第四冠 青空
ユク少年が奈落の底で錆くれた剣と出会う数時間ほど前。夕暮れの地上館ではシキ先生らの指示によって秘密裏に天成剣の解体が行われようとしていた。鹵獲された剣は白桃色の髪をした少女の姿を模しており、口数は非常に少ない。彼女は自らが解体されようとしている状況に対しても一切抵抗する様子を見せず、まるで解体をあるべき事の様に受け入れていた。
しかし、彼女をここまで連れてきた『ウォーカー』と言う名の青年は地上館の決定に到底納得する事が出来なかった。目の前で寂しそうに目を瞑る──花のように寡黙な白桃色の髪の少女が、どうしてそんな理不尽で殺されなければいけないのか。
たとえ彼女の正体が天成剣だろうとも。自分が天成戦争の参加者に成り代わろうとも。それが原因で命を落とす事になろうとも。それでも青年は健気な少女を見捨てる事が出来ない。たとえ彼が全てを理解していたとしても、この決断は決して変わらなかっただろう。
青年は単刀直入な性格で、一度決断した事を実行に移すのも早かった。彼は少女の白く細い手を掴み取ると、後先の事も考えずにその場から離れようと走り出す。
「天成剣だが何だか知らないけどなぁ…!君みたいな美人さんが無茶苦茶な理由で殺されるのを、俺は見過ごせないんでね…!」
彼は早足について行けない少女を引っ張り上げて抱えると、そのまま邪魔をする番兵を体当たりで押し退けて窓枠を蹴り破り、館の中庭まで脱出する。しかし中庭は番兵によって完全に包囲されており、二人は着実に追い詰められつつあった。
「おいおい本気かよ…?こんなか弱い少女一人にそこまでやるか…?」
物騒な槍を向ける番兵に食って掛かって抗議する青年。無知蒙昧な彼は天成戦争や天成剣の話を聞かされてもなお、剣である彼女を手放そうとはしない。
「…初期段階で剣を処分し、天成戦争を円滑に終わらせる為だ。理解してくれ。」
地上館の男──シキは機械仕掛けの剣を振るい、その剣先を青年の首元に突きつける。
「剣が人に化けるとか冗談きついぜ…。あんたの書斎の家具とか、…まさかその剣も化けるって言うんじゃないだろうな?」
「…言うは易しだ。」
青年のくだらない皮肉に呆れたため息を返すシキ。彼は「その通りだ。」と高らかに宣言した後、「アプトフォージ。」と剣に目覚めの掛け声を告げる。すると機械仕掛けの剣はそれに呼応する様に部品の一つ一つを軋ませて青年の目の前にゴーレムのような人型を構成した。
「…おいおい?先生のその手品…。タネくらい用意してあるんだよな……?」
機械の剣が機械の人形に成り代わる─。理解の及ばぬ非現実を目にした青年は軽口で冗談を吐く。彼は背に庇った少女の─花弁のようにきれいな白桃色をした髪や全身を覆う草木のようなドレスを初めて見た時から、既に常識の通用しない人外の領域に足を踏み入れる覚悟を済ませていたのだろう。
「…やれ、グラム。」
「了解サレマシタ。」
「ぐッ……!?」
ゴーレムの両手掌に発生した球体は周囲の大気を撓ませ、理不尽な重力の負荷が青年の体を丸ごと地面に押し付ける。男の身動きを封じ終えたゴーレムは改めて機械の剣を握ると、無様に這いつくばる男を尻目にして白桃色の髪の少女にとどめを刺す。
「や…めろおおぉぉぉ……!!!」
手を伸ばして一心に少女を救い出そうとする青年の想いが通じたのか、あるいは少女がそれに応えたのか。彼は無意識のうちに『牡丹のような若木の剣』をその手に
「お前…それを──!?」
その光景にシキは動揺した。天成剣を扱える適合者は総じて
剣属にとっての剣属は倒すべき絶対の敵であり、そして何より青年は向こう見ずの正義感で何の疑いもなく剣を握っている。彼は辞めろと言って辞めるような相手ではないし、諦めろと言って剣を見捨てるような男ではない。それは彼を地図書きに育てたシキだからこそよく知っていた事だ。
僅かな沈黙の合間にシキは決心をした。ならばこの青年は─『ウォーカー』はここで殺すしかないのだと。
至高の一撃『グラン・グラム』。ゴーレムの強く振り上げた剣は何倍にも増幅された斥力で青年の持つ剣を無慈悲にも弾き飛ばす。青年は目の前で何が起きたのかも分からぬまま続く追撃によって胸を穿たれ、気付いた時には血を吐いて地面に突っ伏す自分がいた。
「あ"……ぁ………。」
青年は血まみれの手を伸ばして庭の芝生にしがみつき、重い体を引きずって少しでも剣の側に近付こうとする。遠のく意識の中、ぼんやりとした視界の向こうに映る彼女の傍らへ─ほんの少しでも近づく為に。
青年は自分がバカで単純な事くらい誰に言われなくても分かっているつもりだった。だが、それでもこんな無様な死に方をする自分に心底嫌気が差した。
もう一度だ。もう一度だけでいい。
もしも叶うのならば、どうか時間よ巻き戻ってくれ。
バカの浅知恵でもいい。無駄な悪あがきでもいい。
こんな俺でも。
──
彼女を護りたいんだ。
*
滅却都市の朝はいつも物騒な落下音から始まる。8つの天蓋に覆われた灰色の空に朝日のような暖かさはなく、色のない自然光がカーテンの隙間からユクの部屋を照らしている。
また上層から何かが落ちてきたのだろうか。ものの大きさによってはそれを地図に書き足さなくてはならない。ユクはいつもの調子でベッドから起き上がると、中途半端に開いたカーテンを全開にして窓を開けた。しかし、風を入れるよりも先に窓の灰を落としておくべきだったかもしれない。
「……うげほ。」
部屋に散った灰のせいでむせてしまったユクは、濡れ雑巾か何かを探すついでに昨夜まで部屋に置いていたはずの剣がどこにもない事に気付く。
消えた天成剣──
思い違いならそれで良い。どうせなら大げさに考えるべきだ。ユクは最低限の装備を整えると、意を決してシキ先生の書斎へと向かった。
「……。」
少年はノックをせず部屋に入った。ガラクタのようなアンティーク品の並べられた書斎の片隅には、やはりユクの折れた二又の剣が安置されている。
「……先生。あなたは。」
「…剣は物騒だからね。悪いが俺で預からせてもらうよ。」
机に向かって忙しなくペンを走らせていた先生は、そう答えてペンを置く。これは詭弁だ。物騒だけが理由なら地図描きの仕事と何も変わらない。
「…それはずるいな。先生」
「大人だからね。ずるくて当然だろう?」
ユクにとって、シキの考えは到底理解出来なくもなかった。天成戦争の─殺し合いの舞台に教え子を巻き込みたくない気持ちは、やさしい嫌がらせのようなものだ。
「…物覚えの早いお前の事だ。その剣の扱いを覚えるのもさぞ早かったのだろう。そして一度や二度の交戦からもお前は生き延びた。大した奴だよユク。お前は。」
そう言うと、シキは言葉を続ける。
「あぁ、…大した奴だ。大した奴だからこそ今のお前は思い上がっている。どうせ俺を前にしても勝てる気でいるのだろう?否定されれば力で俺の独善を捻じ曲げるつもりだろう?違うか?」
「………。」
先生の言葉にユクは何も言い返すことが出来なかった。何も違わない。─全て彼の言葉通りなのだ。下層でイスタドールと戦った時もそうだった。そして今回も、そうして戦うつもりでいた。
「戦う力があるから戦う。ヒロイックを気取りたいから戦う。戦いこそが本命で、それに至るまでの動機─マクガフィンは何でもいいと。…そう思ってるんじゃないのか?」
「…………。」
やはりユクは何も言い返せない。初めは生き延びるために戦った。だのに次は戦う為に戦った。それは何故か?彼は獣人ナッツが本能のままに戦う姿を見ているだけでも満足だった。それをずっと見ていたくて、負けそうになった彼女に何度も手を貸した。
それがユクの全てだった。彼には叶えるべき願いなど無かったのだ。
「ユク。これ以上ヘルを心配させてやるな。」
「………。」
その言葉は、卑怯すぎる。
「俺はヘルを悲しませたくないよ…。」
ユクは呟いた。強張った表情筋を動かして、下手くそな泣き顔を作って。それから少しばかりの涙をこぼした。
「あら?あらあら、奇遇ね。地上館の剣属を始末しようとしたついでにこんな所で坊やと再会出来るなんて奇遇よ。本当に奇遇だわ。あぁこんな滅多な機会を無駄にはできないわよね。そうよね黒騎士様?」
ガラス窓の砕ける音。感傷に浸るユクの心を劈くようにして、その女性は突如二人の目の前に姿を現した。彼女の手にはおぞましい邪気を放つ黒剣──
「…どうやらお前は本当に途方の見当も付かない修羅場を潜り抜けてきたらしいな。」
シキは俯くユクの頭をぽんと叩くと、懐に納めた機械の剣を引き抜いて切っ先に女性の姿を捉えた。
「その黒装束には見覚えがある。サンドヴァニア教団の連中だな?」
「えぇ、そうよ。その通り。あなたの目測通りだわ。いかにも私がサンドヴァニア教団第一の使徒、『フラメア・フランキスカ』その人にして黒騎士イドゥーズの
フラメアの振り上げた黒剣は霧のように離散し、飛翔する無数の矢が一斉射撃となって二人に降り注ぐ。その躱しようのない面攻撃に対してシキが繰り出した反撃は──シンプルな薙ぎ払いのみ。
そう、こんなものは薙ぎ払いだけで十分なのだ。
「あら、あらあら?被弾ゼロ?全弾回避?…容易く死んでくれるつもりはないと?私をもっと楽しませてくれると?そういう事なのね?そうなんでしょう?ねぇ?」
「…ユク。剣を持って外へ逃げろ。コイツは只者じゃない。」
「…どうして。」
「先生だからな。教え子を守るのは当然だろう。」
ユクを背にして、シキは振り向かずにそう言った。
「……。」
先生の優しい嫌がらせに、ユクはただ頷くしかなかった。ついさっきまで戦おうとしていたはずの相手にこんな事をされるのは、卑怯だ。
「グラム、剣属ユクの護衛を最優先に。」
「了解サレマシタ。ユク様ノ安全ハ私ガオ守リシマス。」
「あらそう。じゃあ皆殺しになさい。イドゥーズ。」
黒騎士の剣を再び離散させたフラメアは自らの周囲に無数の薄い刃を展開すると、それらを円形の軌道を描くようにして高速回転させ、書斎の壁や天井をデタラメに切断してみせた。この無差別攻撃を繰り返せば五階建ての地上館がガラクタの山に成り変わるのもそう遠い話ではないだろう。
「…ユク、お前の剣はまだ死んじゃいないさ。」
崩れゆく地上館の中で、シキは二又の剣を握って窓から飛び去るユク少年の姿を見送った。
ユクもまた、地上館に残るシキ先生の後ろ姿を見送った。先生の言葉が本当なら、何も今更恐れる必要はない。
「……目を覚ませ。」
自由落下に身を任せながら、ユクは剣に囁く。
呼び覚ます為の言葉は、既に知っている。
「──
「云無っ!!しっかり掴まるのだぞっ!!」
*
「──ユクはさ、空が青いと思ったことある?」
「全然。」
ユクはふと、倒壊した建造物のアーチから二人で灰色の空を見上げていた頃の事を思い出した。あれはまだ記憶喪失のユクが地上館にやってきたばかりの頃で、幼馴染のヘルと出会ったのもちょうどその頃だった。
「この絵本に描かれてる空はものすっごく青いし、海っていうのもものすっごく青いんだよ?ユク。」
「知ってる。けど見たことはない。」
「見たいと思ったことはある?」
「分からない。」
ユク少年は淡々と無感動な言葉を返す当時の自分を思い返した。
今に思えば、わけもなく見上げていたあの空に青色を加えてみるのも悪くないかも知れない。
──青い空。
ここではない、どこか遠い世界のような。
少し不思議で、なつかしい響きだ。
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