手を繋ぐ

蒙昧

手を繋ぐ

 仲間が部屋から出て行き、私は後に残された。ソファに捕縛されている全裸の少女を前にして、ジャージのズボンを下ろし限りなく自慰を繰り返していたが、仲間の目が無くなったということもあって、しまいに彼女と手を繋ぎたいという欲望が耐えきれなくなった。虚しく暴れる少女の右手を掴んで黙らせ、自分の左手と入念に堅く縛り合った、彼女もきっと繋ぎたかったはずである。

 ときどき、逃げられないとおのれに錯覚させるそこはかとなく麗しいこの状況は、人生を性欲のもとに単純化するというただ一点につけて、私を満腔に渡り震えるほど魅了した。私は予てからそのことを心待ちにし、幸運にも、その願いが実現した暁には、何であれ彼女を「愛する」準備ができていた。そうして、全てが思い通りになった今、私はきっとこの名前の知らない少女に、少なくとも愛されているはずだった。麻縄でがちがちに縛り合った相手の手、その汗ばんだ肉の感触、極限の恐怖で脳が焼き切れてしまったのか、少女は身体が自由についてゆかない。不随意に幽かな震えが高まって続き、そして急に鎮まった、彼女の私へ注がれる愛情の全てである。ときおり我々は手のひらの柔らかな部分でそれを親密に確かめ合った。赤らんだ若い肉の皮膚は必要以上に柔らかく深みがあって、少女はやや高音を含んだ唸りを発している、彼女の口を塞いだ黒のガムテープは荒々しい息遣いに湿り気を増して、べらべらの薄皮になりつつある。唾液と息の擦れ合った、サキソフォンに似た鈍い音が唸りに加担しコンクリートの部屋に共鳴していた。

 私には、自己の髄質を成す領域をしばしば無残に粉砕するという止められない悪癖があった。それはあたかも麻薬か何かのようにして中毒性をもって、静かに私の内側からじわじわと蝕んだ。情けない感情は飽和をはるかに超えて、私は今もなおその悪癖を促す観念に取り憑かれていた……大切にするものというのはとかく予想外に現実にぶち当たって、血も涙も無く破壊されがちなのだ。だからその前にこの手で以て、決して誇りを抱かぬよう、適度に握り潰しておくのがよい……そうした麻薬のもたらす快感の反動として、私は、卒倒するほどの苦悩に苛まれた。自分で採択した輝かしい可能性をそっくりそのまま焼却してしまおう、というその方針に、私は何度も打ちのめされた。そうした時、つまり、心の破片がかち合った末、炎を上げ、とうとう収拾がつかなくなった時、私はよく虚しい誠実さで胸をいっぱいにして、誰彼なしに背水の陣を乞うのであった……道は訳もなく中途半端に広がっていては却っていけない。真綿で首を締めるようなこの世の中には、必然性の薄弱な道が多すぎるのだ。私の首に掛けられた、頼りないくせに一方で一丁前の圧力を寄越して与えてくる、この外すのが面倒な首輪の紐、と私は願った、どうか、誰か一挙に結び目を寄せて、きつく私の首を絞り上げ、この声を永久的に黙らせてはくれないだろうか。それか、あるいは、何か目が眩むような希望を一つ、私に差し出してはくれないだろうか。誰でもよいし私はその君を絶対的に愛するつもりだから、何も尻込む必要はない私を愛してくれさえすればもうそれだけで十分なのだから……。

 しかし、少女と無理矢理に手を繋ぎ、自慰と趣を同じくする奇妙に倒錯したマゾヒズムにこうして浸っていても、私は到底十分な満足を得られなかった。流動的で取り留めのない私の心には、矛盾を重んじる所はいま何処を探しても見当たらない。私はいつしか揺るぎない価値観に支えられることを、止めてしまったのだろう。それこそが一種の価値観として私の中にあった。少女は終始唸って、懸命に助けを求めていた。二重のガムテープの繊維の隙間から艶かしい唾液が滲んで、股の間に数滴落ちソファの皮を滑り、コンクリートの床に垂れ広がった。そして私は自分の膝小僧が取り返しのつかないほどに冷えて固まっていることに気づいた。そのくせ、身体の芯はひどく熱を持っていた。

 少女は器用で変質な仲間の手によって、アイマスクを着用し、下着を脱がされ、股を大きく開いた上で、一人用のソファに座り、身体中を身動きが取れないほどに緊縛されていた。仲間は今、「嗜虐的な行為の準備を整える」と言って出掛けている。張り巡らされた縄の間で、少女の細かく震える小さな突起は際立ち、見ていると私を少なからずも性的な高潮へいざなった。しかし、ただそれだけのことのように思われた。陰毛の手入れが行き届いたそのピンクの淡い広がりに、指や棒や自分のものを突っ込んで、どれほどに好きなように楽しんだところで、所詮何も生産的なことは出来ない。オナニーをしている方がましだ。私は、この部屋を満たす蠱惑的な自由に、大した意味合いを見出だせずに居た。

 立ち上がって無言で動き出した私の気配に身を強ばらせていた少女は、アイマスクを取ってやると、突如として私の存在に目をみはった。じっくりと見つめ合ってみれば、それなりの美人で、前にも増して性欲が横溢する。女はただ股を開いていればいい。どうやらそういう訳でも無さそうだ。調和を保った要素が統合し交わって、私の鬱屈な穴を極上の形で刺激するのだった。ひょっとすると、彼女の潤んだ突起を甘噛みしたり、尻の穴を嘗めたりほじくったりして愛を育んでいた方が、案外十分に満足を得られたのかもしれない。私は考えている間、微動だにしなかったが、少女はしきりに舌を動かしていた。目は涙で腫れ上がり、ガムテープを破って何かを訴えるつもりなのか、少女はその真ん中に舌をつき出して、くちゃくちゃと耳障りな音を立てている。片足を延ばして波打つピンクの広がりに五本の足の指を埋めてやろうと試みると、少女が煩く呻いたので、ガムテープを乱暴に剥ぎ取った。そこで、足を元に戻しながら、彼女の生の声を聞く前に、私は大きく少女の顔面をぶっていた。すかさず距離を詰めて冷たい膝を彼女の股間に捩じ込んで生肉の温かみを感じる、少女は気を失いかけている、さらに距離を詰めて縛り合った手を大振りに回して彼女の頭の支えにし、もう片方の手は唇からぐったりとはみ出した舌を摘まんでいる、それをくわえに行くようにして、私は少女と貪るようなキスをした。精神が崩壊して力の入らない彼女は私の中に濃密な嬌声を送り続け、眼前の目には光が宿ることはない、虚ろな眼球を半ば目蓋が覆ってい、我々はひとしきり涎を共有する、膝が彼女の中に埋まってゆく……この少女の穴の中にはズッキーニでも詰められるのではないか? 発熱が膝をほぐすが、それでも満たされない何かを感じ、私は苛立ち始めていた。

 薄明かりの部屋の窓の外で、コウモリが、まるで錆び付いた自転車のような軋んだ声で鳴いている。ダンスミュージックを大音量で漏らしたラグジュアリーカーがこの廃墟の近くを通り、救急車が目的地へと急ぐ。不自然なリズムでアクセルを鳴らして単車を享楽する暴走族が、我慢の限界を次々に超えてくる騒音を撒き散らし、夜の街を走る。街宣車だろうか、高給バイトを宣伝するキーキーとした若い女の声が聞こえる。私はふと、この少女について何一つ知らないことに愕然とした。仲間の恋人か、あるいはデリヘル嬢か。いや、そういうあくまで倫理上許されそうな話ではない予感はずっとあった。彼女を連れてきた経緯と縛りつけるまでの状況を、私は目にした訳ではなかったし、仲間の言動や少女の身体の反応から推測すれば、おそらく彼女は本当の意味でここに縛りつけられているのだった。仲間は言った。「どうだ、生身のダッチワイフだ、好きなように可愛がってやれ、そうすればこいつも喜ぶよ。暴力を振るわれるのが好きなんだ。そのためにおれは今から嗜虐的な行為の準備を整えてくる」彼は一般的に見て不気味に思われる笑みを浮かべながら、拳をつくって少女の鳩尾を殴った。彼女は嘔吐きと嗚咽の混じった声を出して鼻水をたらし、涙を流した。ほら、こいつ、面白いだろ? と仲間は言った。その時私は彼女に多少なりとも憐憫の情を寄せていたことを、思い出した。仲間が出ていってからの数時間は、私はまだこうした理性を微妙に保った状態で、彼女との距離を変えないまま、自慰に耽っていた。しかし、度重なる果ての中で、私は日常の苦悩の慰安を少女に求めるようになっていった。どん底を漂う彼女には、私の苦悩なんて一笑に付せるのではないだろうか……そうした中で、私に生きる糧を示唆してくれるのではなかろうか。

 こうしてわりあい理性的な思考に立ち戻ることが出来たのは、仲間の車が階下にやってくる音が聞こえた気がしたからである。彼の乗る車の、特徴的なエンジン音を覚えていた。

 私は彼女を揺さぶった。汗ばんだ肌の熱は冷め、濡れたタオルのように柔らかくうねった。少女の、身体の根幹を成す精神がとうに失われてしまっている。起きろ、起きるんだ、縄をほどいてやる、おれとここから逃げよう。そう言いたかった。しかし、彼女は未だ目を覚まさなかったうえに、私は傀儡のようになった彼女と半ば献身的なキスの真っ最中だった。気づけば、ピンクの広がりを無理矢理引き裂き貫くようにして、少女の股の中にあった私の膝は、びちょびちょに濡れていて、ジャージのズボンから尿の臭いが漂ってきた。窓から染み込んでくる夜気に冷やされて、その透明に見える液体は、甚だ冷たく不快に感じられた。続くように、彼女の尻から突然発せられる半濁音……私は意識をそこに移さざるを得なかったし、もうその時には何かを抑えて張りつめていた緊張の糸がきりきりと音を立てて切れかけていた。そして、臭いと音が一定量部屋に充満したある瞬間、私は少女が許せなくなった。

 思い切り少女の生気のない舌を噛んでやった。震え出した傷口からどくどくと溢れた鉄のにおいが私の中まで広がってくる。彼女は目を見開き、すぐにキスを中断した。口を堅く閉じてできうる限り身をよじった。溢れた血液が唇の端から唾液に混じって、股の間の私のズボンの上に垂れ落ちて、糞尿と溶け合い滲んだ跡を作った。

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