第5話
「昨日、悪魔の小瓶の話を聞かせてくれましたね」
「えぇ、身体が乗っ取られてしまう、恐ろしいお話ね」
「はい。僕もあの後に考えたのですが」
「何を、かしら」
お嬢様も落ち着きを取り戻し、今は大きな岩に二人、腰掛けている。隣のお嬢様は続きを期待するように僕の顔を覗き込む。
「やはり、僕も気が付かないのだと思います。お嬢様が乗っ取られたとしても」
「そう」
お嬢様はそっと目を伏せ俯く。お嬢様の静かな動作は、いっそ罵倒してくださった方が楽だと思えるほど、胸に刺さる。なので、それを笑顔に変えたいと、更なる続きを口にする。
「しかし、お嬢様が小瓶を開けてしまう前に、僕が悪魔となりましょう。そして願いを叶えて差し上げます。三つと言わず、いくつでも」
ポカンとした表情を浮かべ、やがて僕の言った言葉を理解したらしく、からかう調子で言う。
「フフッ、そう。それなら、ランプの魔人のほうがふさわしいのではないかしら。あなたには」
「いいえ、悪魔ですよ。見返りを求めずに願いを叶えるだなんて献身的な行い、僕に出来るとは思えませんから」
「なら、悪魔となったあなたは、私から何を奪うのかしら。やはり魂?」
「そうですね。僕は悪魔の中でも強欲な者になってしまうでしょうから、魂なんて言わずに、」
「言わずに?」
「あなたの半生を頂けたら」
驚きに見開かれた目は、徐々に細められ、やがて柔らかな笑みへと変貌を遂げる。
「半生だなんて、強欲が聞いて呆れてしまうわ」
「そうですかね?」
「えぇ。もしも私が悪魔なら、半分だなんて言わずに、」
「言わずに?」
「一生涯私だけを愛しなさい、と言うわね」
得意げに、だけど僕から顔を背けて言う。
「一生ですか」
「そうよ。腐臭漂う死体になっても抱きしめなさい」
凄まじい代償だ。
「さて、強欲ということがどういうものか理解できたなら、やり直しなさいな」
「はい。お嬢様」
深呼吸をし、見つめ合う。
「あなたの姓を、捨てていただけませんか」
「構わないわよ、悪魔さん」
躊躇いなく答えたあたり、何を言ってもそう返すつもりだったのだろう。
「その代わり、新しい姓を頂けるのでしょう?」
「はい、僕とお揃いでよければ、ですけれど」
「フフッ、それしかないと言うのなら仕方ないわ。それで我慢しましょう」
ヤレヤレだぜ、と肩をすくめているけれど、顔がほころんでいるように見えるのは僕だけだろうか。
「な、何かしら」
「いえ、一つ目のお願いを待っているのですよ」
本当のことなど改めて言うまでもなく、お嬢様は自覚したようで、両手で頬を包んでこちらを睨む。
「お願いなら昨日、言ったはずだけれど?」
ニヤニヤと、珍しく挑戦的な笑みが、お嬢様の表情を支配する。
「ご心配なく、ちゃんと覚えていますよ」
執事として当然のことである。
もう足はすくまない。
僕は恋愛がしたいという願いを叶えるため、お嬢様との距離を一歩、縮めた。
悪魔の小瓶 音水薫 @k-otomiju
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