第二冠 闘志

「──簡易鍛造アプト・フォージ。」


 ユクは見た。赤くさび付いた剣から剥がれ落ちてゆく、無数の赤い花びらを身に纏わせながら、凛とした姿で目の前に聳える逞しき獣人の後ろ姿を。


云無うむ。汝の声、しかと聞き留めたぞ。」


 真珠色の体毛に覆われた獣人は、その強靭な手元に重く大雑把な二又の剣を鍛造し、その巨獣の如き剛腕から放たれる全体重をかけた一振りで黒騎士を一歩後ろへと後退らせた。それも只の一撃ではない。獣人は振り上げる度に剣を翻し、その圧倒的な質量を誇る斬撃を、黒騎士の全身が背後の大扉にめり込むまで何度も繰り返し放った。二つの剣が交わる度に床は歪み、極限まで圧縮された空気の波が血塗られた部屋を縦横無尽に轟き鳴らしてゆく。

 バゴオォォォ……ン。繰り出された最後の一撃で周囲の壁は一瞬にして瓦礫と化し、身動きの取れない黒騎士は大扉もろとも降り注ぐ瓦礫の下敷きとなった。


「……君は。」


「第十六天成剣。『紅獅子姫』のナッツクラッカーだ。」


 真珠色の獣人はユクの声に振り向くと、その人間を卓越した豊満な乳房を揺らしながら満面の笑みを浮かべて自己紹介をした。彼女の素顔は、まるで百獣の女王としか喩えようの無い、凛々しくも美しい獣人の素顔だった。

 彼女のあまりの美しさに見惚れてしまったのか、あるいは突然の出来事に驚いたのかは定かではないが、普段から無関心のユクも今回ばかりは驚きの表情を隠せなかった。


「天成…剣…?」


吻無ふむ。天成剣を知らんとは呑気な小僧よ…、…っ!?」


 何も知らない素振りを見せるユクに、ナッツは呆れた表情を返す。だが、本能的に何かを察したのか彼女は素早くユクの下まで跳躍し、黒騎士の埋もれた瓦礫から距離を取る。


「吻無。…此れを耐えるか。」


二又の剣を構え、全身の毛を逆立てて瓦礫の山を睨みつけるナッツ。先程まで優勢についていたはずの彼女には、もう余裕の表情がない。


「まあ、素敵。」


 血濡れた部屋に響く、渇ききった拍手の音。ユクが辺りの様子を覗うと、崩れた扉を挟んだ向かい側に黒のドレスを纏う優美な銀髪の女性が立っていた。彼女は口元が裂けるほど大きく口をニヤつかせながら、無気味に手を叩いてナッツの戦いぶりを称賛する。


「素敵よ。美しいわ。素晴らしいわ。やはり『天成戦争』はこうでなければ。殺し合いは。勝負は。決闘は。儀式は一方的ではつまらないものね。」


 女性は剣を構えて立ちはだかるナッツの姿にも動じず、満身創痍なユクの姿を見て心底うれしそうに嗤う。その理不尽な笑みにはユクですらも嫌悪感を隠せない。


「けれども。あぁ、可愛そうに。あなたもう死んでしまうのね。…そう。死ななくてはいけないものね…!!」


 女性は死に絶える小動物を憐れむような瞳でユクを見つめ、そして嗤う。

 …死ななくてはいけない。彼女がそこまで強気な姿勢に出る理由を、ユクは考えるまでもなく理解した。少年は見たのだ。瓦礫の隙間から殺意に満ちた黒色の霧が吹き上がり、それらが一斉に自分達に襲いかかる瞬間を。


「成る程…!通りで手応えを感じぬ訳だ…!」


 ナッツは二又の大剣を振り回し、重い剣圧で湧き上がる霧を押し退けようとする。だが、彼女の斬撃は凝縮された霧の剣によって弾き返され、それに続いて剣を握る手が、支える腕が、振るう肩が、そして全身が。黒騎士本来の姿が霧中から次々と形作られてゆく。


「待って。天成剣って、…天成戦争って一体…。」


「云無…!下がっておれ小僧!今はこやつの相手で手一杯だ…!」


 ナッツは二又の大剣で黒騎士の攻撃を凌ぎつつ、背後で残骸の山に突っ伏している少年の様子を確認した。下がれとは言ったものの、彼は足を負傷しており、立ち上がる事すら儘ならずにいる。

 ナッツとて無謀な蛮勇ではない。負傷した少年を庇うのも難しいこの状況で、こんな無敵の相手に真っ向から勝負を挑もうとするのは愚の骨頂だと知っている。


「あら?あらあら、その子がそんなに大事?そうね?そうよね?…でも心配する必要はないのよ?あなたを叩き壊した後で、その子も同じ場所へ送ってあげる。」


「叩き壊すだと?…笑止!そんな手間は取らせん!…小僧!少し揺れるが我慢せい!」


「…!?」


 ユクが驚くのも束の間、ナッツは剣を投げ捨ててユクを抱え上げ、その強靭な脚を大きく屈伸させて天井高くへと跳び上がった。崩れた天井には無数の梁が突き出しており、彼女は素早い身のこなしでそれらを次々に跳び移ってゆく。


「あら?逃げてしまうの?勝負を諦めてしまうのね?それは残念。…本当の本当に残念よ。」


 上へ上へと飛び去っていく二人の姿を見上げた銀髪の女性は、長い髪を掻き上げながら不吉な笑みを浮かべ、黒騎士に最後の命令を下した。


「イドゥーズ。壊しなさい。」


「……。」


 女性の命令に『御意』と従う黒騎士。イドゥーズと呼ばれた彼は黒色の剣を腰より下で水平に構え、天を仰ぐようにしてそれを斬り上げる。当然ナッツには届くはずのない斬撃だが、彼のそれは単なる剣の振り上げではなかった。イドゥーズの振り上げた剣は霧となって消え、希釈された剣の刃は無数の黒い矢となり、逃げるナッツ達を一斉に襲いはじめたのだ。


「……なっ!?」


 ナッツは黒騎士の攻撃の正体に感づいた。感づいたからこそ彼女は恐怖した。足元から間欠泉のように湧き上がる無数の黒い矢は、梁を跳ぶ彼女の脚よりも素早く、そして正確に二人の命を狙っている。追い詰められた二人に逃げ場は無い。


「…まだ。」


 ナッツが恐怖する一方で、ユクは憤懣していた。死を間近にした恐怖よりも、『一日のうちにそう何度も殺されかけてたまるか』という怒りが彼の心の中から込み上げていた。


「小僧よすまない…。私が非力なばかりに…。」


「小僧じゃない。俺はユクだよ。」


 弱音を吐くナッツに、優しく応えを返すユク。彼は自分を抱えるナッツに手を伸ばして、彼女の頬を少しだけ撫でた。ナッツの体毛は彼が予想していたよりも遥かに硬く、そして暖かい。

 非力なんて言わないでくれ。ナッツを見つめるユクの目線は、そう告げているようにも思えた。


「ユク…。そう、ユク。…云無、それが我が主の名前なのだな。」


 …ああ。この少年は最初から諦めるつもりなど無かったのだな。誰かに助けられずとも、誰かに見守られずとも、彼には彼一人の力で窮地を乗り越える決心があったのだな。

 ナッツは自らの考えを悔い改め、反省した。何も母親のようにこの少年の面倒を見る必要は無かったのだ。

 少年にはもう、立派な剣属ブレードランナーとしての心構えが備わっている。…ならば彼女自身も彼の天成剣として、その覚悟に応えねば。


「彼れを食い止める方法が一つある。…私を剣に戻すのだ。…ユクよ。」


「どうすればいい。」


 ナッツの言葉を聞き、是非をも言わず剣を振るう方法だけを冷静に尋ね返すユク。


「私の手を掴み、初期鍛造プロト・フォージと唱えるのだ。扠すれば私は剣となり、我が最大の威力を発揮出来る。」


「分かった。」


 ユクは頷き、ナッツの大きな手を掴む。そして教わった通りの詠唱を試みると、彼女の姿は淡い光に包まれて先程見た二又の剣へと変化した。二又の剣はユクが振るうにはあまりにも重く、彼の二本の腕ではそれを支えきる事も出来ない。

 だが、それは決して不利な状況では無かった。上方から落下するユクが迎え撃つのは下方に広がる無数の黒い矢。下を狙うのであれば剣を振るい上げる必要は無く、むしろこの位置と自重がそのまま剣の破壊力へと加算される。


「…さあ、今一度我が真名を呼べ!重力が我らを地に落とすよりも早く!」


「っ…──ナッツ・クラッカー…!!」


 剣を真下に構え、ユクはナッツの名を叫んだ。おそらく、生まれて初めて湧き上がる感情を、彼女の銘にありったけ詰め込んで。



「………!」


 気を失ったユクは唐突に目を覚ます。しかし彼が起きた時には既に黒騎士らの姿は無く、眼中には見覚えのある光景だけが広がっていた。そう、あの残骸の山に落ちてから最初に見た血塗れの大広間の壁だ。結局、あの黒い矢はどうなったのだろうか。自分が死なずに生きているという事は、あの攻撃をどうにか出来たという事なのだろうか。重い頭の中を振り絞って思い出そうとしても、まるで何かに押しつぶされているかのように動かないので、ユクは枕元の暖かいものに顔をうずめる事にした。


「吻無。目を覚ましたか。」


 するとどこか遠くない場所からナッツの声が聞こえ、ユクの頭上にある柔らかいものが彼の頬に張り付いた。

 …頬の上に何かがいる。そう思ったユクは手を伸ばして重い何かを退けようとしたが、頬の上のそれはぶるんと揺れるばかりで一向にユクの頬を離れようとしない。


「ナッツ…?」


「云無。それは私の乳房だ。」


 ユクがナッツの名前を呼ぶと、頭の上のモノがぶるんと大きく揺れ動き、2つの柔らかいモノの間からナッツの覗き込む顔が現れた。どうやらユクはナッツの膝の上で寝かされていたらしい。


「…重いよ。」


 ぼんやりとした意識のまま、ユクはため息交じりに文句を呟いた。それは思春期の少年にしては余りにも勿体無さすぎる反応だった。


「…ねえ。」


 ユクはナッツに尋ねる。…天成剣の事や、剣属の事。それから銀髪の女性が言っていた天成戦争の事を。


「云無。天成剣の事はな、要は擬人化能力を得た魔剣のような物だと思えば良い。そしてユクよ、おまえは剣属だ。私達を扱う事の出来る特別な人間の事だぞ。」


 ユクの質問に、尾を振りながら嬉しそうに答えるナッツ。


「特別…?」


「云無!百年に一度選ばれる八人の剣属のうち、最後に生き残った一人には願いを叶える権利が与えられるのだ!」


「……。」


 最後に生き残った一人。彼女のその言葉でユクは大体の事を察した。自分が天成戦争に巻き込まれた理由も。あの忌々しい黒騎士が自分を殺そうとした理由も。


「黒騎士。……そうだ、黒騎士はどうなった?」


 ユクはナッツの膝下から立ち上がり、黒騎士の行方を彼女に尋ねる。奇妙にも彼は自分の足が完治している事に気付いていない。


「あ…、案ずるな!彼奴はユクと私の連携攻撃で、ものの見事に…。…否、云無……。」


 ユクに黒騎士の事を尋ねられると、急に言葉を濁し始めるナッツ。彼女はもみあげの被毛を指でくるくるしながら部屋の片隅でひっそりと佇む人影に視線を移す。すると人影はナッツの視線に気づいたのか、慌てて二人の元へと歩み寄り、自らの正体を明かした。


「ええと、…始めましてですね。ユクくん。私はイスタドールと申します。」


 穏やかな口調でユクに声をかける黒い髪の女性。身長はユクよりも少しばかり高く、おそらく年も彼より上だ。余談だが彼女が部屋の片隅に佇んでいた理由は、ユクとナッツのイチャイチャ膝枕を邪魔しないように。…というちょっとした気遣いだったのかもしれない。


「…この人、誰?」


 ユクはとりあえず、ナッツに素朴な疑問を投げかけた。するとナッツは少々顔を赤くしてから、このいまいち目立たない女性─イスタドールについて、彼女がユクと同じく剣を振るう者ブレードランナーである事や、自分達の命の恩人である事を率直に告げる。


「命の恩人?」


「要するにだな…、黒騎士の矢を退ける事が出来たのは、八割方…、彼女の助力のおかげなのだ…。云無。」


 もみあげの被毛をくるくると弄りながら、いかにも面目なさそうな表情を浮かべるナッツ。不服ながら、彼女がユクに託した全身全霊の一撃ナッツクラッカーでさえも黒騎士の破滅的な殺意の前では聊か力不足だったのだ。


「やれやれ…、マスターは人が良すぎる。子供と言えどそこの少年は参加者だろう。人を助けて満足に浸るのはご主人の勝手だが、いずれ殺す相手が増えるだけだぞ。」


 呑気に挨拶をするイスタドールを見て、心底呆れた愚痴をこぼす男の声。薄暗い部屋の隅に潜むもう一つの影は、イスタドールの天成剣─サーペントエッジと呼ばれる剣だった。


「サッチー…。」


「…失礼。愚痴が過ぎたな。どうか聞き流してくれ。」


 サーペントエッジは腕を組み、いかにも不満げな態度でそっぽを向く。ユク二人分にも等しい長身の彼の髪は蒼く長髪で、頭部には二本のねじれた黒い角が生えており、外套の隙間からは黒い龍の尾が伸びている。


「吻無。虫の好かん奴だ…。」


「…ごめんなさい。でも、悪いのは私ですから…。」


 ナッツは主の愚痴を言うサーペントエッジに悪印象を抱いたが、これ以上嫌ってもイスタドールの気苦労が増えるだけなので、もう何も言わない事にした。認めたくはないが、この男がユクと自分を助けてくれたのは事実だ。


「ねぇ、ユクくん。」


 ユクに声をかけるイスタドール。彼女はしばらくの沈黙の後、こう言った。


「…私達は剣属ブレードランナーです。たとえ今だけは味方でも、いつかは倒すべき敵同士になります。…だから。」

 

「…だからお願いです。彼女との契約を破棄し、天成戦争から退いてください。」


 ユクは目を瞑った。

 それが本当にお望みなら、やっぱりあの時に見捨てておけばよかったのに。



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