七、稚き豊穣の鬼―いとけなきほうじょうのおに―

 民俗学というのは、縁の薄い者からすると、鬼や妖怪などがでてくる民話の蒐集家、もしくは研究家だと思われている節があるが、実際のところはそうではない。生活の歴史と言おうか、人々の暮らしや文化風俗を研究する者である。その中に民間伝承、民話が含まれているのであって、言わば鬼や妖怪は民俗学の中のごく狭いジャンルの一つに過ぎないのである。

 わたしは民間伝承を蒐集、編纂するのが専門ではあるが、他の分野についても仕事の依頼を受けることもある。学者というのは往々にして食えないもので、えり好みなどしていられないのが常だ。ましてや鬼の話など、ほとんど趣味のようなものだ。著作もあるが、専門性の高い書籍というのは発行部数も渋く――いや、よそう。愚痴が過ぎた。



 先日、大学時代の友人の伝手で仕事が回ってきた。彼は近畿、特に地元でもある大阪南部の地域史や民俗を得意としている。百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録され、かねてより縁のあった専門誌で古墳群の特集が組まれると知り、周辺地域の郷土史の企画をねじ込んだのだそうだ。ところが、どうしても外せない仕事とバッティングしてしまったと泣きついてきた。より実入りのいい仕事にありつけたか、もっと面白そうな話が舞い込んでそちらに食いついたか。昔から調子のいい奴であちこち手をつけてキャパオーバーを起こしては助けを求めてくるのである。



 ともかくそのような経緯で、わたしは彼の代わりに大阪府某市の住宅地にぽつんとある、郷土資料館へとやってきた。かつてこの辺りでは稲作を始め農業が盛んで、今もいくらか田畑が残っていた。道沿いには小さな地蔵がいくつか並んでいて、ご婦人方が作ったらしいカラフルな帽子や前掛けで着飾っている。なんとも長閑な景色だ。

 しばらく歩くと、白壁にぐるりと囲われた日本家屋が見えた。庭に植えられた紅葉が色づき青空に映える。ここが取材先の郷土資料館だ。見たところ、建てられたのは江戸後期だろうか。なかなか立派な門構えで、屋敷の主は、かつてこの地域の豪農であったことが窺える。現在は母屋の一部と蔵を利用して、古い民具や農具を展示してあると聞いていた。

 門をくぐると、主らしき壮年の男性が人懐っこい笑顔で出迎えてくれた。まずは母屋へと誘われ、彼の後に続く。土間の玄関に広々とした上がり框、廊下を進んだ奥の部屋へと通された。畳の上には年代物のパルメット文様の絨毯が敷かれ、革張りのソファーセットが置かれていた。昭和の時代にはこのような応接間を持つ家は多かったことだろう。ちなみにパルメット文様とは蓮の花の意匠のことで、ペルシアでは豊穣を意味する。農家らしいチョイスだ。

 主はざっと資料館のあらましを説明し、リーフレットを手渡してくれた。彼は昨年までは会社勤めをしていて、定年してからこの資料館の館長に収まったのだそうだ。そして申し訳なさそうに、自分は展示物についてはあまり詳しくはないのだと告げた。親父が生きていればもっとお役に立てたのにと、視線を落とす。父親は長患いの末、夏を越せずに鬼籍に入ったのだそうだ。

 いや、貴重な民具を保存、展示してくれているだけでもありがたいことだと告げると、ほっとしたように息をつく。彼自身は民具には大して興味はないが、父親が大切にしていた家の歴史を無下にはできずこの資料館を引き継いだ。そんなところだろう。

 あまり期待はできないが、わたしはもう習い性になっている質問をしてみた。この辺りで鬼の伝説はないか。それを知る人物はいないかと。主は困ったように首を横に振る。それはそうだろう。文献にも残らない伝説など滅多に出会えるものではない。だが、確かにまだどこかに眠っているはずなのだ。だからこそ価値がある。わたしは頷き、そろそろ資料を見せてもらうと立ち上がる。

 ご自由に気の済むまでご覧になってくださいと言い残し去ろうとした主は、ふと立ち止まり、少し言いにくそうに教えてくれた。

 十月の半ばを過ぎた頃から、蔵で度々異音がしていたらしい。よくある家鳴りだと気に留めていなかったが、先日、彼の奥方が展示物の埃を払っていたときに、何かに襲われたのだと言う。姿は素早くてよくわからなかった。だが、人のようにも見えたのだ、と。彼女は手に切り傷を負い、すっかり怯えて館内の仕事を手伝ってくれなくなったのだそうだ。妻の気のせいだろうが、念のため気をつけて欲しいと言う。

 猫が入り込んだか。それとも鼬か。狸はこの辺りには生息していなさそうだが、人を襲うほど凶暴なら野生化した浣熊あらいぐまかもしれない。



 わたしは忠告に感謝を述べ、蔵へと移動することにした。多くの方がイメージする漆喰で二階分ほどの高さのある蔵ではなく、平たく細長い作りの物が二棟ある。入ってすぐは土間、奥は板の間になっているから、昔は倉庫と使用人部屋を兼ねていたのかもしれない。

 展示内容は、個人所蔵としてはかなり充実したものだった。実際に使用されていた農具からは、当時の生々しい息吹を感じる。赤錆びた鍬や鋤の柄には人が繰り返し掴んだために擦れ、削れた跡がある。昭和初期くらいまでは現役だったと思われる木製脱穀機は、母屋にあったポスターによると、実際に脱穀するところを来館者に披露することもあるようだ。もう、それを懐かしいと感じる世代は存在しないのかもしれない。だが、後世に伝えていくことは非常に意義がある。民俗もそうだが、文化というものはときに人の心を強く縛り、また力を与えてくれるものでもあるが、一方、赤子のように守り育てていかないと恐ろしい速さで衰退してしまう脆いものでもあるのだ。

 農具の展示エリアの次には生活道具が並べられていた。江戸末期頃から昭和初期にかけて、年代別に整理されている。本当に、ごく普通の生活で使われていた食器や火鉢、秤もある。熱湯を入れて使用するアイロンはわたしの実家でも見たことがある。江戸時代に多く作られた和時計は一族の誰かがコレクターだったのか、なかなか充実していた。和時計の時刻は不定時法といい、十二支と数字で表す。丑三つ時というのはどなたも一度は耳にしたことがあるだろう。不定時法では一日を昼夜で分割し、さらに等分した一単位が一刻だ。だから季節によって一刻の長さが違う。同じ丑三つ時でも、夏と冬では現在の定時法で表すと違う時刻を差すことになる。定時法に慣れた身にとっては不合理的で難解なものに感じるが、季節や太陽の動きに合わせて時刻を表現するというのは、理にかなっているとも言える。

 さて、そろそろ昼も過ぎた頃……不定時法でいうなら午の刻だ。腹も空いてきたので資料館を出るか。ちなみに午の刻の真ん中が正午だ。それを境に午前、午後。午の刻は現代にもしっかり生き残っている。

 午後は資料館の近くにあるという城趾に行ってみる予定だ。私有地だが許可は取ってある。そのあとホテルに戻って、取材メモを元に草案を考える。取材が足りなければ明日また出直そう。そう思ったとき。

 カタン、と物音がした。音のしたほうを見ると陶器の杯が僅かに震えている。するとまた背後でコツン、コトン、と何かがぶつかるような音。それからパタタタと小動物が走るような音がした。主が言っていた異音はこれだろうか。

 誰かいるのか。わたしは問いかけてみた。すると、シュッと目の前を黒い影が過ぎる。

 

 子どもだ。子どもの鬼だ。身長は一メートルくらいだろうか。ぷっくりと丸い頬は赤みを帯びて、小さな鼻は上向きだ。つぶらな目は怒りに吊り上がっているが、瞼は赤く泣き腫らしたように見え、恐ろしさは感じない。ざんばら髪の隙間から、小さな角が見え隠れしていた。身につけているのは古ぼけた赤い前掛けだけだ。それも大事なところを隠すには至らず、彼が威嚇の声を上げるたび、棗のような陽物がふるふると揺れる。しかし、幼く愛らしい姿をしているからといって侮ることはできないことは身を以て知っている。

 何を怒っているのだ。静かに声をかけてみるがフーッと猫のように唸るだけで、今にも飛びかかってきそうだ。

 どうしたものか。下手に避けて貴重な展示物を破損しては困る。

 呼びかけに応えるように姿を現したのだから、何か訴えたいことでもあるのだろう。わたしは腰を屈め、先ほどよりもさらに優しい声音を作り話しかける。何か困りごとなら相談に乗る。わたしは君の味方だ、と。

 鬼は小首を傾げ、わたしをじっと見ている。無垢な黒い双眸は幼げで庇護欲を掻き立てられた。言葉が通じているのかどうか、わからない。ただ表情は先ほどよりは穏やかになり、様子を窺うようにすんすんと鼻を鳴らしている。その小動物のような表情からは、攻撃の意図は見えない。だが、甘かった。

 気がつくと眼前に黒い影が迫る。

 彼は鋭い爪でわたしの鞄を切り裂き――コンビニエンスストアで買ったおにぎり二つを、奪って去っていった。天気もいいし、あとで公園でも見つけて食べようと買っておいた物だ。

 呆気にとられ、わたしは尻餅をついたまましばし動けなかった。戻ってくる気配がないのを認め、恐る恐る鞄の傷を見る。見事に切り裂かれた鞄を眺め、彼の爪の鋭さに、改めて肝を冷やした。



 はぁ、おにぎりですか。

 訝しげな顔をして、資料館の主はわたしの言葉を聞き返す。翌日、わたしは再び資料館を訪れていた。

 そう、おにぎり。茶碗に盛ってもいいが、握ったほうが世話がないだろう。それを、新米が採れる頃に屋敷の裏にある石像に供えてはくれないか。そうすれば資料館の異音は収まり、人が襲われることもなくなるはずだ。昨日に引き続き訪れたわたしが藪から棒に言うものだから、主はますます眉間の皺を深くした。だが、ふと思い出したようにぽん、と手を叩く。そういえば父も、こそこそ握り飯を作っては、それを持って出かけていた。てっきり散歩の途中で食べているのだとばかり思っていたが、もしかして。独りごちたあと、主は言った。その習慣も、この資料館と共に自分が受け継ぐと。



 昨日資料館を出たあと、屋敷の周辺を散策して見つけたのだ。裏手の竹藪の隅にひっそりと佇む石を。雨に削られ苔むして、一見しては何かわからない。丸みを帯び、上から三分の一ほどの位置で僅かにくびれていて、そこには色褪せぼろ布にしか見えないような前掛けが巻かれている。顔と思しき位置にはよくよく見れば目や鼻らしき凹凸がある。そして口元には米粒が一つ、くっついていた。

 あの子鬼は、古くはこの地に根づく稲作の神であったのだろう。やがて稲作が衰退し、信仰する者がいなくなり、終にはあのような幼い姿になってしまった。それでもただ一人、彼に供え物をする者がいた。資料館の主の父君だ。信心深さからというよりは、自分の両親が続けてきた習慣を途絶えさせることに抵抗があったのかもしれない。その年採れた米を炊き、一番にこの古き神に捧げた。農業から退いても、ずっと。あの子鬼はきっと、供え物を心待ちにしていたのだろう。

 ところが、その習慣を誰にも伝えずに逝ってしまった。或いは、自分の思いを息子に押しつけるのを躊躇ったのかもしれない。子鬼は供え物がないことに怒り、会いにくる者がいなくなったことを悲しんだのだろう。そうして、資料館に様子を見に行くようになった。わたしの推測はこんなところだ。

 資料館の主は、詳細を伝えずとも供え物を了承してくれた。よほど父君を慕っていたのだろう。これであの子鬼の心もしばらくは鎮まるだろう。

 いずれは消えゆく神だ。小さな鬼となり果てても、まだ、消えるには早い。できることなら、少しでも長く留まって欲しい。わたしの身勝手で無責任な感傷であることは、自覚している。



 ところで。わたしが買ったツナマヨは、あの小さな鬼の口に合っただろうか。驚いていなければいいが。

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万世、鬼のはなし 絢谷りつこ @figfig

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