多数決原理のマイノリティ

本陣忠人

多数決原理のマイノリティ

 ぼくは多数決が嫌いだ。

 所属する集団の半分以上が手を挙げれば善が悪になり、正が負になる悪魔の制度。


 白いものを黒いと言わされることが嫌いだ。どうしようもなく嫌だ。

 不味いものを口に入れて、それでも同調の為に笑顔を作る不自然さをどうしたって受け入れられない。


 けれど、そんな僕のピュアな思いなどお構いなく、今日もまた学級会が開かれる。

 今月に入ってもう四度目の稚児裁判。


 前回の議題はもう忘れてしまったけど、今回は何だろうか?


 最近の話題で言うなら、女子の間で除け者にされている吉崎さんのことか、それとも隠れてトイレで煙草を吸っている中山くんのことかがありえそうだけど。


…どうやら、どちらでも無いらしい。


 被害者として壇上に挙がったのはクラスで一番可愛い高橋さんのようだから。


 整った顔を愛嬌のある形に歪める彼女は頭が良く、運動神経もいい。確か陸上部のホープだったと思う。


 そしてそれを傘に着ない態度で男女問わずに好かれている魅力的な女の子だ。


 そんな彼女が被害者と言うこともあってか、クラスの空気がいつもよりも何処か熱っぽい。

 犯人が確定すれば火炙りにでもしそうなくらいに真剣な顔がほうぼうに並ぶ。


 議長を務めるのはクラス委員長。

 大きくて分厚い眼鏡を神経質そうな顔に着用した真面目ちゃん。


 その言によると高橋さんの体操着が盗難の被害にあったらしい。

 まさかとは思うが万が一の可能性もあるので手荷物検査に協力して欲しいとのことだ。


 ぼくはバカバカしいと思った。


 もし犯人がこのクラスにいて、周囲にバレない様に体操服を盗む程度の知能があるのならば、物的証拠たるそれを手元に置いておく筈が無いからだ。


 けれど、矢面に立たされて悲しみと恥ずかしさに頬を染めて俯く高橋さんが、なんだかとても可愛らしく見えて。

 得も言われぬ程に魅力的であるように思えたせいか、表面上は素直に協力することにする。


 委員長と担任教師の号令でクラスメイト三十五人がバッグやポケットの中身を机に並べた。


 そしてその二人が容疑者を一人ずつ訪ね歩く。

 並べられた証拠品を一瞥して、最後に空っぽの鞄を確認する。なんとなくスポーツ観戦の前の手荷物検査を思い出した。


 三十分かからずに全員分の確認が終わったが、誰も物的証拠を持ち合わせてはいなかった。


 つまり犯人はいなかったということだ。


 けれど、狂言でない限り被害者がいるのは覆らない事実である。


 そして、ここから先が最高に愚かで悲惨だった。


 犯人不在で未解決という煮え切らない結果を受け、心の表裏で煮えたぎっていたであろう不満。

 そんな不発弾に似た衝動を爆発させたクラスメイト達が証拠も無しに互いの名を次々と挙げて、泥沼の糾弾合戦が始まったのだ。


 アイツが犯人だ。


 誰も彼もが様々な名前を口にして、色々な理由でゴミ箱に消えていく。


 不毛な争いに熱を上げる皆々様の中には冬服を脱いでシャツになった者もいる。全く、熱心でご苦労なことである。


 その骨肉の争いの中でぼくの名前が出たりもしたが、アリバイを主張した。

 そのうちに証拠不十分の保留状態の内に忘れられたけど。


 やがて痺れを切らした教師は前述の最悪の手段を取った。

 投票による多数決で犯人を決めると宣言したのだ。


 今からクラス全員の名前を一人ずつ呼んでいくから、犯人だと思う奴のところで手を挙げろと。

 皆が目を閉じれば犯人を知るのは自分だけだと。


 そんな現行の裁判制度や刑事手続に一石を投じる程に非論理的な提案を打ち出したのだ。


 現代的な倫理観やロジカルに基づけば絶対に、確実におかしく成立しない論法だ。


 にも関わらず、当て所無き諍いに疲弊した同級生達は信じ難い事にそれを呑んだ。


 脳を失くした愚かな大衆はこれならば平等だと思考停止的に判断したのだ。


それを平等な不平等を押し付けた圧政の様に感じたが、悪目立ちの可能性を恐れて発言は控えた。


 そこからは地獄みたいな時間である。


 長い前髪の裏からそれを目撃したが…それはそれは、筆舌に尽くし難い、本当に酷い光景だった。目も当てられない有様だった。


 教師が一人名前を口にする度、ポツリポツリと疎らに手が挙がる。

 普段仲良く見せている友人達の上辺が敢え無く崩落するのが見て取れる。


 或いは特定の個人を、犯人に仕立て上げ様とする恣意的な企みが容易に想像出来た。


 取り巻く信頼関係の脆さに慄く内に不人気投票が終わった。

 多数決で加害者に祀り上げられた第三者が確定したのだ。


 それが不良の中山君。

 哀れな被害者。


 勿論、教師はその名前を直接皆に伝えはしなかった。

 後で個別に呼び出すとだけ告げて学級裁判改め、論理無き哀れな民主主義は閉会の運びとなった。


 青ざめた表情の高橋さんをちらりと視界の端に収めながら僕は一人で帰路に着く。


 冬服の中のシャツ。

 その下に着込んだ彼女の体操着に僕の汗が滲む。


 僕と彼女、二人の体液が溶け合うのを感じながら熱気の残る教室を後にする。

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