偉大なる魔女と偉大なる皇帝


「断る! 帰れ!」


 イワンがまず訪れたのはアーファナ大陸でも未だ未開の地が多い山岳地帯だった。そこには小さな村が点在していて、細々とした生活を送っていた。田舎、というべきなんだろうか、都市部の煌びやかさ華やかさとは打って変わった場所だった。

 その内の村の一つに訪れたイワンは村はずれに立っていた一見の小さな小屋を訪ねた。出迎えてくれたのは三十手前ながら、整った顔立ちの男だった。大陸には珍しい黒髪の人で、私たちともどこか顔つきが違っていた。

 彼の名はオーグ・マイコート。村では子供たちに勉強を教えているらしい。


「帰らん! オーグ、力を貸せ!」

「だから帰れって言ってんだろ!」

「だから帰らぬと言ってるだろ!」


 オーグさんはイワンの顔を見るなりこの態度だった。どうも二人は昔からの付き合いらしい。なんで帝国の王子と村外れの教師が知り合いなのかはよくわからないけど。

 二人が言い争いをしていると、オーグさんの家からぞろぞろと年若い少女たちが現れた。みんな、美人で、可愛い女の子たちだった。


「そーだそーだ、帰れ帰れ!」

「先生は王子のものじゃないぞー!」

「くたばれー!」


 女の子たちは一斉にイワンに向かって罵倒を始める。

 なんなんだ、一体。


「えぇい、黙れ黙れ! おい、オーグ、お前は神に選ばれた聖勇者だろうが。世界の危機だぞ、救え」

「うるせぇ! 俺はなぁローグライフしてたいんだよ。なんでまた剣握ってドンパチしないといけないんだよ。それもお前に振り回されてだ!」

「世界を救うのが勇者の役目だろ」

「ね、ねぇイワン。どういう事?」


 聖勇者とは古い言い伝えというか、物語に出てくる伝説の勇者の事で、神が遣わす救いの者だとかなんだとか。そういえば、アーファナ大陸から海を越えた別の大陸ではそんな物語が一つの教えとなっていると聞いたことがある。


「いいかサーシャ。こいつは何を隠そうその伝説の聖勇者なのだ。だというのにこいつはその最強の力を振るわずこんな田舎でくすぶっているのだ。昔はもう少しぎらついていたのだがな」

「お前に振り回されたんだよ! そもそも俺はなぁ……」

「あぁ、わかったわかった」


 イワンはオーグさんの言葉を面倒臭そうに遮った。


「どうせこの世界の人間じゃないとか抜かすのだろう。だがな、今はこの世界に住んでいる以上、貴様の役目はまだ続くという事だ。いいから俺たちに協力しろ。このままアホの兄貴たちを放っておくと、貴様も追われるぞ。いいのか? 隠れて魔法を教えている事がばれれば、その小娘どもも魔女として処刑されるぞ」

「う……」


 半ば脅しに近い言葉にオーグさんを言葉を詰まらせた。


「わ、わかった。わかったよ。くそ、なんでこんなことに……」


***


「おい、まさかあの女まで誘うつもりじゃないだろうな」

「誘う。あいつの力は強大だ。そして俺が知る中で、最強の魔法使いだ」


 オーグさんを仲間に無理やり引き込んだ私たちは次なる仲間を求めていた。どうやらイワンにはまだあてがあるらしい。


「ねぇ、その最強の魔法使いってのが知り合いなら私を連れださなくてもよかったんじゃ……」

「……いや、無理だ。あいつは、なんだ、ヤバイ」


 なぜかイワンは冷や汗をかいていた。オーグさんも沈痛な面持ちだった。


「あいつに頼るのは最後の最後、背に腹は代えられない時だと思っていた。そして、今がその時だ。よもや魔女が見習いのぺーぺーだったとは思わなかったからな」

「う、うるさい! 私、最初にそういったはずでしょ!」

「まぁそんなことはどうでもいい。一国を相手にするのだ。この際、手段は問わぬ」


 そうして私たちが訪れたのはとある街、そこに住む住人はみんな穏やかで、優しいのだけどなんだかこう、無気力を感じさせた。

 目つきがとろんとしていて、動作がゆったり、なぜだか退廃に匂いを感じた。

 そんな奇妙な空気とは桁外れに違う存在感を放つ教会が街にはあった。掲げている紋章を見るとそれは聖神秘教会のものなのだけど、その紋章には大きな傷がつけられていた。私は信徒じゃないけど、それがどれだけ恐れ多い事か……。


「また随分とやらかしてるな、あの女」


 オーグさんは顔を覆った。

 この街に来てからこの人はずっと「帰ろうぜ」と言っている。一体何が彼をここまで恐れさせるのか、その時の私にはわからなかった。

 そうこうしている内に、私たちはその教会へとたどり着く。中からは讃美歌らしきものが聞こえてくるのだけど、どうにも私の知るそれとは違った。


「なぁイワン。まさかと思うが、俺を連れだそうとしたのは……」

「黙ってついて来い」


 イワンが教会の扉に手をかけた瞬間、ぴたりと讃美歌が止まる。

 重厚な音を立てながら、扉が一人でに開く。


「あらあらあら!」


 いつの間にそこにいたのか、扉の前には胸の大きい聖女がいた。純白の衣装に長く清らかな金髪、物憂げな表情の中に潜む聖母のような優しい顔つき、そして、それとは正反対に感じる邪な空気。

 私は思わずあとずさりした。この女、聖女じゃない。


「まぁまぁまぁ! 懐かしい匂いだと思っていたら」

「うおぉ!」


 聖女は大きな胸を揺らしながら、オーグさんに抱きついた。

 ぎりぎりと力を込めているのがわかる。


「てめ、放せ!」

「まぁ酷い事いうのね。遂に私を殺してくれるのではなくて?」

「やかましい! 死にてぇなら勝手に死ね! おい、イワンなんとかしろ」

「久しぶりだな、クロラ。突然だが貴様の魔神の力を借りたい」

「えぇいいわよ?」


 聖女クロラはあっさりと承認した。

 って、えぇぇ!


「い、いいんですかそんなにあっさりと!」

「あら、魔女さん。こんにちわ」


 クロラは一発で私を見破った。


「いいもなにも、聖神秘教会の関係でしょう? 最近私の街にもちょっかいをかけてくるから困っていたの。私はただ神の教えを広めているにすぎないのに……」

「邪神の間違いだろ」


 ぼそりとオーグさん。


「紹介する。こいつはクロラ。見ての通り、邪悪な聖女だ。つい最近まで世界を滅ぼそうとしていた奴がだ、オーグに惚れ込んだのでやめた頭のおかしい奴だ。おい、魔神、起きてるか」

『帰れ』


 低く、唸る声がつい最近聞いたような言葉を発した。


『おい、小僧、帰れ。吾輩を巻きこむな』


 ぞっとするような威圧と共にクロラの背後から漆黒の魔神が現れた。黒いもやのようなものに包まれた魔神には無数の角があった。それは王冠のようにも見えるし、もやはマントのようにはためく。


「サーシャ、こいつは魔界の悪魔だ。デーモンロードといえばわかりやすいだろう。こいつがクロラをそそのかし世界を滅ぼそうとした邪悪だ。今はクロラに飼われている」

『飼われてなどいないわ! いつかこの世界を支配する為に力を蓄えているのだ! さぁ、勇者よ、この女をさっさと殺せ! そうすれば吾輩は封印から解放され――』

「さぁさぁ、イワン。私は何をすればいいのかしら?」


 クロラは魔神の首根っこを掴み、自分の体に押し込むと、ニコニコとした顔で、逃げようとしていたオーグさんの腕をつかみ、尋ねた。もう着いて来る気満々だった。


「なぁに、簡単な事だ。国を取り戻す!」


 そんなこんなで私たちの途方もない計画が始まった。

 その旅は、まぁ、なんだろう、楽しい旅だったかなぁと思う。


***


 そして――


「うわーっはっはっは! ひれ伏せ者ども! 神君にして偉大なる皇帝イワン様だ!」


 豪奢な衣装と王冠、王笏を身に着けたイワンがバルコニーから姿を現すと国民は大いに沸いた。それは歓喜の声だった。


「俺様は約束しよう! 未来永劫、この国の繁栄は約束された!」


 イワンの馬鹿はまた適当な事を言っている。

 私は頭を抱えた。

 イワンは、とうとう皇帝に上り詰めた。双子の兄たちを抹殺し、彼らをそそのかしていた聖神秘教会は解体され、なぜかクロラさんのものになった。それはそれで危険だという事でオーグさんは責任をとって聖勇者として君臨している。


「者ども! 我を称えよ、我を崇めよ!」


 で、イワンの馬鹿は皇帝に即位した瞬間、瞬く間に各国と連合を築いた。そして、彼は私との約束通り、魔女の迫害の歴史を改める事を約束してくれた。それは長い年月がかかるかもしれないが、ゆっくりとしかし確実に進んでいた。

 それにしてもイワンの馬鹿、ちょっと調子に乗りすぎているな。


「ちょっと、イワン、あまり適当な事を言わないでよ」

「ん? あぁ、立てるのか?」

「あんたのうるさい声を聞いていたら寝てられないのよ」


 私は大きくなったお腹をさすりながら、溜息交じりにイワンの傍に立つ。すると、先ほど以上の歓喜の声があがった。


「どうするつもり、この熱狂」

「なに心配するな。この国は偉大なる皇帝である俺様と、偉大なる魔女であるお前がいる。恐れる事はないさ」

「そうかしら……私は不安で仕方ないわ」


 私はイワンの馬鹿に寄りかかった。やっぱり立つのは辛い。イワンは私の肩を支えてくれた。

 まぁ、気長に見守りましょうか。このバカな皇帝の行く末を。

 そしてこの子の未来を……

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廃嫡王子とバーバヤーガの弟子 甘味亭太丸 @kanhutomaru

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