首吊り男と山ガール

新成 成之

ポケットの中身

 こんな人生やってられない。


 そう思い、俺はとある山で首を吊ることを決めた。財布も携帯も持たず、ポケットにロープを一本だけ入れて登山道を登る。途中、脇道に外れると、獣も行かぬ道無き道を突き進んだ。こうして、俺は無造作に延びた木々に囲まれたこの場所を死に場所に定めた。


「ここまで来るのもなかなか大変だったが、ここでようやく死ねる。これまでの辛かったこととも、これでおさらばだ」


 俺はロープで輪っかを作ると、それを木の枝に結び付けた。


「さようなら、人生───」


 そう言って輪っかに首を通そうとしたその時、何処からともなく声が聞こた。


「あのー!すいません!」


 ここは落ち葉や枯れ枝しかない山奥。そんな場所で聞こえるはずのない、若い女性の声。きっと、死を直前にして幻聴が聞こえてしまったのだろう。そう思い、俺は気にせず再び輪っかに首を通そうとする。しかし、その声は幻聴などではなく、もう一度しっかりとこの耳に聞こえた。


「あのー!聞こえてます?!そこのお兄さん!」


 この場に俺以外の男はいない。つまり、声の主は確実に俺のことを呼んでいる。そしてそれは、俺の後から聞こえる。


「お兄さんですよ!そこで、パンダごっこしてるお兄さん!」


 今から首吊り自殺しようとしている男を、どう見たら『パンダごっこ』しているように見えるのだろうか。俺は、その声が気になったが無視して首をロープに掛ける。


「お兄さん!もしかして、聞こえてないのかな?はっ!もしかして、外国の方?!Hey!Brother!」


「いや、おかしいだろ!」


 俺は思わずツッコミを入れてしまった。その拍子で俺は体のバランスを崩し、落ち葉の床に尻餅を着いた。


「なんだー!お兄さん日本人じゃないですか!」


 顔を見上げると、そこにいたのは登山用のオレンジ色の服装に身を包み、大きな登山リュックを背負い、つばの広い帽子を被った二十代の女性。


「さっきから何なんだよ・・・、何で俺のことを呼ぶんだよ・・・」


 俺は死のうとしている。自殺を止めに来たのなら、お節介にも程がある。早急に帰ってもらいたい。


「いや、あの、実は私迷子でして。それで、たまたまロープで遊んでいるお兄さんを見かけたものですから、下山ルートを教えてもらおうと思ったのです!」


 こいつは馬鹿なのか。何で一本道の登山道で迷子になるんだよ。それに、あの状況の俺を『遊んでいる』ように見えたのなら、こいつの目はきっと腐ってやがる。


 なるほど。だから、こいつは迷子になったのだろう。


「いや、普通に考えてさ、俺私服じゃん?どう見ても山登りに来た人じゃないの分かるよね?」


 今の俺はベージュのチノパンにチェックのシャツと、目の前の女とは対照的に山には相応しくない格好をしている。


「はっ!もしかして、山をくだりに来たんですか?」


「一回登らないと、下れないだろ!」


 確信した。こいつは馬鹿だ。登山家みたいな格好をしている割に、登山の知識はほとんど無いと見た。それに、どこか馬鹿っぱい顔をしている。


「あっ!確かにそうですね!」


 付き合ってられない。いっそのこと、こいつの目の前で首を吊って死んでやろうか。


「でも、お兄さんもこんな所にいるってことは私と一緒で迷子なんですか?そしたら、大変です!私たちはこの山で遭難しちゃってますよ!」


「そうなんすねー」


 帰りたい。どうやら俺は死に場所を間違えたようだ。こんな五月蝿い場所で死んだところで、あの世でもこの女の声が聞こえてきそうだ。それだけは勘弁してもらいたい。俺はもっと、世界から隔離された静かな場所で死にたいんだ。それなのに、何でこの女は俺の邪魔をする。


「こうなったら、二人で道を探しましょう!ほら!いつまでも座ってないで、立ってください!」


 何故かその女は俺に立てよ立てよ、と手で煽ってくる。その格好があまりにも間抜けで、思わず吹き出してしまった。


「なっ!なんで笑うんですか!?」


 俺は別に迷子ではない。しかし、俺がこのままこの女を放置したところで、こいつはここに居座りそうだ。そうなれば、俺はいつまで経っても死ぬことができない。それだけは阻止しなければならない。


 そう思うと、俺はゆっくりと立ち上がり、尻に付いた落ち葉を叩き落とす。


「ほら、降りられる道探すんだろ?行くぞ」


「えっ?一緒に、探してくれるんですか?嬉しい!」


 死にたいが為に、俺はこの女を山の麓まで返してやろうと考えた。



*****



 しかし、これがなかなか辿り着けずにいた。


「おっかしいな・・・、こっちから来たはずなんだけど・・・」


 登山道から外れてあの場所に来たはずなのに、なかなか元の登山道に戻れずにいた。そんな複雑な道を歩いてきた覚えはないのに、いくら歩けど同じような所をぐるぐると歩き続けていた。


「お兄さん、やっぱりさっきの木のところを右に行くんですよ。私の勘がそう言ってます!」


 何度も言うが、俺は迷子ではない。迷子なのはこの女だ。そんな迷子の女の勘など信じて進めるはずがない。こいつは自分の勘を頼りに進んだせいで迷子になったことを自覚しているのだろうか。


 腰の高さまで伸びた草を掻き分けながら進むことおよそ一時間。突然俺の腹の虫が盛大に鳴き声をあげた。


「お兄さんお腹空いてるんですか?私お菓子持ってますけど、食べますか?」


 人間生きていれば腹は減る。だとしても、皮肉なものだ。ついさっきまで死のうとしていた人間が腹を空かせているのだからな。こんなことで生きている実感を得ることになるとは思ってもいなかった。そもそも、こいつに会ってさえいなければ俺は今頃お空の上にいるはずなんだ。


「はい!お兄さん!疲れた時はチョコレートです!」


 そう言って、女は俺に板チョコをくれた。何も、一枚まるまるくれなくてもいいのに。


「そうだ、そろそろ少し休憩しませんか?お兄さんも疲れるはずですし」


 正直、道無き道を歩き進むのには普通に歩くよりもエネルギーを要する。そのため、俺の体には疲労が確実に蓄積されていた。


「温かいお茶もありますから!」


 俺は女の言う通りだと思い、その場で休憩を取ることにした。




「お兄さんは、山を降りたら何をしたいですか?」


 女は水筒のお茶をカップに注ぎ、それを俺に手渡しながらそんなことを聞いてきた。


 山を降りたらしたいこと。そんなのは決まっている。死ぬのだ。俺は死ぬために山に来た。それなのに、気が付けば俺は山を降りている。そう、俺は何一つとして目標を達成してないのだ。俺はこれ以上生きているのが辛い。だからこそ、俺はすぐにでも死にたい。山を降りたところで、俺は再びあの場所に戻り一人で首を吊るだろう。今度は、誰にも邪魔をされずに。


「私は、お風呂に入りたいですね。何か、お風呂に入ると生き返った気持ちになりませんか?」


 確かに、風呂に入った瞬間のあの全身の力が抜ける感じは、まるで生き返ったかのような感覚にもなる。


 俺自身、風呂に入ることは嫌いじゃない。仕事で疲れて帰宅した時。どんなに夜遅くでも、浴槽にお湯を張り、長時間湯船に使っていることもしょっちゅうあった。確かに、今の俺は全身汗をかいて体がベタベタしている。出来ることなら目の前に用意された風呂に飛び込みたいくらいだ。しかし、そんないきなり目の前に風呂が現れるなんてことは起こり得ない。


 いや、何を考えているんだ。俺は死ぬのだ。何も、明日のために汗を洗い流す必要は無い。俺に明日はない。あるのは死のみ。余計なことを考える必要など、この俺にはないのだ。


「後は、お腹いっぱいご飯が食べたいですね。それも、お母さんが作ったやつを」


 ほかほかの白飯に、豆腐とワカメの味噌汁。そして、おかずには俺が好きなオムレツ。それに大量のケチャップをかけて食べるのが子供の頃は大好きだった。しかし、大人になった今、お袋の作る飯などここ数年口にしていない。最後に口にしたのだって、俺が最後に実家に帰った時だから、あれは確か正月で、もう五年くらい前になるのか。あれからもう五年が経ったのだ。毎日仕事に追われ、休日といるような日は無く、ひたすらに我が身を酷使し続ける日々。それでいて、何の成果も得られない。評価をされる訳でもなく、いてもいなくても変わらない存在。そんな俺が生きている意味など、もうどこにも無いのだ。そう、俺はもうこんな世界はうんざりなんだ。早くこの女を麓に返して死にたい。


 そう思いながら、俺は貰った板チョコを不器用に割ると、口に放り込んだ。すると、口の中はミルクとカカオの味で満たされ、脳に糖分が行き渡っているような、疲れ果てていた体に活力が湧いてくるような感覚がした。


「どうですか?チョコレート美味しいですか?」


 気が付くと、女は俺の顔を覗き込みながら嬉しそうに尋ねていた。俺は妙に恥ずかしくなり、黙って頷いた。


「ですよね!疲れた時はチョコレートです!これは、基本ですね!」


 テレビでそんな話を聞いたことはあったが、実際に体感すると、普段食べていたチョコレートとは違った物に思えてしまった。糖分がここまで人体にエネルギーを与えてくれるなんて、初めて知った。


「そろそろ体も休まりましたし、再び行きますか!」


 その後、お茶を飲みながら体を休めると、俺達は再び山道を歩き始めた。



*****



 それから数時間、周囲に生えている草木の高さが踝くらいまでに落ち着いてきたかと思うと、辺りはすっかり暗くなっていた。俺達は女が持っていた懐中電灯を頼りに、尚も下山を続けていた。しかし、夜の山道は危険が多く。何度も草に足を取られては、転びそうになっていた。


「山を降りるのって、時間がかかるんですねー」


 女は呑気なことを呟きながら、俺の後ろを付いてきている。俺はそれをたまに振り向きながら確認しつつ、周囲の状況を確認しながら進んでいた。


「だとしても、こんなに時間がかかってるのはおかしいだろ・・・、もう何時間歩いてんだよ・・・」


 ちょくちょく休憩を入れているせいなのか、俺が登った時の四倍の時間も歩いているだろう。どう考えてもおかしい。まさか、また道に迷ったのか。しかし、周囲を見渡してもあるのは木のみ。しかしも、分かるのは懐中電灯の灯りが照らす範囲のみ。絶望的状況の中、女は相変わらずな様子で俺に話し掛けてきた。


「私お兄さんと一緒で良かったです。私一人だったらここまで来ることも出来ませんでしたよ」


 こいつは何を言っているのか。まだ麓の山小屋だって見えていないというのに。


「私、お兄さんと歩いてて楽しかったですよ。何か、お兄さん途中から生き生きして歩いてるんですもん。そんな顔見てたら、自然と私も楽しくなってきましたよ」


 俺が生き生きしていただ?そんな訳はないだろ。俺はひたすら麓を目指して歩いてたんだ。何も、下山を楽しんでいた訳じゃない。


「お兄さんって、どうにかしようって思った時って案外自分が思っている以上の力を発揮出来る人なんですね」


 お前は俺の何を知っている。何も知らないだろ。それなのに、分かったようなことを言うんじゃない。


「でも、こういう時だから分かることとかあるんですよ?本当に」


 俺も分かったよ。お前が、馬鹿で間抜けで、それでいて俺の心配なんかしてくれるお節介な奴だってね。


「このままずっと二人で歩けたら楽しいんですかね」


 流石に、俺は家に帰りたいぞ。家に帰って風呂入って、飯食って。そんでもって、暖かい布団でぐっすり眠りたい。今なら、布団に入って即刻寝れる自信がある。


「優しいお兄さん!私と一緒に居てくれてありがとうございました!」


「何わけのわからないこと言ってんだよ。そんなこと言ってる元気あるなら、お前先・・・ある・・・け・・・よ・・・」


 振り返ると、そこには誰も居らず。懐中電灯は俺が歩いた道を照らしていた。足跡は一人分。俺の靴の足跡のみが残されている。


「おい・・・、どこ行ったんだよ・・・また迷子か・・・?おいおい・・・、ここに来て迷子になるなよ!」


 俺は周囲に聞こえるように叫んだ。きっとどっかで転んでいるんだ。だって、ついさっきまで声が聞こえていた。そう、聞こえていたんだ。最初に会った時と同じように。


 すると、道の奥から一筋の眩しい光に照らされ、俺は思わず目を細めた。


「遭難者発見!」


 遭難者?まさか、俺のことを言っているのか?


 すると奥から現れたのは山岳救助隊を名乗る人達。俺は彼らに保護されると、一緒に山の麓まで降りて行った。


「いやー、探しましたよ。何の装備も無しに山に入っていく人を見たっていう人がいたんで、万が一を想定してたんですけど、見つかって良かったですよ。でも、山にそんな格好で来るのは今後一切やめてくださいね。山は一本間違えれば、命を落とす危険な場所なんですからね」


 何で俺は怒られているんだ。俺は何か大切なことを忘れている様な気がした。


「あの・・・、俺の他に遭難者がいるっていう連絡受けてませんでした?女性の人がいないとか・・・」


 俺がそう聞くと、救助隊員は表情を曇らせ、こう答えた。


「丁度、貴方が入山するちょっと前に数日前から行方不明だった女性が見つかったんですよ」


 それを聞き、俺の心臓は嫌に早くなるのが分かった。


「しかし、残念なことにその方は既に亡くなっていました」


 信じたくない、そう思いながらも俺は救助隊に尋ねた。


「その人って、つばの広い帽子を被って、登山リュックを背負って、オレンジ色のウェアーを着てませんでした?」


「よくご存知ですね。もしかして、お知り合いの方ですか?」


 俺のポケットには、女から貰った食べ掛けの板チョコが入っている。

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首吊り男と山ガール 新成 成之 @viyon0613

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