第2話 後編

柿田くんに自動ドアのセンサーが反応する。

わたしは激しく動揺する。


咄嗟に、トイレに隠れようと席を立った。


「あ」


制服の袖がペットボトルに触れてミルクティーをテーブルにこぼしてしまった。


急いで備え付けのペーパータオルを取りに走るわたし。


「わっ!」


同時に声を上げた。


さっき教室で告白した時とほぼ同じ態勢でもう彼が目の前に立っていた。


今度はわたしが赤面する。


彼よりひどい。


顔、耳たぶ、首筋だけでなくって、胸から背中、太ももまで火照っているのがわかる。


でも、彼と違ったのは。


わたしは吸い込まれるように柿田くんの瞳を覗き込んでいることだ。


矢野やのさん、大丈夫?」


そうなのだ。


クラスの中でわたしの本名を呼んでくれるのは彼だけ。他のみんなは下の名前とキモさをもじって『キモ』って呼ぶ。


さっきあんなことがあったのにそれでもまだわたしを本名で呼んでくれることが、とても特別なことに感じられる。


じわっと涙の量が増えて溢れそうになるのを必死にこらえた。


「矢野さん、とにかく座ろうよ」


そう言って柿田くんはテーブルを拭くのを手伝ってくれた。


ぽふっ、と椅子に2人して腰掛け、面と向かう。

柿田くんは今度は目をそらしていなかった。


「ごめんね、矢野さん。僕、あんなこと女子に言われたの生まれて初めてだったからさ」


心の中で『わたしこそごめんね』と言っているけれども、言葉にならない。口を少しぱくっ、と開け閉めしてそのまま黙ってしまった。


「矢野さん、さっきの、ほんと?」

「う、うん」

「そっか・・・」


しばらくわたしの目を見たまま柿田くんも沈黙した。


数秒、数十秒と時間が過ぎる。


1分までは経たないうちに彼は言葉を繋いだ。


「僕も矢野さんのこと好きだっていったら、信じてくれる?」

「え?」

「やっぱり、都合がいいかなあ」

「そ、そんなこと・・・」


反応の仕方がわからない。


元々対人全般で反応できないわたしだから、数段レベルが上のこういう状況においては応用どころか息継ぎすらうまくいかない。

柿田くんが促してくれる。


「思ったこと、言っていいよ」

「う・・・その・・・」


そうだよね。柿田くんの言う通りだよね。

どうせもう取り返しのつかないところまで来ちゃったんだから、同じことだ。

ならば、言おう。


「・・・柿田くんは優しいから・・・わたしを傷つけないようにそんなこと言うんでしょ」

「それはある」

「・・・・」

「でも、それだけじゃない」

「?」

「矢野さんてすごい綺麗好きだよね」

「え。どうして?」

「だって、何回か消しゴム拾ってくれたけど、手を見たらいつも爪をきれいに切ってさ」

「それは、普通のことだから・・・」

「それから、教室に落ちてたミツバチの死骸をさ。ハンカチでくるんでたでしょ」

「・・・見てたの?」

「うん。で、それを中庭の花壇にそっと置いて来てたよね」

「なんだか、そうしないといけないような気がしたから・・・」

「まだあるよ。矢野さん、電車で席が空いてても絶対座らないでしょ。毎朝、見てたよ」

「その・・・座っちゃったら、席を譲るのが恥ずかしくなるから立ってた方が楽だな、って・・・」

「昨日までならただそれだけだった。でも、今日からは矢野さんは僕にとって特別になった」

「どうして」

「僕に初めて「好き」って言ってくれたひとだから」

「え、え」

「すごく嬉しかった」

「え・・・でも、わたし、こんな見た目だよ」

「うん」

「クラスの中でも浮いてるし」

「そうかもしれないね」

「なら、どうして嬉しいの?」

「それは、僕にもわからない。ただ、矢野さんの、「好き、です」って言ってくれたその声が、さっきからずっと離れないんだ。すごく、かわいい声だった」

「や・・そんな・・・」

「調子いいかな? 僕。実はさっきからすごく浮かれた感じなんだ。なんだか誰かに自慢したくて。女の子から告白された、って。変かな?」

「ど、どうかな・・・」


そのまま2人で色んな話をした。


柿田くんは自分が好きなバンドやアニメやマンガのことを話してくれた。

同じようにわたしの好きなバンドやアニメやマンガのことも聞いてくれる。


気がついたら昼休みまで終わりそうな時間だった。


「矢野さん、戻ろうか」

「うん。でも、ほんとにいいの?」

「え。何が?」

「だって、柿田くんまでクラスで浮いちゃうかもしれないよ」

「うーん。そうなったらそれはそれで仕方ないかなあ」

「申し訳ないよ」

「誰に?」

「柿田くんに」

「そんなこと思わなくていいよ。だって、矢野さんを勝手に追っかけてきたのは僕の方だから」


そのままスーパーから並んで歩いた。


学校が近づくと2人とも無言になった。


教室の入り口が目の前まで迫ってきた。


先に柿田くんが、続いてわたしが教室に入ると、どっと笑い声が起こる。


すかさず、数人の男子が柿田くんを取り囲んだ。


「柿田、お前今日から『キモ夫』な」


静かな目で柿田くんは相手を見返す。そして、こう言った。


「別にいいよ。なんでもいいよ」


そのままわたしの手を握る。

席までわたしをエスコートしてくれた。


思わず俯くわたし。

さっきとは違う意味で顔が赤らんだ。


そして、はっきりと言える。


わたしは周囲に対して恥ずかしくて赤面したんじゃない。


柿田くんが手をつないでくれたことに恥じらったのだ。


体育の時ですら誰も握ったことのないわたしの手を柿田くんだけが握ってくれたそのことに。


柿田くんを『キモ夫』と決めつけた男子に1人の女子がつかつかと歩み寄る。

その子は、多分わたしの次ぐらいに、教室で沈黙している子。


彼女が静かな声で男子に告げる。


「キモ夫は、あなただよ。不快だから、教室から出てって」


わたしは彼女と目が合った。



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「好き」って言葉を解き放とう naka-motoo @naka-motoo

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