農民のケイン(2)


次の日、用意された服はいつものものとは異なっていた。

エイベルとそっくりのクリームのチュニック、茶色い長ズボンに牛革のブーツ。身につければどれもピッタリだった。

身支度を整えると、定位置になった椅子に座った。魔女は上機嫌に、するすると指通りの良くなった髪を梳り、いつもは首に巻いてるリボンで括る。

魔女は何故かこの髪を好んでいて、オレが切ろうとすると悲しい顔をする。面倒を見てもらっているんだから髪ぐらい伸ばしぱなしでもいいか、とそれ以来切らずに放置している。


綺麗に結われた髪は、ゆらゆらと背中で揺れている。

魔女は仕上げとばかりに、オレが二人分くらいの長さのウールの布をくるくると巻き付けた。それも髪を隠すように、頭までしっかり覆って。

干しぶどうや水筒を入れたポシェットを下げれば完成だ。


「いいかい。出来るだけヒマティオンは脱がないで、頭まで覆っておくんだよ。お前はパラディソスやアディスじゃ、少し珍しい見た目だからね」


「ん」


この長い布はヒマティオンっていうのか。

了承の意を示すと、頭をくしゃくしゃと撫でられた。


「それじゃあ行ってらっしゃい、レイン。気をつけるんだよ」


ぱちぱちと瞬きをすればそこはもう魔女の家ではなく、いつもより村に近い山の斜面だった。

魔女はいつ魔法を使うのか分かりにくい。どうやっているかを聞いてみたら、魔法理論とかいうオレの頭じゃ到底理解出来ないことを言い出したから、自分には魔法は使えないのだとわかった。

エイベルは興味があるらしいけど。


キョロキョロと当たりを見回してみると、村の方から人影が近づいてきた。影は二つ。一つは、エイベルだ。そしてその側にもう一人、見知らぬ青年が立っていた。


「レイン!」


オレが存在に気がついたのと同じようなタイミングで、向こうも気がついたようだ。

エイベルはオレの元まで一目散に駆け寄ってきて、勢いを殺さぬまま飛びついてきた。勢いよくぶつかられて、当然、エイベルよりも小さな体躯のオレは、一緒にひっくり返る。


「エイベル、痛い」


「あーーごめん!でも、我慢出来なくてさ。レイン、今日はチュニックだ!お揃いじゃん!」


ぺろんとヒマティオンを捲り、エイベルが目を輝かせる。オレはちょっとだけ恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになった。

エイベルはいつも通りはつらつとオレを質問攻めにする。今日も念願の魔女を見ることが出来ず、残念らしい。

二人して地面を転がっていると、ザクザクと草を踏み分ける音がした。そいつの重みを感じるその音。これは、大人の音だ。


こちらに手を伸ばす気配を、オレは敏感に感じ取った。


今までの経験から咄嗟に逃げ出そうとすると、そいつは猫でも摘むように襟首を捕まえて釣り上げた。しばらく平和な暮らしをしたせいか、すっかり反応が鈍っていたことに気がついてゾッとした。


「ふーん、お前がエイベルの言ってたレインか」


「離せ」


それなりの修羅場はくぐり抜けてきたつもりだ。体格差があったとしても、反撃は出来る。

オレは身体を大きく揺らして、腹を蹴り飛ばした。上手く急所に入ったのか、男は悶絶しながらオレを手放した。


大人に捕まることは珍しくなかった。重要なのは手足を封じられる前にとにかく逃げて、狭い道を探すことだ。だが、残念ながらここは見晴らしのいい山の斜面。


オレは、とりあえずエイベルの手を掴んだ。エイベルは意外とぼんやりしているから、逃げ切れるか少し不安がある。それでも置いていくという選択肢は不思議と無かった。


距離を稼がねえと。

グイッと手を引いて走り出そうとした身体は、けれどその一緒に逃げようとしていたエイベルによって止められた。


「エイベル!?」


「ごめん、レイン。大丈夫だから」


エイベルはオレを抱え込むと、頬を膨らませて、ごろごろ痛みに転がる若い男の脛を蹴り飛ばした。普段の穏和なエイベルからは想像出来ない乱暴さだ。


「いきなり驚かせたりしないでよ。ほら!レインだってこんなにびっくりして怯えてるじゃん」


「怯えた人間が、股間蹴り飛ばすかよ!」


「いい教訓になったんじゃない?兄ちゃん」


エイベルはおまけにもう一発男を蹴り飛ばした。そしてオレをぎゅっと抱きしめた。


「ごめんねレイン!僕の愚兄が、とんだ失礼を!」


「ぐけい?にいちゃん?」


「そう、オレ三兄弟なんだ。で、俺が次男でこいつが長男。あともう一人はまだ腹の中」


「きょうだい」


「そっ!ほら、兄ちゃん自己紹介は?」


半泣きで立ち上がった彼は、髪に絡まった、細かい屑を払いながら、じとりとオレを睨んだ。瞳の色は、アンバーだ。

髪の色はエイバルよりも明るい、ダークブラウンで、緩やかなウェーブが肩甲骨ぐらいまで伸びている。

全く似ていないようで、似ている二人だ。色彩も、顔形も異なるのに、細かな造詣がそっくりなのだ。特に、少しめじりの下がった目元なんて。


「俺は、ケイン・アダマンティス。パラディソスの農夫で、今年で十八になる」


「僕は、二人ともご存知の通りのエイベル・アダマンティス。この間、十三になったよ」


エイベルの声はいつも高く弾んでいるが、ケインの声は深みがあり低く響いた。それでも、やはり互いの声にほんの少しの面影があった。


「……」


友達の知らなかった一面を見て、何故だか黙り込んでしまった。エイベルのケインへの態度はオレに対してのものと全然違う。

もっと、気安くて全幅の信頼を感じさせるそれを、エイベルは自分に向けていなかったのだと思うと、腹の中がもやもやとした。


「ほら、レインも!」


業を煮やしたエイベルにつっつかれ、しょうがなく口を開く。といってもそんなまともな自己紹介が出来るような経歴を、オレは持ち合わせてはいない。


「オレは、レイン。グレースフィールドの

ただのレインだ。年は……年は……多分十二歳ぐらいだと思う」


「「えーーー!」」


迎えた春を数えて、なんとなく答えると、二人は揃えて驚きの声をあげた。なにかおかしなことを言っただろうか。年齢に関してはかなり適当なことを言った。物心ついてから越えた短い春を数えての、恐らくの年齢だ。少なくとも、八回か九回は越えているはずだから、そう間違ってはいないはずだ。


「なんか、おかしいこと言ったか?」


「おかしくはないけど……」


「それにしてはお前ちっこくね?エイベルと大体同じ年頃には見えねぇぞ。まあ、エイベルもチビなんだけどな」


「兄ちゃん!」


エイベルの回し蹴りは見事にケインの腹に入った。さっきから思っていたんだが、兄弟というのはこんなにも手が出るものなのだろうか。ケインは悶絶しながら、地面をごろごろ転がっている。


「エイベル……」


「ん?どうしたの、レイン」


「その、そいつ、そんなにボコボコにして大丈夫か?」


「うーん、家じゃあいつもの事だし。なんだかんだで兄ちゃん受け身とってるから大丈夫だよ」


「おー!レインちゃん!俺の心配してくれるのか」


パッと顔を上げた男には、痛みに苦しむ様子は欠片もない。エイベルの言う通り、丈夫なようだった。


「いや、死体の処理は面倒だから」


「死体!?」


「処理してる暇もないだろ?」


「そうだね。早く用事終わらせないとだし」


「おいおいお前ら、俺ちゃんを労わる気持ちはねえのかよ」


「ないよ」

「ないな」


「生意気なチビどもだな」


期せずして重なった声に、ケインががっくり肩を落とす。あまりの落ち込みように肩を叩いてやると、レインちゃん!と抱きつこうとして来たので蹴りを入れてエイベルの背に隠れた。やっぱり、丈夫なやつなのだろう。ころころと悶えているが心配するほどではないとオレは学んだ。エイベルは大笑いしている。


「兄ちゃん、ほら、遊んでないで早く行くよ」


「おま、誰のせいだっての」


ケインは服についた埃を払い、何事もなかったかのように立ち上がる。


「んじゃ、行くか。はぐれんじゃねえぞ」


「はーい」


「……」


悪い奴ではない。と思う。オレが攻撃してもケインは手をあげることはなかったし、怒鳴り散らすこともなかったから。

余裕たっぷりにニヤリと笑うケインは、なんとなく頼りになりそうな気がした。

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魔女の世界征服講座 百合花 @farbelily1

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