2■ ーmy memoryー

   +++



 そこは広大な空間だった。見渡す限り、目に入ってくるものは白い壁。奥行だけでも50m以上はあるかもしれない。更には鼻を突くような消毒液の特有の臭い。

皆が血や病院を連想し不安になる中、少年は隣に立つ少女から誰にも聞こえない程ちいさな声が口から洩れたのを、確かに聞いた。

 「…これでやっと戦う力が手に入る。けど、これ程インストールは適合率が低かった?」

 その手にはこれから受ける事のプロセスと、それに伴う危険について克明に記載された電紙が握られている。

 ここに居る者は少なからず地獄を見てきた。各々は覚悟というものを十分に持っているだろう。だが彼女からは長年戦場で死線を潜り抜けてきた老兵の様な並々ならぬ覇気が感じ取れ、ここに居る者の比ではない濃密な空気を纏っている。

 張り詰めた彼女の気を少しでも穏やかにしようと少年が口を開きかけるがしかし、その声が彼女に届くことはなかった。

「私語厳禁だ! さっさと一列に並べ!!」

 いかにも下っ端という言葉がピッタリな研究員が張り切って声を出している。空間が静寂に包まれると、隣に立ち白衣を纏う老いた研究員がわざわざこのために設えさせたのか一段高い場所から言葉を飛ばす。

 「――適合しなければその場で死に絶え、明日の日の出を見ることはできないだろう。」

 開口一番、老いた研修員はここに居る者全員の最大の懸念を口にした。

 「もう知っている者も居るだろうが改めて説明する。これから一人ずつ順番にインストールを行い、諸君にキューブと戦う力を与える。注意事項や副作用については諸君に配布してある電紙案内に記載されている通りのものだ。内容に同意する者は電子サインと指紋スキャンを実行しなさい。」

 内容は事前に通達された案内の通りであった。

インストールは本人の自発的同意が無ければ成功しない。つまりこの場に居るものは皆、自ら志願した者しか存在しないのだ。予め最悪の事態については知らされていたし、そうなる覚悟もしていた。

だが、改めて意識しないようにしていたその現実を唐突に突き付けられた事と施設の雰囲気も相まってか、皆の表情には恐れや後悔の色が浮かび始める。

その変化に気づいて尚、眼前の老いた研究者は事実を叩きつけてくる。少年たちの知っていた真実の続きを。

 「詳しくは生き残った者たちのみに説明するが、適合した場合でも諸君らは力を使う度に激痛に苛まれ、その寿命は急激に減じることになろう。中にはその恐怖に耐えきれずに自ら命を絶った者も大勢いた。刻一刻と自身が消失していく感覚に襲われてな。……それでも前に進む意思のある者達だけ、奥の部屋に進みなさい。ここで去る者は決して臆病などではない。ここに来た、それだけでも諸君ら25名は十分に立派だ」

〈以上――、〉と言い残すと、その研究員は指定した奥の部屋へと行ってしまった。

 今までに感じたことも無い空気が場を支配する。

 インストールという行為だけでもその恐怖は計り知れない。事実、インストール後の人間はモラトリアム期間でも英雄として大勢の人間から尊敬される程のステータスになる。それ程にまでこの行為は昇華されている。

そうであるのに、適合施術自体がまだ前半分の恐怖であり後半分には同等かそれ以上の、更には永続的な恐怖が伴うなどという事実を突きつけられれば、平然としていられる者など居るはずもない。

彼が話し終わり部屋を出ると、その場ですすり泣く者、膝を折る者、その場で嘔吐する者、果ては失禁する者など、各々は現実を再認識させられる事で様々な心と体の拒否反応を現した。先程まで、一種の自己犠牲や義勇に酔いしれていた者達の支えが崩れたのだろう。今まで見てきた地獄が、相対的にはは大したものではなかったのだろうと脳が理解してしまう。

部屋で一番屈強そうだった青年ですら今では床に敷き詰められたタイルを力なく見続けている。

少年も先程からうまく空気が吸えずに呼吸が浅くなる。そんな中、隣からはいつもと変わらない声が飛んでくる。

 「先に行く」

 隣の少女がそう呟き歩き出す。まったく躊躇することなく真っすぐに奥の部屋へと進んで行き、塔の職員たちに誘導されていく。その場全員の視線をその小さな背に受けながら。

心では覚悟を決めたはずだった。だが体が立ち上がることを拒否する。

どれくらいの時間が経っただろうか。一人、また一人と立ち上がってはその全員が同じ方向に歩いていく。この空間に入ってきたのとは違う方向に。

それ程までに先の彼女の存在が皆を勇気づけていた。絶望という暗闇に陥った時でも、そこにどんなに小さな光でもあれば人は前に進むことができる。いや、進むしかないのだ。力を得ずに帰ってしまえば、何の抵抗もできずにキューブに殺される未来しか残っていないのだから。

 「ザマねえな。本当に情けねぇ」

ひとり呟き、そして歩き出す。

(俺は人類を救うなんて高尚な精神は持ち併せてない。ただ俺からアイツ以外の全てを奪ったお前らを一つ残らず破壊してやる。)

遠い昔に見た絶望と誓いを思い出しながら奥を見やる。

隣の部屋へと続く重厚な扉の前に長い列ができていた。その者達は先程とは比べるべくも無い、本物の覚悟をした目をしていた。

「約2時間後がお前の番だ。それまでに滅菌消毒するので着替えておくように。」

「…施術後は研究長から説明がある。決して早まった行動はするな。」

研究長とは先の老人の事だろうか。

何やら端末で確認や登録をしていたらしい研究員だが、それだけを言うと後ろの者に案内を始めた。

そして約2時間後、先の決意は奥の部屋に入った瞬間に消滅させられる事をまだ少年は知る由もなかった。



薄暗いせいで認識が遅れたのだろう。視界が一瞬黒く染まり、ノイズの様なモノが走った気がした。

五感が慣れてきた頃にはその違和感も消え去っていた。

 (今の何だったんだ?)

しかし、そんな思考もすぐに霧散してしまった。

そこは先程の白一色の部屋とは対照的であった

部屋から飛び込んできた情報はおおよそ次の3つ。――鉄臭さ、壊れた音、そして悪意。

 先程までの部屋は何故あれ程までに消毒液の臭いがしたのか。

そもそもここは研究塔第201支柱の内部であったはずだ。各支柱は磁界線を跨がない限り、同じ水準の内装構造であることは周知の事実である。

少年の生まれ育った場所はドーナツ状に広がる、ここと同じレベル『2』区域だった。少年の記憶によれば、研究塔内部の一室全体に消毒液のにおいが充満している事は無かったし、そもそもあれ程までに広大で何もない空間すら存在していなかったはずである。つまり少年が見たものは『2』では信じられない光景であった。そんな部屋の続きにある空間である。碌な所ではないだろう。

「なんだよ、これ」

視界は涙で歪み、胃が熱くなる。突如襲ってきた吐き気に何とか耐えた少年は辺りを見やる。

そこに広がっていたのは、はとても形容できる光景ではなかった。地獄という言葉すら生ぬるいだろう。鉄臭さが混じる空気を吸い込みながら情報を集める。

奥にある半透明の球体状カプセルからは、一体どれだけの痛みを与えればここまで叫ぶことができるのかと考えさせられる程の絶叫が聞こえる。それはもう意味を成さない音だった。断末魔と思える音。

「あり、えない」

そう。あり得るはずが無いのだ。

支柱の番号はどれも3桁で構成されている。上から、『磁界レベル値・陸海空区別・規模』となる。

現時点での最大レベルは『5』まで設定されており、各磁界間の距離は250km毎に隔絶されている。つまり先頭の番号が『2』であるこの研究塔は決して安心とは言えないものの、これ程までに血を見る環境には無い。

また、最後の『1』は施設の規模が最低レベルであることを表す。5年前にたった一度だけキューブが現れた歴史しか持たないので、『2』にある支柱は大半が『1』であることは当然であった。つまり本来であればこんな所にある機械類等は簡易的な治療用のもののみであるはずだ。眼前に広がっている機械類はおそらくは激戦区域の『4』や殲滅区域『5』に用いられるのだろうと少年は直感した。

最早通常のインストールが行われていない事は火を見るより明らかであった。

そして地獄から不意に声が発せられる。

「次は君か。待っていたよ」

先程、御大層な挨拶をした老人が薄く嗤う。

「何なんだこれは! その隅の山は死体だろ!? 何をしたんだ!!!」

嫌だ。理解したくない。

 少年は自分が問い詰めている事の答えを既に理解しているが故に聞きたくなかった。しかしそんなことは関係無しに、聞かれたことに答えようと目の前の男は口を開く。

 「残念ながらソレらは適合しなかった。非常に残念だ」

 「…ッ!!!」

 考える前に拳が出ていた。しかし地面の血だまりで足が滑りその拳は届かない。

この男は同じ覚悟を抱く仲間を「ソレ」と吐き棄てたのだ。

 己の内に湧いた恐怖に一度は膝を屈したが、無様な姿を晒しても自らの意思で前に進んだ。人類の為、愛する者の為、明日を安心して迎える為に、立ち上がったのであろう者達をこの男が殺したのだ。

そんな怒りに思考が支配されていたが、転倒したことで逆に冷静さが戻ったのは幸いであった。

先の部屋で、話が始まる前に彼女が零した言葉が脳内によみがえる。今は怒鳴り散らすことよりも他にすべきことをしなければならない。

 「現代では技術進歩によりインストールの失敗率は以前より大幅に減ったはずだ。確かにプロブラム拒絶反応や魂の密度が極端に小さい者も存在するから死亡率は高い。それでもここまで死体が築かれることはない!!」

 人類がキューブに対抗する為に開発したインストール技術は、当初の成功率は1%以下であった。100人の被験者のうち100人が死ぬ事が前提で行われ、生き残った者がいればその者の名は前線にも知れ渡った。

だが今では技術が大幅に改善され、確率は10%程にまで上昇したはずだ。

 それでも決して高くはないので、成功した暁には英雄扱いされるのだが。

ここまで追及されても彼は一切表情を変えない。眉一つ動かさないこの男は、何でもないかのように語る。

 「中央管理局は嘘を吐いている。まぁ君は知らなくていいことだ。…ところで君のIDデータを見させてもらったが、どの値も平均を大きく上回っている。君の魂はとても濃そうだと分かってからは待ちきれなかったよ。特別なインストールをしてやるので感謝してくれ給え」

 質問には答えてもらえず、それだけ聞かされると突然左右からやってきた職員に羽交い絞めにされカプセルに乗せられ体を固定させる。

 研究員の手に握られた1粒の黒い物体を飲み込ませられる。

 「何を飲ませた! 糞ガァァァ!!」

 両の手足と頭を固定されているので何の抵抗もできない。

そして口には厚い絶縁のゴムが咬ませられる。

「ひやは!! はへろ! あああああ!!!」

 絶縁ゴムのせいで上手く発音ができない。

 頭に夥しい数の電極がついたものをかぶせられると、続いて目隠しをされる。

 視界を奪われた事で恐怖感が増し、先程の死体の山がフラッシュバックする。

 (何故だ。インストールは本人の自発的同意が無ければ成功も、実行すらできないはず…)

そんな思いとは裏腹に作業が進んでいく。

片腕に冷たい金属の様なものが肌に触れる感覚を捉え、それと同時に無事な聴覚が情報をもたらす。


『…ID56238、10歳、男、A型、RH+。一致を確認しました』


自分のデータが機会に読み上げられることで、これが夢ではないと実感させられる。

次の瞬間、肌に触れていた冷たい金属が両の腕を刺さる。

 

 『輸血準備完了』

 『麻酔が装着されていません』


しかし残念な事に、これは注射の針だろうと気づいて身構えていたせいか気絶するにまでには至らなかった。しかし肉体は今から我が身にもたらされるであろう結末を予想し、生存本能によって細胞1つ1つが覚醒する。

再度、機械による読み上げがなされる。


『体温38.5、血圧180から110、脈拍数130/m、危険域突入』


通常であれば即死しているバイタルサインであるが、しかしカプセルに積まれた機械がそれを許さない。血圧と心拍数による損傷を何らかの方法でカバーしているのだろうが、少年はそれ以上思考することができなかった。

事実、精神的なダメージは大きいが肉体的損傷がカプセルの機械類によりカバーされていた為、かろうじて絶命しないでいた。

しかし次の瞬間、首の辺りに衝撃が走り全身が痙攣する。そして冷たいものが脊髄に流れる感覚と、何かが接続してくる感覚に襲われる。

その接続のせいか妙に意識が覚醒し、少年の耳に先程の老いた研究者の声が届く。

「準備ができたようだ。記載を忘れてしまっていた様なので口頭にて2つ説明させてもらうよ。」

記載とは何のことか。先程の部屋にて電紙を触っていた記憶があるが、それ以上は思い出す余裕がない。

「悪い知らせだ。すまないがこの処置には麻酔が使えないんだ。簡単に言えば脳とコンピュータを無理やり結合させる手術の様なものでね。常に意識を保っておいてもらわないと精密調整が行えないんだよ。君も起きたら糞尿を撒き散らすだけの廃人にはなりたくあるまい?」

何を言っているのか。いや、正確には内容を理解していた。ただ脳が理解を拒む。

 続いて、声。

 「次はいい知らせだ。きみは絶対に死なない。いや、私が死なせない。まだ詳しくはスキャンできていないが君の魂はやはり密度が別格だ。こんな美味しい素体は機械の自動調整などに任せることはできないからね、私自ら執刀するとしよう」

 しかし続く言葉は声のトーンが高く変わっていた。

 「ああ、君にとっては悪い知らせだったね。なんせフルコースを味わってもらおうというんだ。勿論施術の内容も複雑になるから痛みも増すし、長い時間が掛かってしまうからね。でも君は私に感謝するだろう。君なら『5』…いや、その先にまでたどり着ける。」

(5…その先…?…………)

 先程から途切れそうになるが、その度に無理やり引き戻される意識がその言葉を捉える『5』まで到達した人数は過去3組しか存在しない。彼らが言うには『5』の中間を過ぎた頃、丁度150km地点の辺りからは認識・知覚などの処理速度が追い付かず、決して人類が立ち入る事は敵わない『死極域』との声明を出した。果たしてこの男の言うその先というのはどういう意味か――。

 「おっと、言い忘れていたよ。君に伝言を頼まれていた」

伝言。いったいこの状況で誰が、何を俺に伝えようというのか。覚えていられる自信など皆無であったが、やはりそんな事は関係無しに目の前に居るであろう男から言葉が投げかけられる。

 「『私はお前を待っている。』との事だ。誰だか知らんが最初に適合手術を受けた女だ。確か彼女もいい魂の質であったな。君程ではないにしろ、機械と並行して多少私が執刀したほどの素体であったよ。では、そろそろ始めようか。」

 彼女が無事適合し生きている。

そのことを知った少年は、暗闇の中に一筋の光が差したのを感じた。やがてそれは小さな希望に変わる。

 ―そして――

塔歴125年12月06日。

少年は生きながらにして地獄を体験した。

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