薬
鹽夜亮
薬
「先生、前回は薬の量を減らしてもらいましたが、どうもそれがいけなかったのか不調が続いていて…。」
木目を基調とした部屋の中、初老の医師に対して、細身で色白の青年が鬱々と語っている。窓の外には、景気の良さそうではあるが、どこか低俗さも感じさせる大衆食堂の看板が見切れている。
「…週の半分は死にたくなるんです。朝起きた時にはもうその状態になっていて、自分ではコントロールができないんです。」
カタカタ。カタカタ。時計の秒針さえ音を立てない静寂の室内で、若い女性の助手がパソコンを打つ軽妙な音が響く。空間の中でただ唯一動いている白い指は、冷淡な機械のようにも見えれば、蒸し暑い熱気を帯びた艶かしい水面の動きのようにも見える。
「僕はどうすればいいんですか。これは普通のことなのですか。普通というのは、これほどに生きることを苦にしなければいけないのですか。」
青年の、血管の透けて見える細腕とつながれた機械は、正常な血圧を指し示して沈黙している。初老の医師もまた、沈黙を保ったまま机に両肘をつき、身じろぎ一つしない。青年は、他のものは全てどうでもいいといいたげに、淡々と語り続ける。窓の外ではいくつかの自動車が轟々と風切り音をたてながら通り過ぎた。
「それとも僕は普通になるために、努力をしなければいけないのでしょうか。そうでなければ、もう僕は既に普通なのですか。僕にはわからないのです。今まで、どこか他人よりも人の心や命に対して詳しいように思い込んでいましたが、それが大きな勘違いだと気がつきました。本当に何も、僕にはもう何もわからないのです。」
青年はそれきり口を噤んだ。子どもに遊ばれる役目を終え、後は焚き上げられるために口元と目元を縫われた古い人形のように。
助手はキーボードを打ち続けている。血圧計は相変わらず、寸分も違わず5分前と同じ数値を指し示したまま時を止めている。
「これは例えだけれどね。君は、身体の外郭に脳神経が張り巡らされているのだよ。つまり、君はあまりにも外部からの刺激に敏感で、本来中枢にあるべき部分が傷つきやすく、そして何よりも、何事においても体より先に常に脳神経が外気に触れる…。もちろん、これは、象徴としての脳神経の話だけれどね。」
医師は晩秋の枯れた木を思わせる声で、静かに青年に語りかける。
「つまり……君は疲れているのだ。それだけだよ。」
窓の外では冬の冷たい風が吹き荒れている。室内のタイピングの音も終わりを告げた。白く細長い水面の漂いは途絶えた。青年は黙っている。医師は、次の予約患者名簿に目を通す。
「そうですか。僕は、疲れているのですね。どうりで………。」
診察はそれきりで終わった。錠剤の数が幾分か増えた。帰りがけに寄った薬局の薬剤師は、青年に「お大事にしてくださいね。」と曖昧に薄らいでゆく笑みと共に告げた。
薬 鹽夜亮 @yuu1201
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