帰宅しているのはいつもの事。それよりも、その時間に母が帰宅していることが嬉しかった。いつもなら、もう少し遅い時間に帰って来る母が、家に居る。それだけで俺は気持ちが舞い上がっていた。
「ただいま!」
玄関を真っ直ぐ進むと、暖簾をくぐった先にはリビングがある。すると、そこにはエプロン姿の母が台所で人参を切っていた。
「あら、
俺はこの時、今日が金曜日だったことを思い出した。
小学生の頃は、毎日がゆっくりで、曜日なんてたいした問題じゃなかった。今日が何曜日かなんて、考えながら過ごしていた日なんて、そんなになかっただろう。だから、その日も俺は曜日のことをすっかり忘れていたんだ。母が作る、カレーを見るまでは。
「帰ってきたんだったら、早く手洗ってきなさい」
母はリズミカルにまな板を鳴らしながら、俺にそう言った。母の左、透明なボールの中には、既に切られたじゃがいもや玉ねぎが入れられていた。いくら小学生とはいえ、カレーの具材くらいは暗記している。俺は夕飯が待ち遠しくって、飛び跳ねながら洗面所に向かった。勿論、母には「騒がないの!」と注意されたが。
子供部屋に入ると、弟が車の玩具で一人遊んでいた。
「バックします。バックします」
トラックの玩具をゆっくりと後退させながら、机と机の間の隙間に入れていく。その後継が可笑しくて、俺は思わず笑いながら自分の机にランドセルを下ろした。
「右に曲がります、ごちゅーいください」
弟は、トラックが右折する時に流れる音を真似しながら、ゆっくりと車の玩具を隙間から出していた。次の動作を予め口にして、自分で分かっているのに口にして、そんな光景が可笑しくて、俺はずっと笑っていた。
その後、父が帰宅し家族4人揃っての夕飯となった。献立は勿論、カレーライス。そして、スーパーのお惣菜コーナーで売られているポテトサラダ。俺は、いただきますと手を合わせると、無我夢中でカレーライスを頬張った。母の作るカレーライスは格別に美味しかった。市販のルーで作っているのだから、何処の家でも同じ味なのかもしれない。それでも、給食のカレーよりも、袋に入ったはカレーパンのカレーよりも、断然美味しかった。
おかわりをした。白いご飯をカレー皿に盛ると、自分でカレーをよそった。1杯目よりもたくさんのルーをご飯にかける。それでも、鍋には大量のカレーが残っていて、明日の夜もこんなにたくさんのカレーが食べられるのかと思うと、嬉しかった。
2杯目のカレーライスも平らげると、お腹が満たされた俺は、食器を流しに片付け、テレビの前に座った。すると丁度流れた明日の天気。俺達の地域は確か曇だったと思う。いつものニュースキャスターが、淡々と各地の天気を告げる。チャンネルを変えようにも、リモコンは父が握りしめていた。俺はニュースなんかよりも、アニメが見たかった。大人の言っている難しい話は、当時の俺には理解出来なかったのだ。
金曜日の夜はとても早い。正確に言えば、子供の頃の夜がとても短く感じられた。日中はあんなにも長く感じられるのに、夜はあっという間。学校が終わった後、友達と遊びに公園に出掛けたって、市内放送が流れるまで何回も何回も鬼ごっこや、タイヤ飛びが出来た。それに比べて、今は1日が早い。気が付けば、俺は大学生になっていた訳で、どういう原理か知らないが、時間の流れが変わってしまった。太陽が早く動いているのかもしれない。耳慣れた市内放送は、ボケっとしていれば昼飯を食べたちょっと後に聞こえることだってある。
それなのに、夜は前より長くなった。夜なんて、目を閉じれば終わっていてはずなのに、今では目を閉じても夜は夜。開ければ朝が来るなんて、そんなのとうの昔。いつだっただろうか、この夜はずっとこのままなんじゃないかと、一晩中夜空を眺めていたこともあった。太陽が早く進むなら、月はゆっくり進むようになってしまったのか。この2人は実は仲が悪いのだろうか、そんなことを考えて夜空を眺めていた。星なんて無い、くすんだ夜空をだ。
チクタクチクタク──
こいつが俺の眠りを妨げていたのか、そう思いついた頃には夜は明けていた。西の空に沈んだ月と代わるように、東の空が青色に変わっていく。明日はちゃんと来るんだ。俺はこの時、初めてそれを理解した。
家族4人で食卓を囲み、カレーライスを食べた夜。その日の夜は気付かないくらい短くて、目を開ければ朝になっていた。
隣には、弟が口を大きく開けて、寝息を立てている。俺は布団から起き上がると、子供部屋から出るとトイレに向かった。トイレはリビングを抜けた先にある。埃がキラキラと、まるで宝石か何かのように舞うリビングを抜けてトイレに入った。
トイレから出ると、俺は異変に気がついた。それは、物音がしないということだ。いつもの土曜日なら、母が起きてテレビを見ている。それなのに、テレビの音はおろか、父の寝息すら聞こえてこない。2人が寝ているのはトイレの前の部屋。パーテーションのような仕切りで囲われたその部屋は、和室になっている。俺は両親の様子が気になりパーテーションをゆっくりと開いた。すると、そこには畳が敷かれているだけで、布団も枕も毛布もありはしなかった。
「お母さん・・・?お父さん・・・?」
布団は押し入れに仕舞われており、おそらく昨晩それは使われていなかったのだろう。
俺は慌ててリビングに行き、2人を探した。けれど、返事は返ってこない。俺は弟を叩き起した。寝ぼけているのか、弟は俺が必死に説明しているのに、目を擦るだけ。やっとの理解したかと思うと、家中を駆けて回った。けれど、2人は見つからなかった。
結局、夕飯の時間になっても2人は帰ってこなかった。いつもなら母がカレーを温めてくれて、4人でカレーライスを食べているはずの時間なのに、家にいるのは俺と弟の2人。それと、鍋に残った二日目のカレー。
俺は、昨日の残りのご飯の上に、鍋の中のカレーを装ると、電子レンジで温めた。チンッという歯切れのいい音がリビングに響くと、俺はそれを取り出す。湯気の立つそれは、美味しそうな匂いを漂わせていて、食欲をそそられた。
俺達は2人だけの食卓でカレーライスを食した。いつもに比べてドロドロしていないし、味も対して濃くなっていなかったけど、それでも、二日目のカレーは美味しかった。
だからこそ、俺は悔しかった。当たり前に来ると思っていた明日が来なかったことが。
*****
だからなのかも知れない。俺が今でも金曜日にカレーライスを食べているのは。
当たり前の明日を、当たり前にしたいから。俺はカレーライスを食べている。
二度と食えぬ、二日目のカレーライスを超えることのない、カレーライスを。
二日目のカレーライス 新成 成之 @viyon0613
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