魔女集会で会いましょう

もがみたかふみ

魔女集会で会いましょう

 遥かな昔、まだ、魔女と人が同じ世界に暮らしていた頃のこと。一人の魔女が、居城を構えて暮らしていた。見かけは妙齢の女だったが、三百年以上もの間、魔術の研鑽を積み、強い力を持つ魔女だった。


 ある日彼女は、居城の前に何か見慣れぬものを見つけた。ボロきれの塊のように見えたそれは、どうやら子供らしかった。


「行き倒れかしらね……」


 魔女がボロボロのフードの襟をつかんでひょいとつまみ上げると、子供は弱々しくもがいた。


「放せ!」

「おや、生きてるのね。親はどこにいるの?」

「死んだ」

「あら、そう。おや、あなた……」


 魔女は子供のフードをとった。子供の瞳が紅く光った。


「妖魔の子なのね」

「お前だって魔女じゃないか」


 子供が言い返すと魔女は笑った。


「たしかに魔女はもう人とは言えないか……似た者同士、面白いわね。あなた、お腹が空いているんでしょう」


 子供の動きがピタリと止まった。


「食事にしましょう。服も替えなさい。ただし、私の言うことには従ってもらうわよ」


 魔女がポイと手を離すと、少年は地面に尻餅をついた。


「名前は?」

「……ジェス」

「私はフィリルカよ」


 こうして妖魔の少年ジェスはフィリルカの所有物となった。ジェスは初めは警戒心が強かったが、フィリルカが純粋な気まぐれから自分を拾っただけだとわかると、次第に子供らしい図々しさを発揮するようになった。二人は次第に時間を積み重ね、互いに軽口を叩きながらも親子の信頼を身につけた。


 ジェスはすくすくと成長し、十七歳になる頃には、屈強な妖魔に成長した。フィリルカより背も高く、肩幅も広い。知恵もあり、フィリルカはいずれ、魔法の手ほどきをしようと考えていた。


 さて、魔女たちは、年に一度、ブローチェンの山頂で魔女集会を開くしきたりになっていた。フィリルカは毎年欠かさず出席し、その留守はジェスが一人で城に残った。


「なあ、一度くらい魔女集会に連れて行ってくれよ」

「だめだめ。そんなことより、留守の間に掃除をさぼらないようにね」

「ちぇっ、子供扱いしやがって」

「まだまだ子供よ。さ、行かなくては」


 フィリルカはほうきにまたがると、伸びやかに空に飛び上がった。西に向けて進路を変えながら、フィリルカは独りごちた。


「まったく、なりばかり大きくなって。そろそろもっと大きな家に移らないと、窮屈そうね……」


 ブローチェン山は、西の果て、ブルンゲレの森の向こうにあった。広大なブルンゲレの森は魔獣の住処で、足を踏み入れて無事帰ってくるものはいない。その向こうにあるブローチェン山は、空を飛べる魔女でもなければ、決して近づこうとも思わぬ場所だった。


 魔女集会を束ねる長は、ゲルークという年長の魔女だった。ゲルークは見た目は妙齢の女性だったが千年を超えて生きており、ブローチェン山に宿る魔力を集め、水晶の像から未来を読み解く予言の魔術を操ることができた。魔女集会のクライマックスはこのゲルークの予言であった。


「フィリルカ、遅かったじゃないか」

「ええ、少し遅れてしまったわ。ルルガ、元気だった?」

「上々さ」

「ハビィはだいぶ酔ってるわね」

「当たり前だろ、あたしが酔ってない時なんかありゃしない……」

「ゲルークの予言は?」

「まだだよ。今年はだいぶ時間がかかってるね」

「あいつったら、あいつったら、あたしのことをいつも叱りつけて、あの婆ァめ……」

「そのくらいにしておきなさいよ、ハビィ」


 フィリルカは怖い声を出した。


「ゲルークのことを悪く言うようなら、私が承知しないわよ」

「おお、怖い」


 酔っ払った魔女は肩をすくめた。


「何さ、ゲルークの肩ばかり持って。あんたときたら、昔っからゲルークにべったりでさ」


 その時、大きな銅鑼が鳴って、大魔女ゲルークの登場を告げた。


 漆黒のドレスを身にまとい、魔女の長ゲルークが姿を現した。ほっそりとした長身だが、全身に魔力をみなぎらせ、その堂々とした振る舞いには千年を超えてなお魔女に君臨する者の威厳があった。


「凶兆が出ました」


 開口一番、彼女は告げた。魔女たちは驚きざわめき、顔を見合わせた。


「水晶は告げました。『人ならざるみなしごが、魔女たちを滅ぼすだろう』と」


 酔っ払っていた魔女でさえ黙り込んだ。これまでゲルークの予言が外れたことは一度もなかった。そしてこれほどまでに決定的な予言がなされたこともなかったのだ。


 魔女たちは、死刑宣告を受けたかのように青ざめ、しばらくの間は口をきくものもいなかった。


「なんてこった……人ならざるみなしごだって。いったいそんなのがどこに……おい、フィリルカ? どうしたのあんた? ねえってば」


 フィリルカはすぐさまほうきに飛び乗り、全速力で飛び上がった。彼女は居城を目指し、一直線に飛んだ。


 居城の塔に着陸すると、彼女は石段を二段跳びに駆け下りながら、ジェスを呼んだ。


「ジェス! ジェス!」


 食堂でくつろいでいたジェスはびっくりして大声を上げた。


「もう、帰ってきたのかい? 普段なら、朝まで……」

「あなた、なんてとんでもないことを考えるの。魔女を滅ぼそうだなんて」

「はあ?」

「一体なぜ、魔女を滅ぼそうだなんて思うの? 身の程知らずにも程があるでしょう」

「待てよ、待ってってば。何を言ってるんだよフィリルカ。あんた以外の魔女なんて、会ったこともないじゃないか」


 フィリルカはジェスの目を見た。妖魔の赤い目は驚いていたが、深い信頼をたたえていた。フィリルカは頭を振りながら考えをまとめようとした。


「すぐ家を出るわ。旅支度をして」

「えっ?」

「早く! 一刻も早くここを出なくては。魔女集会のメンバーがここをかぎつける前に!」

「な、なん、何が」

「魔女集会の予言が語ったのよ。『人ならざるみなしごが、魔女たちを滅ぼすだろう』って」

「……そんなのおかしいよ。俺が魔女を滅ぼすなんて。これっぽっちもそんなこと考えたことない」

「でも、大魔女ゲルークの予言に間違いはないの。そしてそれがあなただろうと他の誰かだろうと、あなたのことを知れば、魔女集会は追ってくる」


 そのとき、不意に声がした。


「その通りよ」

「ゲルーク!」


 フィリルカは悲鳴を上げた。


「あなたが魔女集会を抜け出すのを見たわ。フィリルカ……妖魔を拾って育てたのね。その子を引き渡しなさい」

「ゲルーク、この子と決まったわけじゃないでしょう」

「ほかに人ならざるみなしごがいるの? 」

「この子はみなしごじゃないわ。私の子よ」

「そう、引き渡すつもりはないのね。仕方ないわ」


 ゲルークの全身から魔力が噴きだした。そのあまりの強大さにフィリルカでさえたじろいだ。


「七つの満月が歌い、十一の星が叫ぶ。次の誕生日を迎える前に……お前は死の眠りにつく。」


 ゲルークはジェスを指さした。その指先から緑の瘴気が噴きだし、ジェスを包み込む。


「ゲルーク! ジェスに何をしたの!」

「呪いをかけたのよ。決して解けない呪いをね」

「呪いを解いて。できるでしょう?」

「できないわ。言ったでしょう。決して解けない呪いだと。私自身でも、この呪いを止めることはできない。誰にもできないわ」


 フィリルカは息を呑み込んだ。そしてゆっくりと言った。


「……できるわ」

「何ですって?」

「一つだけ方法があるわ。あらゆる魔力を喰らう短剣シュペルヒルダ……あれであなたを殺せば、あなたの呪いも食い尽くすはず」


 ゲルークは眉を上げた。


「そう……どうしても私の決定に背くというのなら、魔女集会を開きます。時は七日後」


 ゲルークは背中を向けた。


「七日後に、魔女集会で会いましょう。その妖魔の子も一緒に……もしあなたたちが来られるならね」


 それだけ言い残すと、ゲルークは静かに立ち去った。フィリルカは引き留めようとしたが、ゲルークの放つ異様な魔力に近づくことさえできなかった。


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「『魔女集会で会いましょう』……どういう意味だ?」


 ジェスの疑問に、フィリルカは自棄気味に答えた。


「どうもこうも、言葉通りの意味よ」

「ブローチェン山ならあんたは毎年行ってるじゃないか、そうだろう?」

「一人でならね……ゲルークは二人で来いと言ったのよ。ほうきに二人は乗れない。ブローチェン山の周りは魔獣の森よ。あなたが歩いて入ったら生きて出られない」


 フィリルカは途方に暮れた。ジェスは毅然とした態度で言った。


「いや、俺も行く」

「無理よ」

「無理じゃない。俺はもうあんたに拾われた時の子供じゃない!」


 フィリルカはため息をついた。


「……そうね、私の小さかった坊やは、ずいぶん大きくなったわね」


 そうつぶやくと、フィリルカは立ち上がった。


「シュペルヒルダを取ってくるわ。行きましょう、魔女集会へ」


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 その日、世界のあらゆる場所から魔女の姿が消え失せた。突然召集された臨時の魔女集会だったにもかかわらず魔女たちは一人残らずブローチェン山の頂に集まって、その歴史上初めての来訪者を静かに待っていた。


 来訪者たちは、夕暮れ時、太陽が地平の彼方に隠れる寸前、ついに姿を現した。繰り返された魔獣との闘いに傷ついてはいたが、しっかりと自分の足で歩いてきた。魔女たちは列を作り、二人を迎えた。


 頂きの広場には魔女たちが大きな輪になって並んでおり、その中央にゲルークが静かに待っていた。


 ジェスはその紅い瞳でゲルークを見据え、口を開いた。


「魔女集会で会いましょう、と言ったな」


 ゲルークは応えた。


「ええ」

「来たぜ」


 ゲルークは小さなためいきを漏らした。


「……あなたがこんなに大きくなるとは思わなかったわ」

「なんだって? あんたにそんなことを言われる筋合いは……」

「あなたに言ってるんじゃないわ」

「……?」


 戸惑うジェスに代わってフィリルカが答えた。


「ゲルーク……私はもう、あなたに拾われた時の子供じゃないのよ」

「……そうね、私の小さかった女の子は、立派な魔女になったのね」


 ゲルークは感銘を受けたように微笑んだ。フィリルカは思い詰めた表情で言った。


「ゲルーク、一つ教えて。私たち魔女集会は、あなたの予言が出るたびそれをより良いものに変えようとしてきた。でも私の知る限り、この三百年で変えられたことは一度もないわ。あなたの予言は不変なの?」

「そうかもしれないわね」

「それなのに、あなたは自分の予言に抗ってきたの? 千年もの間」

「この世界に生きるものはみなそうよ。生きるのが百年でも千年でも一万年でも同じ。自分の運命に抗うことが生きるということなのよ」

「……そう、わかった。私も抗うわ」


 フィリルカとゲルークは静かに対峙した。


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 その闘いの様子を子細に今日に伝える者はいない。ただ、その日ブローチェンの山は半分に砕け、森の魔獣たちが怯えて住処に隠れるほどだったと伝えられている。


 激しい闘いのさなか、フィリルカはゲルークに短剣を放った。ゲルークは、それがシュペルヒルダでない普通の短剣だと見抜くために、弾くのが一瞬遅れた。その隙をついてフィリルカが懐に飛び込もうとする。その手に握られているのが真物の短剣シュペルヒルダだ。ゲルークは呪文もなく片手の指を少し動かしただけで魔弾を三つ創り、フィリルカに向けて放つ。魔弾は矢のように飛んだ。フィリルカがそれを防ぐだろうことはわかっている。おそらく一つはシュペルヒルダで喰らい、残り二つをかわす。そのためにはフィリルカも動きを止めなければならない。その間にゲルークは間合いをあけて次の手をうつ、はずだった。


 フィリルカは身をかわすことなどできなかった。


 彼女が動くより早く、短剣シュペルヒルダが意思を持ったかのように閃き、三つの魔弾を瞬く間に喰っていた。魔力を吸ったシュペルヒルダは刹那の間、鎌首をもたげた蛇のように動きを止めた後、破裂したかのような勢いでゲルークの心臓に突進した。フィリルカを引きずるようにして、短剣はゲルークの胸に突き刺さった。


 短剣を握りしめたまま、フィリルカは自分が泣いていることに気づいて動揺した。


「ごめん……ごめんなさい、ゲルーク。私、あなたのことを本当に……でも、どうしてもこの子を」


 ゲルークはそっとフィリルカの両肩に手を置いた。


「何を謝るの? あなたは大魔女を討ち果たし、自分の息子を守ったのよ」


 ゲルークはゆっくり膝を折りながら、フィリルカの身体にもたれかかった。


「私は、あなたの親にはなれなかった。だからあなたを一人前の魔女にしてしまった。人ならざる魔女に……今、すべてわかったわ。人ならざるみなしご……は……あなただったのね」


 ゲルークは微笑んだ。そしてフィリルカの両肩に手を置いたまま、大きな声で告げた。


「魔女の姉妹たち、聞きなさい。今日が最後の魔女集会となるでしょう。私たちはこれきり、集うことなく暮らしていくのです。人の世に疎まれ、滅ぼされる定めだとしても……魔女はもう人ならざる者なのだから」


 ゲルークはゆっくりと地面に仰向けに倒れた。その身体から魔力が抜けていく。


「フィリルカ、あなたは、魔女を捨てて母親になった。私にはできなかったことを成し遂げた。誇りに思うわ……去りなさい。そして生きるのよ。たとえ運命が変えられないものだとしても」


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 このようにして、千年続いた魔女集会は終わりを告げたと言われている。この日以来、魔女たちは今日まで滅びの運命をたどっている。


 魔女フィリルカがどうなったのかは誰も知らない。ただ大賢人ジェス・タラゴン・バナムが遺したとされる短剣が今日でも学問の都ソン・トー・タラゴンの宝物庫に眠っており、その短剣こそがこのシュペルヒルダだと信じられている。

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