テーブル・マナーは案外大事

本陣忠人

テーブル・マナーは案外大事

「君の食べ方が、どうしようもなく嫌い」


 それは恋人が僕をる十分前に述べた台詞。

 かつて聞いた君の好きな歌によると『別れ話の二秒手前で涙はかろうじて睫毛の手前』といった状況。


 真意や理由や詳細。

 短いその言葉に託して秘めた感情を訊ねる間も無く、明らかになる心中と発言の真意。

 

「何でそんなに女々しい食べ方をするの?」


 安物のテーブルの向かい側から怒気のままに勢い良く指差されたのは僕の胸元――より詳細に言うなら手元。

 利き手とは逆の左手に持ったスプーンで小さな壁を作り、右手のフォークで不器用にパスタを巻く手元。


「イタリアのマナーなんか持ち出す気は無いけど、スプーン自体は別にいいけど! どうしてっ、なのよ‼」


 一見、理のある正論の様にも見えるが、普通に全体が意味不明な主張。マクロにもミクロにも理解が難しい超絶個人的な意見。


 けれど、呆気に取られて返す言葉を持たない身の上だから、大人しく続きを待つ。


「どうしてフォークに巻き付ける量がそんなに少ないの!? 赤ん坊の量なのッ!?」


 そう指摘されて目を伏せる。

 ぶきっちょな右手から伸びるフォークの先に乱雑に丸まるグルテン体は一体何周分だろうか?


 正確には分からないが、僕の口径には余裕で収まる量のはずだ。人間性と長年の習慣故に、それを目安に巻き付けた。


「他の食べ物でもそう! 貴方は牛丼は小盛りだし、ピザは小鳥の様についばむだけっ! ねぇ!? どうして!?」


 そんなことを言われても困るし、どうしようもない。生まれとか育ちから形成された癖や習性は修正が難しいよ。


「カレーパンは? どうしてあんなに恐る恐る口を付けるの? 男らしくかじり付こうと思ったことはないの?」


 それについて釈明しようかとも思ったが、思い留まった。激昂する彼女に理由をつらつらと説明しても無意味な気がしたから。


 多分、僕がカレーパンの油が口の周りに付くのが嫌だからと正直に申し上げても聞く耳を持たないだろう。男らしくないと一蹴されてしまうだろうさ…。


 何も言わずに彼女の言葉を待っていたが、続きが一向に現れない。気不味い静寂が狭いワンルームを満たしている。


 そんな不穏極まりない空気に引きずり込まれるのを嫌って顔を上げれば、修羅の様に深いシワを作って唇を噛み締める恋人がいた。なんだか少し、引いた。


「どうして何も言ってくれないの? 口うるさい私に愛想を尽かしたから? 些細なことを言われるのが嫌い? 図星だから? ねぇっ、なんで? どうして? 面倒になった? それとも私が悪いの? 君の食べ方を許容出来無い私のせいなの? ほんと小さい人間で悪かったわ、ええ…そうなのね、うん、分かったわ」


 大粒の涙と怒涛の罵声を暴風雨の様に激しく撒き散らしてから彼女は慌ただしく出て行った。

 後にはポツンと取り残された僕と食べ掛けの夕餉ゆうげが二人分。被害が局地的過ぎて、何とも後味の悪い台風一過である。



 その夜から幾らかの時間が経ったけど、僕は今でもたまに君のことを思い出す。


 牛丼を注文する時。ピザを齧る時。カレーパンに口を付ける時。

 そんな時、たまに思い出す。

 

 君の怒りの形相を。個人的な主張を。呆気ない結末を。


 こうやってパスタをフォークに巻き付ける時に思い出す。

 あの頃より少しだけ成長してスプーンが要らなくなったけど、それでも時折思い出す。


「私はあんたの食べ方が控え目で好きだなぁ~」


 かつての日々を過ごした君とは正反対のことを――朗らかな表情で報告してくれる恋人が目の前にいても、思い出すんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

テーブル・マナーは案外大事 本陣忠人 @honjin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ