第6話
パーティへの出席者が全員ホールから出て行かれ、残っているのは私達、当事者家族とオスカー様、ヒューバート殿下だけとなりました。王妃様はチャールズ様の裏切りに傷付かれ、王太子殿下の婚約者様に支えられながら自室へと既に戻られています。
ホールに誰も居なくなったのを確認したお父様達三大侯爵家当主は国王陛下の手伝いをする為にホールを出て行かれ、お母様を含む当主夫人達は王妃様のお見舞いと説明、今後の事の相談に向かわれました。
チャールズ様の裏切りを表沙汰にした当事者家族が王妃様にお会いするのはどうかと言われそうですが、事が事だけに先延ばしにする訳にも参りません。何より、王妃様は現時点でもまだ『王妃』なのです。そして、次代の王の母です。立場に伴う責任があります。傷付いたからといって塞ぎ込み、全てをなかった事、見なかった事には出来ません。
王妃様は聡明な方です。立場や責任については重々承知しておられますので、お母様達が拒否される事はないでしょう。
お父様達は私達に説明を求める可能性もあるから帰らない様にと言って出て行かれました。
その為、先程まで使用していた休憩用の部屋で、どう行動するかはっきりするまで待つ事になりました。あの部屋ならば人目につく心配もありませんし、簡単なお茶等を淹れる事も可能です。待つのに問題はないでしょう。
皆で休憩用の部屋へ向かおうと歩き始めた時、エスコートして下さっていたオスカー様が私の手を軽く引きました。
「オスカー様……?」
「しっ」
驚いてオスカー様を見上げた私の唇にオスカー様の右手の人差し指が軽く触れ、潜められた声が私から言葉を奪いました。
戸惑っていますと腕が解かれ、私の腰にオスカー様の腕が回されました。
「こちらへ」
いつもとは全く違う強引な所作で、お兄様達が進む方向とは別の方向に促されます。
やはりどうして良いのか分からず、オスカー様を見上げながら促されるまま歩き始め、気が付きます。確かパーティの時、ヒューバート殿下がどこかに行く時は声を掛ける様に言っていませんでしたか……?
慌てて振り返りますと、こちらを時々見ていたヒューバート殿下と目が合い、笑って手を上げられました。オスカー様は既にヒューバート殿下には抜ける事をお話していたようです。
私はヒューバート殿下に対し軽く頭を下げて謝罪しますと、オスカー様の歩く速度に合わせ、小走りでオスカー様の目的地へ向かいました。
軽く息が上がりかけた頃にたどり着いたのは、王族や侯爵家以上の高位貴族のみ立ち入る事を許されているバルコニーでした。
既に深夜近い時間帯の為、バルコニーから見上げる空には猫の目の様な三日月と満天の星。眼下に広がる庭園には夜の帳が下り、淡いオレンジ色のランプの光が所々を照らしているだけです。
バルコニーの扉から差し込む室内の光は殆どなく、意匠を凝らした手すりに近付きますと、月と星の明かりだけが私達を包み込みました。
「ディアナ」
真剣な声が私を呼びます。
息を整えてオスカー様を見上げますと、静かな紫の瞳が私を見詰めていました。月と星の光はオスカー様の背後にある為、瞳の中にどの様な感情を隠されているのか全く分かりません。
「オスカー様……?」
真っ直ぐにオスカー様を見詰め、名前を呼びかけました瞬間。腰に回っていたオスカー様の腕に力が入り、私の視界が黒一色に染まりました。
ドレス越しに伝わる熱に、抱き締められているのだと理解し――鼓動と体温が急上昇していきました。
「おぉぉぉぉぉ、オッオスカー様!?」
……婚約してから10年の月日が流れていますが、オスカー様に抱きしめられたのはこれが初めてです。いえ、先程、背中から抱き締められていますので2度目ではありますが、正面からは初めてです。
いつもはエスコート等で寄り添う程度ですので、近過ぎる――といいますより、密着しているゼロ距離に全身が心臓に変わったかの様に脈打ち、息が、苦しいです。
想像もしていなかった事態に恋心もあいまって冷静でなどいられる筈もなく、呼び掛ける声はどもりながら上擦り、恥ずかしさと落ち着かなさから身動ぎしようとしたのですが――背中に回された2本の腕の力が強まり、それはかないませんでした。
「ディアナ」
耳元に落ちる掠れた声。
今まで聞いた事もない艶っぽさの様なものを感じ、私の背中をゾクッとした何かが駆け抜けていきます。
「ディアナ」
縋り付く様に私を掻き抱く腕に誘われ、少し背が反る事でオスカー様と更に密着し、私の目には夜空が映りました。
光を放つ月と星に導かれ、私は自然とオスカー様の背に手を回し――ギュッと、抱き締めてみます。
すると、オスカー様が微かに震え。
熱い息がドレスに覆われていない首筋を擽り、ゆっくりと体を起こしたオスカー様の瞳が私を映し、微かに細められました。
見た事もない光を宿した紫瞳。私は、オスカー様のその瞳に、捕らわれました。
「――オスカー、様?」
瞳を逸らせないまま、オスカー様の背中に回している手に力が入ります。
私の緊張具合に気付かれたのか、オスカー様は微かに笑いながら私の背中をポンポンと叩いた後、すっ、と背中を撫でられました。
「――――っ!?」
びくっと震えた私に再び笑われ、オスカー様は結い上げられていた私の髪をほどき、一房手に取り口付けられました。
「――ディアナに、言いたい事がある」
言いたい、事? 今、ここで?
オスカー様の固い声に、私の中に隠れていた恐怖が顔を出してきました。まさか――まさか、本当に、婚約を破棄、されてしまうのでしょうか?
私、何かした――いえ、もしかして、何もしなかった事で呆れられたのでしょうか? それとも、先程リリア様に言い返した事で幻滅でもされてしまったのでしょうか?
不安の所為か、私が見ているオスカー様の顔と夜空が揺らめきます。
いけない、と思い、視線を夜空に移して堪えようとした時です。
「すまなかった」
「――え?」
オスカー様の呟きが一つ、落ちました。
声と言葉に導かれオスカー様に視線を戻しますと、少し目を伏せたオスカー様の顔には苦々しい思いが浮かんでいました。
「誰よりもディアナを大切にしたいのに――こんな事に巻き込んで、すまなかった」
「……え?」
またしても予想外です。予想外過ぎます。
幻滅されたのではと思っていましたのに謝られ、私の幻聴かもしれませんが、今まで言われた事も、聞いた事もない言葉を耳にした様な気がします。
「手紙が途絶えた時、決まりなど無視して帰国し、ディアナに会えば良かった。そうすれば、ディアナに他人行儀な呼び方をされる事も、くだらない誤解をされる事もなかったのに……」
「……誤解、です、か?」
「そう、誤解。私が心の底から愛しているのはディアナだけで、他の女が私の心に入り込む余地等全くないというのに……。その機会を逃した所為で拒絶され、帰国して直ぐに君に会う事が出来なかったんだ。こんなつらい事はないだろう!?」
「――――」
私の願望が、聞こえてきたのかと思いました。
ですが、真っ直ぐなオスカー様の紫瞳が私を貫き、聞こえた言葉が幻ではないと教えてくれたのです。
「オス、カー、様……」
歓喜が全身を震わせ、私の瞳に熱いものが込み上げてきます。
「ディアナ。君を愛してる」
何の飾り気もない真っ直ぐな言葉。それは私の心を擽り、込み上げてきたものが零れるきっかけとなりました。
オスカー様の親指が私の涙を掬い、クリアになった私の目は、近付いてきた紫の中に今までとは違う光を見付け、逸らす事等、出来ません。
「君だけを愛している」
囁き声と熱い吐息が私の頬を髪を撫で、請う瞳が光を増します。
「君だけが、愛しい」
涙を掬った手の平が私の頬を包み込み、背にあった手が私の腰を更に抱き寄せ。
「……返事を、貰えるか?」
心臓が、止まるかと思いました。
こんな夢みたいな事、本当に、あるなんて……。
しかし、夢ではない証が私の全身を包み込んでいます。
私は――今回の事で実感致しました。
オスカー様を――この方を、誰にも渡したくないと。例え運命の相手であろうと、譲りたくありません。
そんなの当然です。私だって――
「――オスカー様、愛してます。私も、貴方だけを、愛して――」
続きは、熱いものに絡み取られ、溶けていきます。
長い間燻っていた気持ちが一気に爆発し、私はオスカー様に縋る事しか出来ません。
「――」
「ディアナ――」
微かに零れる吐息。角度を変えて何度も何度も口付けられ、最初はあった恥ずかしさもキスがひとつ増えるたびに蕩け、今はもう、オスカー様だけを求めています。
もっと――もっと、証を下さい。
愛してる、あなたを愛してる、あなただけを愛しています。ずっとずっと、愛していました。
醜い欲望が蠢き、叫び声を上げています。
私だけを見ていて、私の傍に居て、もうハナサナイデ――――
「お、っと――」
気が付きましたら全身から力が抜けていました。
息も絶え絶えになり倒れ込みそうな私をオスカー様が支え、くすりと笑いながら私を再び抱き締めて下さいました。
「ディアナ、可愛過ぎる」
「っ!?」
ど、どなたですかっこの方はっ!? わ、私、この様な言葉を口にする殿方など、知りませんよっ!?
全身の熱が高まり、この夜闇の中でも私が真っ赤となっているのはオスカー様に筒抜けだと思います。
羞恥心が襲ってきて逃げ出したいのですが、オスカー様がそれを許してくれません。
内心、見悶えていますと。
「ディアナ」
オスカー様が私の名前を呼び、次の瞬間、私の体が宙に浮きました。
「控えめに笑う君が好きだ」
バルコニーの手すりに私は腰掛け、落ちないようにとオスカー様の腕に囲われます。
「優しく、他人を思いやれる君が好きだ」
少しだけ上から見下ろす形になった私は、オスカー様の言葉をジッと聞きます。
「必要な時にはきちんと物を言える君に惚れ直した」
……リリア様に言い返した時、オスカー様はそんな事を思っていたのですか……。
「ずっと、君だけを見ていた。君だけを愛していた」
それは――
「私も、です。オスカー様だけを、見ていて、オスカー様だけを、愛しています」
オスカー様の瞳が嬉しそうに細められ、唇が弧を描きます。
「この先の未来も、ディアナだけを愛してる。だから――」
オスカー様の表情が引き締まり、真摯な眼差しが私に向けられます。
「私と、結婚して欲しい」
紫の瞳が、私を、私だけを映しています。
「婚約者だからではなく、私個人を、私自身を、ディアナに選んで欲しい」
再び、オスカー様の顔が、滲んでいきます。
「父が起こした今回の事件で、私が王族であり、当事者である事から、厳しい視線と苦難が待っているだろう。そこに、これ以上君を巻き込みたくないという思いもあるが、それ以上に――君を、手放せない私が居る」
オスカー様の顔に苦悶が浮かびますが、瞳は逸れません。
「もう自分でもどうしようもない程、君が好きで、好き過ぎて――手放せない。君の全てを愛してる、愛してる、君が、君だけが、欲しい」
とうとう零れ落ちた涙を、オスカー様が優しく受け止めて下さいます。
「ディアナ――私の唯一。私の全て。苦難の道を、共に、歩んでくれないか? 私と共に、未来の全てを、生きていって欲しい」
そんな、縋る様な声を出さないで下さい。
そんな、試す様な事を言わないで下さい。
答えなんて、決まっているのです。
貴方が、どんな方であろうと、私の心が選ぶのは、貴方しか居ないのです。
「――はい、オスカー様。私も、貴方を、貴方の全てを愛しています。共に、生きていきましょう」
優しく引き寄せられ、再び重なる唇。
でも今度は、通じ合った想いを確かめ、求め合う様な熱いものではなく――誓う様な、優しいキスです。
魂が震えるとは、こういう事を言うのでしょうか?
オスカー様。貴方は私に、様々なものを下さいます。
不安も、寂しさも、苦しさも、嫉妬も。
それ以上の喜びも、嬉しさも、幸せも、愛しさも。
貴方が私と共に生きていって下さると誓うのなら、私も、誓いましょう。共に生きていくと。どれほど厳しい道でも、貴方と共に乗り越えていきましょう。
ああ……貴方を失うのではと恐怖し、臆病になっていた自分に言いたいです。
オスカー様を忘れたいなどと、思わないで。
忘れられれば苦しまなくて済むのにと、思わないで。
存在しない魔法を、望まないで。
その痛みも、苦しみも、私の『今』に繋がっている。
未来は、どんな展開が待っているか、分からないのです。
だからどうか、逃げないで。
自分らしく、想いを、大事にして。
乗り越えたからこそ、こうして、幸せな言葉を紡ぐ事が出来るのです。
「愛しています」
誰よりも愛しい温もりに包まれ零れた真実は、貴方と、月と星だけが知っています。
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