農民のケイン(1)
それから、魔女はオレに昼食を持たせると、ポイッと山の上に捨ててくるようになった。
見つけてくれるのはいつもエイベルで、毎回魔女に出会えないことを悔しがった。
「ちぇ……僕も魔女と話をしてみたいのに」
「そのうち、出来るだろ。多分」
「多分じゃ嫌なんだってば!」
エイベルは、ムシャムシャと赤いルプスの実を頬張った。
ルプスの群生地を教えてくれたのはエイベルだ。初めて見た時、まだ実っていないそれはただ葉っぱが茂っているだけの低木だった。エイベルはいくつかの葉を採り、ポシェットにしまった。ルプスの葉はいい薬になるんだ、と機嫌よく教えてくれた。
それからは、オレのために毎日ルプスを見に行った。エイベルからすれば珍しいことでは無いかもしれないけれど、街育ちの俺にとって自然に生えている植物は充分魅力的だった。
青々と茂った葉の間から、蕾がふっくらと膨らむ。やがてほろほろと溢れるように白い花が咲き、ひらひらと花弁が散り、残った不思議な茎が膨らみ、小さな実が生った。その実を
初めて口にしたルプスは、つやつやとした粒が沢山ついていて、頬張ればぷちぷちとその一つ一つが飛び跳ねた。
じんわりと甘い味に酸っぱさが重なり合って、複雑な味覚を生んでいた。幾つでも食べることが出来そうな、癖になる味だ。
「赤いのを採るんだよ。そっちの方が甘くて美味しいから」
「ん」
食べすぎるのも体に悪いと二人で採る量を決め、こうして小腹が空いたら食べることにしている。
エイベルはルプスが好物で、帰り道によく摘んで帰っている。じゃむ、を作るらしい。
出来たらオレにもくれるらしいから、こっそり楽しみにしている。
エイベルは、物知りだった。
山で生きる術をよく知っていた。
お返しに、路地裏暮らしの話をすると、目を点にしたり、わたわた慌てたり、いろいろな反応をするのが面白い。
エイベルのお気に入りは野犬に襲われた話で、最終的に癇癪玉で追い払ったところが特にお気に入りだ。
エイベルが言うには、「羊飼いよりもずっとスリリングで面白い」らしい。
オレは、羊を見張りながらルプスを食べて、空に流れていく雲に名前をつけて遊ぶほうがよっぽど面白いと思う。
ルプスをくれと盛んにせがんでくる羊を追い払い、せっせとルプスを頬張った。
エイベルと仲良くなるきっかけの一つとなったあの羊は、アリエスというらしい。
なんでも、あの群れの中では特に賢く長生きているとか。
ルプスをくれと鼻面で突撃をかますアリエスに、どうにかむしり取った牧草を差し出す。ルプスから興味がそれたようで、アリエスは呑気に草を食み始めた。
エイベルは大人しいアリエスとは違い、足をばたつかせてうーーっと唸った。
「魔女かぁーーーいいなぁーーー!」
広い草原にエイベルの声が響き渡った。
「うるさい」
ルプスをむぐむぐと食べながら、そっぽを向く。エイベルは、魔女の話も大好きだ。
魔女はオレの衣食住を満たしてくれる。だが、こう毎日山に置いていかれると、不安にもなる。
一体、世界征服の話はどうなったんだ。
羊飼いの少年と、果実を頬張り羊を追いかける生活が、どうしたら世界征服に繋がるのか。オレにはさっぱりだ。
「なあ、オレも仕事したい」
「えぇ?一緒に羊見てくれてるじゃん」
「それは、エイベルの仕事だろ」
魔女に養われるだけというのは、なんだか尻の座りが悪かった。魔女が与える食べ物も、衣類も、高価なものだと知っている。エイベルがいうには、オレみたいな服装……シャツに半ズボン、たまにベスト……は北西の国の商人や貴族の子が着るものらしい。確かに、エイベルの服装は長ズボンに裾の長いチュニックを纏い、腰元を紐でくくったものだ。
なんとなくエイベルとの服装の差が気になった。
自分が分不相応の格好をしているのは分かっている。だからといって、元のあのボロを着るのも違う。
一年中寒かったあの街で、幼い頃は引きずるほど長いシャツを紐でくくって、大きすぎる麻のコートを引きずっていた。
それなりに育ってからは、袖がつんつるてんのシャツに愛用の麻のコートを羽織り、穴の空いたズボンを穿いて、大きすぎたり小さすぎたりする樹皮の靴を履いたり履かなかったりして生活していた。あの生活に戻りたいとは微塵も思わない。
それでも、自分で食っていた。
他人から狩りとった獲物で食を得ていた。
与えられるものなんて憐憫や嘲笑ばかりで、欲しいものは自力で手に入れていた。
今はそれもない。
オレはオレの力で生きたい。
この暮らしの中で、漠然とオレが思ったことだ。
「うーん、そっかぁ」
もきゅもきゅ口を動かし、最後のルプスを飲み込むと、エイベルはパチンと指を鳴らした。
「そうだ。それなら、いい仕事があるよ!」
「本当か!」
オレが身を乗り出した。エイベルの紹介なら、危ないことはないだろう。
エイベルは、オレのルプスを勝手に摘んで飲み込んだ。それに抗議する前に、エイベルは俺の手を取る。ぴょんと軽やかに跳ねたエイベルの、チュニックの裾がひらりと舞う。春の空と同じ色をした瞳が、俺を写して
これは楽しいことを教えてくれるという時と、同じ目だ。
新しい予感に、オレの胸も高鳴る。
エイベルはにぃっと口角をあげた。草を走る風に、
レイン、僕と。
「街に行こう!」
ーーー
「というわけで、仕事するから街に行ってくる」
夕食という名の報告会でオレが言うと、魔女はくるくると指先でスプーンを回した。
「へー、街に。何をしに行くんだい?」
「羊の毛を刈るための、ハサミを直してもらって、羊のチーズを売って、ついでにルプスの葉も薬問屋に売りに行く」
「つまりお使いか」
こくんと頷く。
羊の毛は夏が来る前の、生え変わりの季節に刈らないと大変なことになるのだという。
だから、一頭一頭、毛刈りの上手い村人に地道に刈って貰っていたのだが、ハサミがポッキリ折れてしまったらしい。
本当ならエイベルとその毛刈りの村人で街まで行き買ってくるはずだったが、体調が悪く寝込んでいるため、エイベルが一人で行くことになったらしい。
今は畑が忙しく、村人も手が空かない。
だからこそ、オレの出番だ。
「子供二人っていうのも、危ないんだけどねぇ。まあ、これも世界征服への第一歩か」
「世界征服の?」
久しぶりに聞いた単語にピクリと、反応してしまう。忘れてなかったんだ、というのが正直な思いだ。
「そうだよ。だからしっかりと暮らしなさい。もうしばらくしたら文字を教えてやろうか」
「もじ?あのくねくねしたやつか」
壁一面に並んだ本を指して問うと、分かってるじゃないかと手を叩かれた。
路地裏にも学のある奴はいて、そういう奴はチャンスを得て表通りに出ていくことも多かった。彼らが読めたのが文字だ。
あれを読めれば、いろんな仕事に就けた。
もちろん、路地裏暮らしのほとんどは文字の読めないやつだったけど、中には自分の名前だけは書けるやつとかもいた。そういうやつは、行き倒れになってもどこかに名前が書いてあって、埋める時に名を呼んで弔ってもらえた。
オレは一文字も読めない方の人間だ。
名無しで死んでいく側の。
「読めるようになったら、世界は信じられないくらい広がる。レインは向いてると思うなぁ」
魔女はいくつか本を選び出すと、オレに渡した。
スープ皿の中に落とさないよう、慎重に受け取り膝に載せる。
中身をパラパラと見てみれば、たくさんの絵と共に文字が書かれていた。
「これが読めるようになるのが目標だよ」
「ん」
よくわからない人影、長いナイフを合わせている。裾の長いドレスを纏った女。
ページには短い文章がそこここに刻まれている。
魔女は、すぐに読めるようになるさ、と期待してくれてはいるけど。
当分は読めそうにない。
オレは、色の溢れる本を閉じた。
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