30杯目 ポーションと日本酒
「のどかで良い町ですね」
翌日、憩が日本に戻る日。昼の日差しの下、シャーラックの町を散歩しながら、憩が道端の花に目を留める。栗色の髪に風がじゃれ、毛先が宙を舞った。
「どの町もそんなに代わり映えしないけどな。お前のところの町はこんなんじゃないのか?」
花が近づく虫を
「花や木もありますけど、野生というより人の手で植えられたものを見る方が多いですね。生まれた町はもう少しここに近いですけど」
「へえ。いつか行ってみたいもんだな。ヴァクト転移させたから位置も特定できたし」
「いつか来てくださいよ! 日本酒ご馳走します!」
「ポーションみたいな味なんだろ」
リンはカラカラと笑って、彼女の少し先を歩いた。
しばらく行き、通い詰めていた道具屋の前で足を止める。
「最後に寄るか」
「はい、寄りましょう!」
うきうきと店に入る2人。
「いらっしゃい。あ、こんにちは。今日はどんなポーションにする?」
気さくな店主が指さした冷蔵棚を見て、彼女は少し考える。
ヒーレ王国で飲む最後のポーション。どんな高い物、珍しい物にしようか。
そして。
「じゃあ――」
***
「さあリンさん、頂きましょう!」
道具屋から少し離れた草原。お尻が汚れるのも気にせず、憩は草の上に座る。
店主からもらったグラスのうちの1つをリンに渡し、青色の瓶を日に翳して揺れる水面を眺めた。
「いいのかよ。最後のポーションなのに、一番売れてるヤツなんか買っちまって」
「いいんですよ」
グラスに注ぐ憩。
店主の話を聞く限り、本当に普通のポーションらしい。シャーリとコージュだけで造ってるものの、磨きもそこまでではなく、吟醸造りでもない。
でも、それがいい。
「お酒を飲むってことは、この国の文化を飲むってことですから。最後はオーソドックスなもの味わいたいんです」
「そんなもんかねえ」
「それに」
ふう、とリラックスした息を吐いて、彼女は微笑んだ。
「美味しさは、何を飲むかより、誰とどこで飲むかで決まりますから!」
「……うははっ! だな! よし、飲もう飲もう!」
リンも楽しそうに両足で立つ。
「では、ヒーレ王国とリンさんの未来に、乾杯!」
「乾杯!」
カチンと音を立てて、憩はグラスをぶつけた。
まずは香りから。メロンに近いフルーティーさが、鼻をふわっとくすぐる。アルコール感はほぼなく、数回吸い込むと喉が我慢できずに騒ぐ。
スッと一口。丸くて強すぎない甘味は、クリアな甘酒のよう。そこに時たま遊びに来る辛味と舌を刺激する酸味が、味を引き締める。
飲み込むと、キュッと後味がキレて、微かな余韻だけが口に残った。
飲み始めから終わりまで、優しくて、柔らかくて、美味しい。「お酒って、美味しいな」と、ただただ幸せに浸れる、そんな一杯。
「うん、うめえ! 飲みやすいな!」
ぶふう、と深い息を吐いたリンを、憩が仰ぐような手付きで呼ぶ。
「リンさん、リンさん。ほら、おじさんからもらった肴です」
「おっ、待ってました!」
彼女が麻の袋から取り出したのは、大さじ一杯も入らなそうな瓶。
更に小さなそのコルクを開け、中の白い粉末をサラサラとリンの肉球の上に乗せる。
「はい、塩でもう一杯頂くとしましょう!」
「イコイ、この塩うめえぞ! ポーションが進む!」
呑み助が2人、風に吹かれながら、塩で酒を頂く。
***
「気を付けて帰れよ。まあ、移動は一瞬だけど」
「そうですよね。きっとあっという間です」
もともと来ていたワンピースとジャケットに着替えた憩が、リンの描いた魔法陣の中心に立つ。
「国王様がよろしく伝えてくれってさ。あとヴァクトやアイノも、飲みすぎないように元気にやれって。みんな今日だって教えたら寂しがってたぞ」
「わあっ、わざわざありがとうございます」
憩が持っていく荷物を確認していくと、リンが少し目を逸らしながら口を開いた。
「今回は……悪かったな。俺のイタズラに巻き込んじまって……」
彼女は目を丸くし、やがてプッと吹き出した。
「リンさん、素直ですね!」
「うるせえ! ちったあ悪いと思ってんだ!」
シャアッと歯を向けるリンに、憩は柔和な表情になった。
「いえいえ。楽しかったですよ」
「……ホントか?」
ええ、と頷く彼女。
「色んな方と出会って、美味しいお酒を酌み交わすことができました。多分あの日、ポーションを飲まなかったら、20日間ずっと散歩してただけかもしれません。だからホントに、楽しかったです!」
憩が言い切ると、リンは「そか」と尻尾を立てた。
「よし、じゃあいくぞ。元気でな」
「はい。リンさんもお元気で!」
リンが魔法陣の横に立ち、陣を描いた杖を持って、全身の茶トラの毛を逆立たせる。
やがて、円の中に白い靄が立ち込め、憩の視界は少しずつ遮られていく。
と。横にいたリンが、急に巨大化した。
「うおっ! 国王様、戻してくれた! おい、イコイ、見えるか! これが人間のリンクウィンプスだぞ!」
「えっと……よく見えないんですけど……」
「んだとお! クソッ、この煙のせいか!」
悔しそうに叫ぶリンを見て、憩は笑いながら挨拶した。
「リンさん、さようなら! あんまりイタズラしちゃダメですよ!」
「イコイもな! 飲みすぎんなよ!」
完全に靄に包まれた中で、憩に笑みがこぼれる。
よく見えなかった、と言ったけど、ホントは少しだけ、顔が見えた。
なるほど、アイノさんじゃなくても、好きになるかもしれないな。
***
気が付くと、憩は暖簾の前に立っていた。
月明かりの夜、人気のない路地、休業している居酒屋、猫の暖簾。
時計を見ると、彼女が転移してしまった日時ぴったり。
「ちゃんと戻れたみたいね…………あっ」
持ってきた荷物を見ると、1つヒーレから持ってきてしまったものがあった。
ポーションのコルク。よく見ると、短い猫の毛がついている。
「……ふふっ、お土産ね」
ネイビーのジャケットのポケットに入れ、スマホに登録している連絡先をスワイプした。
ひょっとしたら、またどこかの暖簾をくぐったら、みんなに会えるかもしれない。
そんな期待を膨らませて、今日は楽しい思い出に浸りながら、ポーションそっくりなお酒を飲もうかな。
「あ、もしもし。あと20分くらいでお店着けると思うんですけど、今から1人で入れますか?」
こうして、呑み助の楽しい夜が、また始まる。
そのポーション、熱燗で 〜呑み女(のみじょ)の異世界日本酒紀行〜 六畳のえる @rokujo_noel
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