第15話 五月十六日 再会の夜
四ノ宮にメイクでクマを隠してもらい服装を整えた俺は、階下で待つアイリとどう接するか、未だ決められずにいた。
この衝動が証明する感情を受け入れるのか、それとも否定するのか。
受け入れるという事は、いずれアイリを悪魔にするという事。
否定するという事は、彼女との縁を断ち切るという事。
否定することなど出来はしないと分かっていながらも、それでも彼女を失うかもしれない可能性が残っている限り、俺は彼女を素直に愛せない。
千年前の二の舞は、ごめんだった。
もう、失いたくなどない。
彼女に、生きていてほしいから。
なら、出来ることは一つしかない。
それは、
「自分の心を、殺せばいい」
心を殺し、ただのカモ相手だと自らに言い聞かせるのだ。
結晶糖を生み出す都合のイイ道具だと思えばいい。
そうだ、これまでだって人間達をそう思って癒してきたじゃないか。
自分達の食糧源として。
アイリを癒すことはただのビジネスだ。
互いに有益な関係を築けるビジネスパートナー。
利益が無くなったら、そこで捨て去ればいい。
今の彼女は俺達以外に頼れる者がいないから縋っているだけだ。
パニック障害が癒えた時、彼女は結晶糖を生み出すことも無くなるだろう。
そしてその時には、俺は彼女にとっても不要な存在になる。
そうなれば、自然と彼女の方から離れていくだろう。
自由にどこまでも羽ばたいていくだろう。
だから、せめてその時までは。
「この、籠の中で」
「あっ、一之瀬さんっ」
一週間ぶりに顔を合わせた一之瀬さんの姿はとても健康そうで、心配していた自分の方が不健康な顔をしているのではないかと思えるほどだった。
リビングで夕飯の配膳をしているところに二階から降りてきた一之瀬さんが来たのだ。
「もう、お身体は大丈夫なんですか?」
「ええ・・・・・・お陰様で」
優しく微笑んでそう答えているのに、何故だろう。
彼の言葉は本当じゃない気がした。
だって、彼の瞳は微笑んでいるのに、私の瞳から微かにずれたところを見ている。
こういうのを私は今まで仕事で見てきた。
言いたくないことがある人。
その特徴だ。
心を見せたくないから、視線を合わせないのだ。
一之瀬さんはこれまで一度もそんなことをする人じゃなかった。
でも、今、この人は私に知られたくない何かを抱えているんだ。
なら、それを汲み取って、踏み込まないようにするのが節度だ。
私は、彼に嫌われたくはないもの。
だから私も笑った。
「良かった~、一之瀬さんがいないと皆を止めてくれる人いないんですもん!猛獣使い的な?」
「あら、ヤダ。私達のどこが猛獣だっていうのよ」
四ノ宮さんと二条君が揃ってリビングに入ってくる。
「四ノ宮に同意。どっちかって言ったら黒崎さんの方が猛獣だよ」
そんなことを二条君が言うものだから、私もついつい噛み付いてしまう。
「女性に向かって猛獣とか言わないでくれません?!」
「そうやって二条に噛み付いてる時点で、十分怖いもの知らずな猛獣だと思うけどな」
五十嵐さんがお盆片手に背後からそんなことを言うものだから、私はぐうの音も出ない。
「ほらほら、一之瀬、あんたはさっさと座ってなさいよ。配膳は私達でやっちゃうし」
「・・・・・・ああ、そうさせてもらう」
暖かい食事、共に食卓を囲う者の何気ない会話、そして、
その視線の中心には、黒崎アイリ、彼女がいた。
一週間。
たった一週間、自分が離れていた間に、彼女はここまでこの家に馴染んでしまった。
そして、自分は一週間分皆より彼女から遠退いてしまったのだと痛感させられるのだ。
あの痛ましい事件から今夜に至るまで、彼女はどうやってこんな笑顔を見せるようになったのか。
そんな変化を、積み重ねを、自分は見ることも出来なかった。
けれど、これで分かった。
こうやって少しずつズラしていけば、この想いは、いつか諦められるだろうと。
ズラして、ズラして、遠退いていく心の距離を感じて、諦められる日が来るのだろうと。
そうすれば俺は彼女を殺さないで済む。
彼女を失っても、彼女はここではないどこかで生き続ける。
人間としての寿命を、全うするまで。
セラピストとしては恥ずべきことでも、俺は彼女の傍にいてはいけない。
これは全て俺個人のエゴだ。
けれど愛情とは、そういうものなのだろう?
なあ?かつて俺が仕えた、大いなる神とやら・・・・・・。
カフェ・セラピスト ~悪魔と私とパニック障害~ 橘 瑞樹 @shikity
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