たとえば今手にしているスマホに、命はあるだろうか。
使われるために生まれてきて、忠実に頑なに役目を果たして、そして。
その先を思うときに私たちに特別な感情は湧かない。
道具は道具として。
持ち主の都合で簡単にその役目を終える。
けれど、幼い頃に抱きしめたぬいぐるみはどうだったろうか。
毎日話しかけて、愛して。
そこに命を見なかったか。
役目を終えたものは、いつか去らなければならない。
ぬいぐるみの耳がとれたと言って泣くのは、くだらない感傷なのかもしれない。
無機物に命を見るのは、人のエゴなのかもしれない。
だけど、それはとても美しいと。
私は思う。
アポロ月面着陸を中継で見た年齢の私は、宇宙開発は華やかなもので、どんどか進むものだ、とばかり思っていた。
が、最先端のものこそさっさと古臭くなるもので、劣化して使えなくなるんだよね。身の回りのものですらそうなんだから。
宇宙の映像で今でも一番印象に残っているのは宇宙飛行士の「バイバイ、スカイラブ、バイバイ、スカイラブ……」で、遠ざかっていく宇宙ステーションだ。
地球にバラバラ落ちていった。
ちょっと、それを思い出した。
人間に変わって宇宙で危険な作業をするアンドロイドには、感情的な反応があったとしても、おそらく、自分の身の不幸を嘆くとか、危険を恐れるとか、そういった都合の悪い感情は持たないよう出来ているのかもしれない。
ラストミッションを淡々と実行するオリファンには迷いはない。
むしろ、だからこそ、余計にこちらが切なく感じるのだろう、そして、本来は華々しい開発の場にいるはずの宇宙飛行士の仲間たちも。