最終話 帰郷
エアーズロックは原住民のアボリジニにとっては聖地だ。
登山することは基本的に禁じられており、本来は大地の声を聞くべき場所とされている。
肌がひりひりとする昼。
僕はエアーズロックのまん前に立っていた。
この岩を登る代わりに、周りを歩いてみることにした。もちろん、この岩の頂上で絶景を見てみたい思いも強かったが、なんとなく、以前にアデレード行きの列車の中で会ったアボリジニのバージのことを思いだして、そうすることにしたのだ。
遠くからこの岩を俯瞰して眺めてみると、ダイナミックでずしん、とそびえているのに、近くでこうしてその周りを歩いてみると、実に細かな表情に富んでいることに気づく。岩肌の隙間から点々と雑草が生えている所もあるし、地面に面した位置に祠のような窪みがあって、そこにアボリジニの壁画が描かれていたりする。
赤い砂と岩に一体化した彼らの絵は、その生活と信仰を後世に残したものなのだ。それは、歴史というあやふやなものを語る絵だった。
ゆっくりと、心をそっと確実にそこに据えるように、歩を進める。
この大岩を撫でながら通ってきた風が辺りに流れているのを感じる。
それは自然が織りなす静かな表現であり、音楽だった。
上を向いた。
青い空に浮かぶ雲が、悠々と西へ流れてゆく。それから、ゆっくりと視線を戻した。
――これから、どれくらい歩いていくんだろう。
空を眺めた。
一枚岩の上に浮かぶ雲は、舟のような形をしていた。
二日に渡って、僕はエアーズロックを描きあげた。
赤いチューブをふんだんに使い、夕陽が赤く照らす岩の演出に没頭した。それは自分の自然であり、自分の心象風景だった。
できあがった作品にはまだ改善の余地があるが、とりあえず、この作品を受け取ってほしい人がいる。
この赤い大地を後にし、大切な場所へと帰るのだ。
アデレードを経由してついにパースに戻ってきた僕は、かつてない高鳴りを身体中に覚えていた。
時が経てば、今の充実感は消えていくのだろう。
けれど、いつかまた、こんなような道を歩いていこう――そう、自分自身に誓っていた。
自分が成長したかなんて、僕にはわからない。けれど、色んな人が支えてくれて、そのおかげで見てきたものは、忘れられるはずのないものになっていた。
サンもそろそろパースに戻ってくるし、カリステアス家にも久しぶりに訪れたかった。この目に映るパースは、変わらず温かいぬくもりを風にのせている。
ゆっくりと、僕は街に足を踏み出していった。
たくさんの景色をみたよ
そして これからもみるだろう
近くでも 遠くでも
見慣れたものでも 新鮮なものでも
心に残ってるものが
大事だって 思ったんだ
だから また歩いてゆくよ
ありがとう
また どこかで会おう
その時は 一杯やろう
帰るべき場所へ――
重いバッグを背に、家路へと向かう。
落ち葉の多い街路樹には、この目に懐かしい家々が建ち並んでいた。
歩道の向こうで、陽気な老婆が、僕に向かって大きく手をふっていた。
ティミーさんは強い日射しをものともせず、にっこりと笑っている。
僕も大きく手をふり、彼女の元へと向かう。
右手には、もちろんスケッチブックが抱えられている。
おわり
赤い大地へ~旅と空~ 芳月啓真 @punkskei
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