3■ -the Truth of the World-
肉体は、もたなかった。果たして何度の拒絶反応が出たか。少年は凡そ両の手で数えられる回数を超えてからはもう数えるのをやめていた。回数を重ねていく毎に執刀の痛みを感じなくなっていった。
叫びすぎて声が音と成り果て、最後には声帯が断裂して音も出なくなる頃。痛覚を脳が感じると無意識に筋肉が収縮するのである。それはもう反射と呼べる域であり、少年は体の筋肉が収縮することで骨や内臓が損傷するという新たな痛みに耐える事を要求された。
さらにどれくらいの時間が経過したか。
その新たな痛みすら感じなくなると、少年は直感で心を守るようになっていた。唯一、この痛みを耐えた先に彼女が待っているという事のみを心の支えにし、ただひたすらに耐え忍んだ。ここで心が折れてしまったら、たとえ手術が成功してもきっと自分はもう二度と人間には戻れないという漠然とした予感があったからだ。
自分を待っていてくれている彼女の声も届かず、ただ憎しみのままに目の前の男を殺し、元凶であるキューブを破壊し続けるだけの獣になってしまう。
だから少年は心を守った。そして守り通した。
全ての工程が終了したのか、少年は今まで強制的に覚醒させられていた意識が深く沈んでいくように感じた。
一瞬視界が完全に黒く染まると先程も見た気がするノイズが走る。
そして次の瞬間、少年の意識は一気に覚醒させられた。
「…成功だ。おはよう。今日が君の新たな誕生日だ」
目の前の男はそう告げた。
「私を殺すかね? それとも同じことをするのなら止めはしない」
本心からの言葉かどうかは直ぐに分かった。視界に目の前の男のバイタルが表示されたのだ。
理解が追い付かないという少年の表情を読んだのか、男は嗤う。
「心拍等の確認は済んだかね? 言っただろう? 君は特別製だと。殺す気がないならこの手を退けて欲しいのだが」
正直、自分でも何故この男を殺さないのかが不思議であった。おそらくギリギリのところで理性が働いたのであろう。今すべきことはこの男を殺すことではない。
「…説明とやらが残っているんだろう。部屋に入る前に聞いた。貴様を殺すのはその後でも遅くないからな」
それだけ言うと、少年は体に繋がるすべての器具を無造作に取り払った。
「インストールは成功した。声が出るから分かるだろうが、筋組織や骨はプログラムによって脳を騙し超回復の真っ最中だ。しかし君の痛覚はまだ本来の状態ではない。下手に動くとまたケガをする。右の扉に進み給え。女が待っている」
男の白衣は真っ赤に染まっていた。
「…待ってた」
彼女の第一声はそれだけであったが、少年には十分であった。手術の際、最後まで決して流さなかった涙を今、初めて溢れさせた。
少年たちが案内された部屋は、『2』で彼らが見てきたものと同じ調度の空間であった。『2』では凡そ大火力の武器を必要とすることは滅多になく、出現するキューブの脅威度もさして高くない。よって普段、支柱は周辺で暮らす人の為の病院やシェルターとしての役割を果たしていた。
そして少年たちが今いる空間は、先程の血塗られた施設の存在などは微塵も感じさせない。
「おめでとう。諸君ら7名はインストールに適合した素晴らしい者達だ。だがあまり休んでいる時間は無いのでね。早速お勉強の時間といこう」
先程の老人がまた一段高いところから声を飛ばしてくる。しかし、ここに居る者の中で彼に飛びつく者は居なかった。
「適合手術により諸君は今現在、脳の各部位とゼプトマシンが結合している状態にある。現在の平均規格はナノマシンであることを鑑みると非常に素晴らしい結果だ。処理速度の観点からも十分キューブに対抗できよう」
眼前の憎き老人はまるで自分の事のように嬉しがる。その表情もすぐに元に戻り話を再開する。
「しかし忘れてはならないのが魂の残量である。コードを繋ぐ度に、個人差はあれど魂を削られる。魂の残量が無くなれば、脳は0で埋めつくされることになるので十分注意するように」
これは手術前に突き付けられたので今更特に驚く者は居ない。
大きな力を使用するには必ず代償が必要になるものだ。
「ここからは力の使い方と世界の本当の理を知ってもらおう。…と、その前にここで私とはお別れだ」
目の前から老人の姿が掻き消える様は、間違いなく3D映像のスイッチを切った時のエフェクトそのものであった。彼が居たはずの場所には、もう誰も存在していなかった。
ここまで人を馬鹿にできるのか。全員がそんな思いを胸の内に宿す。
二度と見たくない顔を見なくて済むのだからこれで良かったのだが。
「君たちに飲み込ませた黒い物体、アレはキューブだ」
突如、まったく別の方角から現れた見知らぬ女はぶっきらぼうにそう言い放つ。誰もが怪訝な表情を浮かべて誰何する中、女は砕けた口調で話を続ける。
「悲しいなぁ。いま別れたばかりなのに、誰も私の事を覚えていないなんてあんまりじゃないか。もう一度手術したくなっちゃうよ」
衝撃的な内容が不意に2つも飛んできたが、脳にインストールされたマシンのおかけが処理落ちせずに状況を把握できた。初めてマシンによる思考のアシストを受け、自分がいよいよ半身半機の化け物であると自覚する。
「君たちの疑問は最もだね。その表情を見ると大体言いたいことはわかるよ。私は優しいから何でも答えて進ぜよう」
相変わらずふざけた口調だが、その瞳は真剣そのものであることに気づいた少年たちは胸の内にある数多くの疑問を氷解させるために口を開く。
「………ここに居ない人はどうなったのですか?」
先程の部屋に居た一番屈強そうな青年が最初に疑問を呈した。
「えーと、ID‐57423ね。その疑問は最もだが安心していい。彼らは全員無事だよ」
「何人かの死体を見ました」
見たところ20歳位だろう強気そうな女性が横から割って入ると、女はそれを待っていましたと言わんばかりに口角を吊り上げる。
「お前らの記憶はこうだ。奥の部屋に入ったら一面の阿鼻叫喚地獄絵図。そしてさっき消えたジジイにたらふく文句を言った後に無理やりカプセルに放り込まれた。挙句に生きたまま諸々の激痛を味わい文字通り血ヘドを吐きながら耐え抜いた」
全員が口を開けたまま固まる。
いったいなぜこの彼女がそのことを知っているのか。
「結論から言って、お前たちは夢を見ていた。それだけだ」
全員の疑問に対する答えは非常に簡潔だった。
すると彼女は無造作に視線を動かし始める。やがてその視線は少年と交差し、その表情から笑みがこぼれた。
―刹那。
まるで脳の中心にスピーカーを埋め込まれたのかと錯覚するほどの奇妙な現象が起こった。
眼前の彼女は全く口を動かしていない。しかし少年の脳内には先程までと全く同じ声が響いてきたのである。
視界に表示された【Lync‐Call】の表示に遅れて気づくと、何とか今の現状を冷静に把握できた。
『理解が早くて助かるね。これは練習すれば誰でもできる。それよりアンタと隣のお嬢さんにはこの話が終わった後に来てもらいたいんだ』
驚いた事に、彼女は皆に肉声で説明を始めていた。少年には思考音声で話しかけつつ、口では皆に別の事を話している。
「お前たちがこの部屋に入る前に着替えた後、消毒されたのは覚えているだろ? もうその時に細胞を通してインストールは完了していたんだよ。あとは眠っている間にキューブを飲ませただけだ」
器用などという言葉では括れないほどの技術を披露してのけた彼女に同じく思考で話しかける。
『便利だな。…色々と聞きたいことはあるが、何故俺達だけなんだ?』
少年のスムーズな思考音声に驚きの表情を一瞬浮かべ肉声が止まりかけるが、直ぐに元の状態に戻った彼女は会話を続ける。
『ちなみに今話したことは本当だよ。ただ君たちは実際にあの糞ジジイに執刀されたのさ』
驚きはあまり無かった。先の痛みが夢である筈が無いし、そもそも自らを執刀したあの男は絶対に実在すると直感していた。
『後で詳しく聞く』
『了解♪ あ、隣のお嬢さんも今了解してくれたよ』
実は三重思考していましたと言う彼女を、ただ黙って見つめる事しかできなかった。
「信じられません。あの痛みは本物でした。もしあなたの話を信じるなら何故あんな痛みを与えたのですか? それにキューブをなんか飲み込んだら…」
またしてもそれは全員の胸の内を代弁していた。
「いい質問だね。まずインストール後に最初にしなくちゃならねぇ通過儀礼が心…いや魂の防御なんだよ。俺たちがキューブと戦うには奴らにコードを接続して分析し、的確なin-actコードを叩きこまなきゃならないのさ。だがこっちは元を正せば只の人間だ。キューブに干渉するためにいくら電脳化、もといインストールをしても限度ってモンがある。化け物に対抗するために自分を化け物にしても本物には到底及ばないって事さ」
次に彼女がもたらした情報はとても衝撃的であった。先程から何物にも動じていなかった彼女が、動揺する気配が初めて伝わってくるのを感じた。
先の部屋で少し話したが、という言葉の後に語られたのは以下の内容であった。
「接続した瞬間、奴らは人間の心を解析し始めるんだ。だから魂がすり減る。唯一対抗するには心を律するしかないからな。解析に伴って流れ込んでくる膨大な0に己を飲み込まれない強靭な精神力が必要なんだ。それでも完全には防げないから魂に0が蓄積していく。それは直前に脳の空きスペースに移されるが、容量がいっぱいになったら死ぬ」
衝撃的な事実が大挙し、マシンをもってしても今回ばかりは処理落ちしそうになった。
「常人が普段使用している脳の領域のは約3%だ。つまり残りの97%は殆ど使っていないから、いくら魂から0を吸収・蓄積しても死にはしない。けどそれ以上に0が流入してくると言語障害・記憶障害などが現れ、果ては神経系が機能しなくなって呼吸器や洞房結節が止まる。ここまでおよそ3分だ。同じくキューブの出す瘴気も解析に用いられている事が最近になった判明した。こっちも0を排出しているから飲み込まれたらおおよそ5分しか持たない。脳で処理しきれなくなると、魂から0を吸収できなくなるからどっちにしろ即死だな。」
吐き出される思いも寄らない真実が、まだ全体のプロローグでしかないと補足説明した彼女はその口を再び動かす。
「そこで、だ。お前らには生きている者が抱くうちで最も恐ろしい恐怖である死を延々と感じてもらう必要があったってワケ。言っとくけど俺もやらされたんだからな! とまあ、お前らは耐え抜いた。心ができていれば流れ込んでくる0を最大限減らしてくれる。余程の事が無い限りはキューブの解析に耐えられるはずだ。前半終了!」
ここで何人かがさらに疑問をぶつけようとするが、彼女はそれらを一蹴する。
「バカお前、まだ話終わってねぇのにコレ以上ややこしくすんじゃねーよ。いいからまずは聞け!」
確かに今新たな質問をするのは上策ではないと、しぶしぶ挙げた手を下す。
少年は誰にも聞こえない声で隣の少女に話しかけた。
「あの人、信用できる?」
「7割」
簡潔な答えしか返ってこなかった。いつもならもっと会話のキャッチボールが続くのだが、それが無いという事はやはりそれだけ彼女の話す情報は重要なのだろう。
「えっと、どこまで話したか……あー忘れた。お前らまじクソー」
少年は隣に再度話しかける。
「本当に7割?」
「…ゴメンね。4割」
顔を赤くして俯いてしまうが、そんなことは関係なしに話が再開する。
「ゴホン。まぁそんな理由でお前らを散々痛めつけたわけだ。反省はしていない。黙れお前ら! あとあのジジイは只のプログラムでお前らのヘイト管理をしていたんだ。だって私がやったらお前ら私の事嫌いになるだろ? それにジジイの方が雰囲気出るし」
もう既にとことん嫌われていることに気づかない女は一瞬少年と少女を見遣る。
『後でね♪』
「壇上から話していたのはその為。ただの立体映像を台の下にあるプロジェクターから投影していただけ。最初の…えー……ID‐57423の疑問に戻ると、ここに居ない奴らはジジイの手術に耐えられなくてフェードアウトしてもらった。あれじゃあキューブの解析一発で殺されるから役に立たんしな。もうすでにインストールはされているが、精神力が無ければ0は止められない。常人より時間はかかるだろうが直ぐに脳は埋め尽くされて死ぬだろう」
どこかに隠し持っていたのか、レーションを齧りながら話を続ける。
「あ、コレ? やらねーよ。…脳には些かの余裕があるとはいえ、結局は魂も破壊される結末は皆一緒なんだけどな。まぁ厳密に言うと、インストールをするとキューブによる解析で流れ込んでくる0を魂から脳に送るプログラムで自身を少し守れるってワケ。だから当初、世界中に研究塔を建設して消毒と唱ってマシンを侵入させた。全人類はすでにインストールが完了してるわけ。今から約3年前に死亡率が激減したでしょ? って言ってもキューブの0に対抗できるほどの精神力を持つ人間なんて極少数だし、標準規格のナノマシンの散布が精一杯だったけどね。だからお前たちは既にインストールされていたんだよ。世間でいう英雄は実は自分自身もそうだったなんて最高の皮肉だろう」
彼女はとても愉快そうに笑う。
『私も初めて知ったときは驚いたさ。君たちはもっと表情筋を鍛えるべきだと思うが』
そんなフォローを飛ばしてくるが、正直何のフォローにもなっていなかった。
隣の少女も両の掌を握ったり解いたりしている。
事実、ここに居る者達は今日一番の驚きだっただろう。全人類は既にインストールが完了しているなどと一体誰に想像できようか。
自分たちの体についての常識を根底から覆されても正気を保っていられたのは、施設に入ってから現在までに体験した数々の信じられないような現出来事によってもたらされた経験値のお陰だった。今回のインストール――正確は上位互換になっただけだが――に志願しなければ一生気づくことも無かったであろうことは想像に難くない。
「世間に言ったところで信じた奴は居なかったし、多分使いこなせる奴も極少数だったろうからね。ほんの少し寿命を延ばすだけで殆ど意味なんかなかった。ナノマシンは脳の容量を結果的に数万%底上げできて製造が比較的簡単・安価だったから世界中にバラ撒いたけど、結果は自身が消失していく恐怖を味わう時間を引き延ばしただけさ。個人差はあるけど瘴気になら10分位なら耐えられるんじゃないか? …まあそんな事はどうでもいい。それより後半部分いくぞ。キューブ飲ませた理由は私の…いや、ある男の記憶を見てもらう。初めての感覚だろうがまぁ慣れろ。」
それだけ言うと視界に小さなウィンドウが出現する。
【MEMORY01 を再生しますか? YES/NO】
「NO押したら殺す」
全員がYESのボタンを叩くと少年には彼女が不敵に笑ったように見えたが、それを確かめる事はできなかった。
視界が黒く染まり一瞬の間を開けて流れ込んできた映像を、衝撃的な事実の連発によって疲れ果てた少年はただ眺めることしかできなかった。
Break the World @aki1206
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