42. コロナのワクチン接種とへの応援コメント
そうですね。お兄さんの不安な気持ち、わたしもわかります。
新しいワクチンは、本当に害が無いとかわかるのは、数年~数十年後と言われています。打ってから、何年も経って変化が起こる場合もあるからです。(例えば発がん性が高くなるとか)
でも、それを調べていたら、間に合わないから、リスクが少ないと思われる事をしている。
自分の身に起こるかもしれない事。しかも、自分で選択できるのなら、自分で決めたいですよね。
もちろん、自由には責任がともないます。
それによって起こることは、全て自分で責任を負わなければなりません。
私も不安でたまらず、最初の頃はワクチンを打ちませんでした。ですが、やがてワクチンを打たないわけにはいかなくなってしまったのです。
当時は仕事の関係で、妊婦さんと接する機会が増えはじめていました。
私が感染すると、妊婦さんが流産したり、子供に障がいが出る可能性もあります。私のせいで、そんな事になったら、悔やんでも悔やみきれないでしょう。
あまり、これを言っても理解してもらえないのですが、私は死ぬことがとても怖いのです。怖くて怖くてたまらないから、いますぐ死にたくなる。
いつかわからない死を待ち続けることが、恐怖過ぎるのです。
そんな私でも、結局はワクチンを打ちました。最終的に、自分の意思で。
作者からの返信
ありがとうございます。
何度も返信が遅くなりすみません。
私は自分の死も、周りの人の死もこわくなる時があります。
ふと、
「このまま会えなくなったらどうしよう」
に近い感情を持つことも。
……不思議ですよね。病状が悪化してたときは、自分の死を強く望むことも多かったのに。
元橋ヒロミ様は、色々なことに対して、自分で選択したいのですね。
(違ってましたらすみません)
41. 「かわいそう」を本人に言って良いものかへの応援コメント
「かわいそう」というのは、自分が上だという意識があるように思えて、あまり個人的には良いイメージがありません。
もちろん、その「かわいそう」に、どういう意味を込めているかによって、違ってはくるのですが。
例外もありますが、私の基本的な考えは「かわいそう」かどうかは、本人が決めるのだと思っています。
例えば「片親だったなんてかわいそう」と言われたとして、「勝手に、かわいそうと決めないで!」と、私は思います。
「左足が普通に動かない(関節を骨折したので)なんて、かわいそう」と言われても、腹を立てるでしょう。だって、手術して、リハビリして、ここまでになったのですから。
『不便』と『かわいそう』は違うと思うのです。
『あわれみ』と『やさしさ』が違うように。
作者からの返信
ありがとうございます。
本当に、おっしゃる通りだと思います。
私の祖母が、私たちが子どもの頃によく
「あにちゃんはね、かわいそうなんだよ」
に近い言い方をしていて、ずっと何か引っ掛かっていました。
兄は、まだ発達が完全でない超未熟児で生まれたためもあり、「自閉症混じりの脳性麻痺」です。
「もって3日の命」
と医師から言われて、今も生きていて。
「歩くことはできないでしょう」
と言われたけれど、母は兄のリハビリにと連日、病院へ兄と赴きました。そのサポートに祖母がうちに来て私ともう片方の兄のことを見てくれていた。
そして今、歩けている。
なにをもってして、
「かわいそう」なのか。
そう言ってしまったら、それまでの「過程」も意味のないことのようにも思えてしまう。全部の努力が
「あわれみ」になってしまうのは、とても悲しいことですよね。
40. 終戦の、本当の終わりはへの応援コメント
『戦争に勝者無し』と言いますが、本当にその通りですね。
正しいかどうかを、力尽くで決めるなんて、絶対にどうかしています。
負けたら、その後に『責任』という罰を受けることになる。愛する者が殺されたというのに。
勝っても人が亡くなっていて、殺した相手を恨む。
人種や国境が無くなれば、戦争が無くなるかというと、それはむずかしいかとも思います。
国民の幸福度が高かったタイが、SNSが普及したら、幸福度が下がったというのがありましたよね。『他と比べ』たり『不公平感』を感じた結果でした。
かといって『幼年期の終わり』のように、悟りきったような人類に変わってしまっては、また違うような気もして、悩ましいです。
もちろん、戦争は論外として。
作者からの返信
ありがとうございます。
本当に、元橋ヒロミ様はいろんなことをご存知なのですね。
恥ずかしながら、タイのお話ははじめて知りました。
「情報」というのも、多く知れば知るほど良い、とも言えませんよね。
なるほどなと、納得はします。
なにかを知る、というのは、誰かの何かを、ですものね。
誰かを応援するのは、誰かを批判することに繋がることもあります。
この題材は、とても悩ましいものであり、複雑なお話ですね。
39. 障害年金の申請の際の「病歴・就労状況申立書」についてへの応援コメント
知らないことばかりなので、とても参考になりました。
仕方の無いことなのでしょうが、書類を書くときに、思い出さなければならないのが、辛いですね。
月凪あゆむ様のエッセイは、客観的に冷静に書かれているものが多く、『人に伝える』ことをシッカリ意識されていて、スゴイと思っています。
私はコメントを書く時も、思い出して泣いてしまうこともあり、感情のコントロールが上手くいきません。
作者からの返信
いつもいつも、嬉しいコメントありがとうございます……!
私も、感情のコントロールはそんなに上手くはないですよ。わりと涙もろくなりました。
伝えたいことが、上手く伝わっているのならなによりです。嬉しいお言葉、ありがとうございます。
ちなみにこの
「病歴・就労状況申立書」
は、ある方からは
「本人が書くのはおすすめしてないから、よく通ったなと思ってた」なんて言われました。
専門の方に依頼するやり方もあったようですね。
38. 障害者と障がい者への応援コメント
そうですね。
個人個人、いままで経験してきたことや考え方など、一緒じゃない事の方が多いです。なので、他人の考え方を全て理解するなど、とうてい不可能。
それを理解しつつ、いろいろなことを発信していくのが、わたしの理想ではあります。
『押しつけ』には、なるべくならないように、考えてはいますが、難しいですね。個人の考えが無ければ、書く意味が無いこともありますし。
作者からの返信
ありがとうございます。
そう、難しいですよね。
「こうだと思う!」
と
「私はこう思った!」
これは、同じではない。
片方は、全体的に。片方は、自分の気持ちとして。
気をつけてはいますが、あとから見ると
「この書き方は、押し付けになるか……?」
と思うこともあります。
言葉やイントネーションでも、変わってしまう。
本当に、難しいです。
37. 子どもで居たかったきょうだいはへの応援コメント
月凪あゆむ様は、子供の頃を、子供として過ごせなかったのですね。
私もそうですが、「わかります」と言えるほど、たぶん真面目には生きてこなかったので、楽だったのだと思います。
これは、私個人の勝手な考えなのですが、幼い頃に出来なかった事を、大人になってからやっています。
両親は亡くなってしまいましたが、いろいろと取り戻す為……というか。
誕生日を祝ったり、旅に出掛けたり、暴飲暴食をしてみたり。映画館で映画を見たり、外で食事をしたり、デートしたり。
幼かったころにやるのとは、違いますけど。
人の生死に関わること以外は、大抵取り返しがつくと思っているので。
そして、出来ることなら、最後は人の為に死にたいかなと。自殺も、誰かを助ける為の死も、同じ死なら、人を助けて死にたいなと。
そう思うようになりました。
作者からの返信
ありがとうございます。
そうですね。あまり子どもらしい子ではなかったです。
その分、いま。
時々感情が爆発することがあります。(良いのか悪いのか)
元橋ヒロミ様は、素敵な考えをお持ちですね。
特に、最後の
「同じ死なら、人を助けて死にたい」
誰でも思えることではありません。立派だと思います。
36. 「じゃない方」の人の気持ちへの応援コメント
月凪あゆむ様は、そのような思いをされてきたのですよね。
一般で言えば「お兄ちゃんなんだから」と、年上の方が理不尽に思ったりするものですが。状況によって、それが180度変わってしまう。
先日、ドキュメンタリーを見ました。
その中で、重度の障害を持った兄のいる弟が出て来ます。彼は、兄を施設で預かってくれる一日だけ(月に1.2回)、両親を独占できるのでした。
その時だけ、本当に子供らしくなっていて。当たり前な現実ですが、いろいろと感じるものがありました。
作者からの返信
ありがとうございます。
我が家の場合は、障がいを持った兄が二人いて。少し歳が離れて私が生まれました。
そのうちの片方は、医師から
「もって3日の命」と言われたり、それを越えたら
「歩くことはできない」
と言われたそうでして。
そこからは、歩行訓練を重ねに重ねて。いまは歩けています。
そんななので、私もですが、もう片方の兄も、
「かまってもらえていない」
と、だいぶ拗らせています。
私は中学くらいから、そのフォローもしてきました。
まあまあ、複雑ですよね。
35. 自分の名前を愛することへの応援コメント
結果から言えば、私は名字を変えました。
父方の親戚が、どうしても許せなかったというのもあります。
私や母へ最悪の言葉を吐き、見捨てたからです。だから、せいせいしています。
私は自分の名前が好きなのかは、良くわかりません。そもそも、ほとんど呼ばれることがありませんから。
でも、好きになれたら、良いなとは思います。
いまのところは、正直わかりません。
作者からの返信
ありがとうございます。
我ながらなんでこのような題材で書いたのか忘れました。
それくらい前のなのですが、読んでくださりありがとうございます。
本人の気持ちが楽になるのなら、それは他人が責めるものではないと、今もそれは思います。
私は。好きかというよりは、ひらがななので素早く書けるというとこは、便利に感じています。(笑)
34. 私がいじめられていた話への応援コメント
頑張りましたね。
立派だと思います。
生きていて、このカクヨムで発表されて、それを読んだ方の中に、元気づけられた人もいたと思います。あっ、ココにいました。(私)
理解してくれる方が、一人でもいるというのは、本当に希望になりますよね。
表情が無くなるというのは、良くわかります。私もそう言われていました。
全く笑わないし、表情がないと。でも、私としては、単に世の中がつまらないだけで、特別に何か感情を持っていたわけでも無かったんですけど。
母子家庭で、まあ、母親もストレスを抱えていて、いまで言うところのDVとかあったので。学校で普通に生活している人とか、なんか別世界で、私は浮いて、イジメみたいなことがあったりもしました。
でも、その頃の母親の気持ちが、いまはわかります。(頼る人もいなかったから)
もう、母は亡くなっているので、何もかも遅いですけど。
作者からの返信
いつもあたたかなコメント、ありがとうございます。
一時は死すら考えたりもしましたが、いまはおかげさまでそれなりに落ち着きはあります。
私の考えたことが、元気づけになれていたというのなら、これ以上嬉しいことはありません。
元橋様にも、たくさんの苦悩がおありなんですね。
(経験は同じではないですが)
お互い、色々なことがありましたね。
遅い、のかなんとも言えませんが。お母様のお気持ちがわかるようになった、というのは、
それだけ元橋ヒロミ様というひとが、たくさんの積み重ねでの
「いま」があるのでしょうね、きっと。
あなたも頑張りましたし、とても立派だと思います。いつもありがとうございます。
30. 椅子を投げたひと、逃げなかったひとへの応援コメント
幼稚園で、少し働いていたことがあります。その幼稚園は、そこを卒園すると良い小学校へ入りやすいという、そんな幼稚園です。
その日は、幼稚園で馴染めずに、逃げ出そうとする子を見張るため、正面扉の前にいるように言われました。
すると、お遊戯の時間なのに、一人トコトコ歩いてくる男の子が。
「どうしたの? 先生が教室で待ってるよ」
「せんせいが、おこる」
その男の子の話では、些細なことで先生がものすごく怒るというのでした。それも、特に今日は激しいとのこと。(確かに、感情の激しいところがある先生でした)
「先生も、機嫌が悪い日なのかもね。朝、嫌なことがあったとか」
「うん」
「納得できないだろうけど」
「しかたないよね。いろいろあるから」
それから、その男の子と少し話をして、男の子は教室へ戻っていきました。
ふと、園児と話していたのだと我に返り、大人みたいな理解がありつつ、仮面ライダーに夢中なギャップに、微笑ましくなったのを覚えています。
作者からの返信
ありがとうございます。
そんな経験をされたのですね。
その男の子は、賢く敏感なのでしょうね。でも、ちゃんと子どもでもある。
もしかしたら、その子も、元橋様とのお話したこと、なんとなくでも覚えているかも、しれませんよ。
子どもにとっては、
「大人がちゃんと自分の話を聞いてくれた」
というのは、案外多くはない、
……という気もしますので。
29. どうしても、マスクを着けられないへの応援コメント
いっとき『ヘルプマーク』を悪用する人が多くて話題になりましたね。そのせいで、本当に必要な人まで疑われるハメになっていると聞き、嫌な気持ちになりました。
『ヘルプマーク』をネットで大量に販売(基本、無料でもらえたはずの物)する人まで出てきて。日本人も落ちたものだと思いました。
『ヘルプマーク』のようなものは、第一にモラルの元に成り立っているものですから。
私は呼吸器に問題はありませんが、精神的に息苦しく感じて、たまに付けているのが耐えられずに外してしまうことがあります。
それが一部の人のせいで、誤解されてしまうというのは、なんだかやりきれない気分です。
『もし、自分の身内が、本当にヘルプマークが必要だったら』そういう人も、行動が変わると思うのですけど。
想像力が欠如しているのでしょうね。
作者からの返信
ありがとうございます。
そして毎度、返信が遅くなりすみません。
私の兄も
「マスクをつける意味がわかってない」ので、当時は特に、外では口まで下げたマスクを、家族が直していまして。
(今も)
本当に、想像力って大事ですよね。
28. 「頑張って」と「無理しないで」への応援コメント
「頑張って」と「無理しないで」は、言う方が同じ気持ちで言っても、受けての気持ち次第で、伝わり方が変わるから難しいですね。
私も、どう言えば良いのか、悩むことがよくあります。
先日も、仕事上で大きなミスをした人がいて、とても落ち込んでいるようでした。別の同僚も、「ちょっと、気の毒になるくらいに言われていた」と言っていました。
そのまま、あたりさわりなく、何も無かったように過ごすのもアリだったのでしょうが、私は一声かけて、元気を出してもらえるようにお菓子を渡しました。
実際に、相手がどう感じたかはわかりません。結局は、私のエゴでしかないので。
『どうかわからないから何もしない』というのは、なんだか違っているような気がして。
違っているかもしれないけど、対話をしなければ、結局はわからないままなのかなと。そんなことを、勝手に思っています。
作者からの返信
ありがとうございます。
それがエゴであったとしても、元橋様の
「元気をだして」というお気持ち、きっとお相手にも伝わってるんじゃないかと思います。
そうですね。
言葉を交わすことで、相手のことをちゃんと考えることにも繋がるとも思っています。が。
そこまで進むのが、難しい場合もあるんですよね……。
27. 寄り添うということへの応援コメント
本当に、その通りだと思います。
誰かが寄り添ってくれたのなら、それだけで救いです。
しょせんは他人だし、『全てをわかってくれ!』と言っても無理な話でしょう。だから、そこまでは期待しません。
でも、わかろうとしてくれたのなら、それだけで救われるのです。
ただ、本当に寄り添ってくれる人は少ないですよね。
いきなり解決策を提示してこられても、「そうじゃない!」ということが、わかってもらえない。
作者からの返信
ありがとうございます。
「寄り添う」
とても、難しくて、でも単純とも言えるかな、と。
例えば。
自分の言葉に、涙してくれる相手がいて。
まるで自分に起こった出来事のように考えてくれる。
それこそ。
「どうしてあなたが泣くの」
というようなこと。
それは、想像力や感受性とかも関係しますけど。
そんな相手がいるのは、とても救いになる気がします。
(なかなかいないけど)
26. 想像と偏見への応援コメント
私は『カクヨム』では、主に聴覚障がいについての情報を発信しています。
確かに、情報として『喜怒哀楽』の中では、『喜』や『楽』の割合が多いかと思います。
理由としては、まず『とりあえず読んでもらう』ことを第一の目的としている為です。
(広告は入れていないので、お金のためではありません)
もし、興味を持ってもらえれば、あとは私の記事を読んでいただいても良いし、他のものを自分で調べたり、読んでもかまわないと思っています。
もちろん、私の文章を読んでいただきたいですが、現時点では実力不足なところがあるのは、承知していますので。
私の記事は、数こそ少ないものの『怒』や『哀』も入れています。ただ、『特殊な思想』だとか『政治的』だとか、勘違いされる事があって、それが嫌だというのもあります。
作者からの返信
ありがとうございます。
そして、返信が遅くなってしまい、すみません。
なかなか、最近はゆったりした時間がとれていないのですが。折を見て元橋ヒロミさんの文章も読んでみたいと思います。ええ、必ずや。
勘違い、と言いますと。
私の、この頃のお話も
一見「難しそう」と思われることもあります。私自身は、そんなつもりはなかったはずなのですが。(笑)
24. その手をとることへの応援コメント
綺麗ごとは、生きていくのに大切だと思います。
逆に、理想や綺麗事のない世の中を、誰が生きたいと思うのでしょう。
誰もが、共通した認識を持っているわけではないので、100%理解しあうということは、無理だとは思います。でも、相手の気持ちになって考えることは、出来るかな? とも思いますし。
ただ、そんな気持ちを持っていても、いまの私にとって『世の中』は恐ろしく怖いものです。
それでも、生きていくのは、亡くなった母との約束と、『この恐怖を克服できるのでは?』という希望にほかなりません。
作者からの返信
ありがとうございます。
「綺麗事」という言葉で、私の過去の話を思い出しました。
「ひとは、時に臆病で、嘘つきで、自分を守りたい。けれど、正義を信じ、綺麗なものが好きで、自分以上に誰かを守る。
――つまりは、矛盾する生き物だ」
そして「希望」を持つから、何かを頑張れる。
恐ろしい世の中でも、生きていく理由を持てる、のですね。
単純なような、とても難しい話のような、我ながら不思議な回ですね。
22. 言葉と戦争、時代への応援コメント
月凪様のおっしゃるように、そういう世界(時代)になればと願わずにいられません。
私が文章を書くのも、文字には『伝える力』があると信じているからです。
多くの人が使えて、安価なヴァーチャルリアリティ。それが文字であると思っています。
ただ、伝えることは諸刃の剣。悪いことだって伝えれば、それが広がってしまう。
私の好きなアニメ監督が「戦争なのに、この絵(アニメ)は痛みを感じないんだよ。これじゃ、ダメなんだ!」と言われていたのを思い出します。
悲惨さを描く物語ばかりだと、絶望しかありません。でも、殴られたら痛いし、差別されたら辛いことも、キチンと理解してほしい。
なんというのか、心を育てるような事に、社会はもっと力を入れてほしいと思いました。
作者からの返信
ありがとうございます。
言葉は
「諸刃の剣」
確かに、良い事にも使えれば、いくらでも悪事にも使えますものね。
人の社会というのは、残酷だなと思います。
本来、まだ心を育てる途中である子どもが、時に大人を支えなくてはならなくなる。
(ヤングケアラー)
でも、支えられている側のなかには、それに気づいていないか、当たり前だと思っている。
全ての子どもが、当たり前に子どもであれる社会。
そうなってほしいものですね。
21. いじめと戦わない勇気への応援コメント
月凪様、辛かったですよね。がんばりましたね。
許せないのは、イジメていた人と、それを知っていて何もしなかった人等。
(その中には、もちろん先生も含まれます)
けど、月凪様がおっしゃるように、その人達は、自分のしたことを、覚えてすらいないのでしょう。
私も、逃げた方が良いのだと思うときがあります。最近は特に。わかってはいるのです。
ですが、やはり性格なのか、どうしても最後の部分でストップをかけて(自分で)しまいます。
責任や金銭的なこと、生活などが関わるので、どうしても決心できません。
私は、自己肯定感より、自己否定感の方が強いからかもしれません。
作者からの返信
いつもありがとうございます。
救いになったのが、高校を少し離れたところにしたことで、それまでの人たちとも、離れられたことですね。
でも、今でも自己肯定感はなかなか上がりません。ついマイナス思考になりやすい。
どうにも自分のことは、否定してしまいがちで……。
難しいですね。
労ってくださり、ありがとうございます。
20. いじめを見て見ぬふりするあなたへへの応援コメント
『親の背を見て子は育つ』
そうなのかもしれませんね。
でも、親と同じに育つわけではないとも思います。
私の場合は、早くに片親になったので、母親の背を見て育ったのは、そうかもしれません。
『あの子は片親だから』と言われることがありました。まるで、犯罪者であるかのように。
片親だと、面接で落ちる学校もありました。(いまは、わかりませんが)
私は『親の背を見て』育つより、そんな『世間の背を見て』育ったような気がします。
願わくば、それが誰にとっても、優しい背中でありますように。
作者からの返信
ありがとうございます。
確かに。親と同じに育つわけではないですね。
片親で、というのは。
私は、むしろ誇れるものだと思います。両親であるよりも、色々と大変なこともあったかな、と。
なので。
元橋ヒロミさんも、あなたのお母さんも、とても凄いと思います。
19. 考えるより感じろへの応援コメント
『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい』
『自分が嫌なことは、他の誰にもしてはならない』
私はキリスト教ではありませんが、この言葉はわかりやすく単純ですが、的を射ていると思っています。
作者からの返信
ありがとうございます。
確かに。
単純明快であり、真にもなりますね。
(返信遅れてしまい、すみませんでした)
18. 何処かのだれかへ -それぞれのふつう-への応援コメント
親切だと思うことをしたときに、お礼を言ってもらえなくて、腹を立てる。
これは、あることだと思いますが、実は『お礼を言われること』が当たり前だと思って、やっている事に気が付いて、嫌になったことがあります。
あいさつをして、返事が返ってこなくても、『私が挨拶をしたかったから、しているだけ』で、そこに返事を求めるのは、私のワガママなのかもしれない。
人に席を譲っても、それは私がしたくてしたこと。
そう思うことにしています。(まだ、完全に思い切れない私)
良い人であろうとして、自分勝手な気持ちで行動している。そんな自分が、たまらなく嫌になることがあります。
作者からの返信
ありがとうございます。
良い人であろう、そのように見られたい。
それは、きっとたくさんのひとの思考だと思います。
過去に、ある方がこんな感じのコメントを、別の話でくださったんです。
(意味が違っていたらすみません)
「いいじゃないですか、偽善者でも。
偽善っていうのは悪いことじゃない。少なくとも「善」の行為なんだから」
良い人だと、優しい人だと、善なる人だと、思われたい。
そこを割りきるのか、そう思われたくての行動するのか。
それも、人それぞれですよね。
17. 「平等」の裏側にあるものへの応援コメント
『窓ぎわのトットちゃん』に出てくるトモエ学園の校長先生を思い出しました。
現在この
学園があったら、それはそれで必ず批判の対象になるのでしょうね。
障がいの有る無し関係なく通えて、嘘やイジワルは、真剣に怒る。失言に対しては、先生ですら校長に呼ばれたり……でも、とても優しくて、一人一人が主役になれるように考えてくれる。生徒の話を、何時間でも聞いてあげたり。
絶対、いまはいないですね、こういう人。
作者からの返信
ありがとうございます。
思いたくないですけど、確かに今は
いなくなってしまっていますよね。4時間も、たった一人の子どもの話を聞いてくれる先生なんて。
そうですね。批判……。
誰しもに肯定される人というのも、そうそういないのと同じ、なのでしょうかね。
15. きょうだい児はほんとは不器用でへの応援コメント
私は『○○の妹』でも『××の姉』でもい。『△△の娘』でもなく、私は『元橋ヒロミ』という『個人』だと知って欲しいと考える。
まるで付属品のように扱われるのは、ウンザリする。
何もかも捨てて、自分を全く知らないゼロから始めたい。その為の、悪い言い方で『しがらみ』をどうにか出来るかは、現実として難しく、また私を悩ませます。
作者からの返信
ありがとうございます。
まさに「心の叫び」ですね。
私もよくそう思います。
そんな、今はですが。
私が「私」として。そう扱ってくれる場が一つ出来ているというのが、なによりもの救いになっています。
(兄が関係ないつながり)
「しがらみ」というものは、ものにより、自身でつくってしまっていることも時にあります。私はそうです。
(※元橋ヒロミさんの感情を否定したいのではありません)
まだまだ、それの対処法は上手くないですが。一歩立ち止まってみた時、それを感じました。
難しいですね。
14. 「かわいそう」という言葉への応援コメント
簡単な一言で片づけてほしくはない。そういう気持ちは、私にもあります。
「かわいそう」
まるで別世界で、自分には関係のない出来事のような、そんな含みすらあって。
「じゃあ、なんて言えばいいの!」
とキレられるから言わないけど。
私は、全てを言葉にする必要はないと思うのです。
私自身、話すのが苦手だからかもしれませんが。
正解なんてないけど。
作者からの返信
ありがとうございます。
正解のない問題って、難しいですよね。
(正確には、ひとそれぞれ答えが違う?)
「全てを言葉にする必要はない」
そうですね。なんでもかんでも、答えがあるわけではない。
私の、8話のなかの言葉で
【「全て」を理解しようなんて、そこまで思うこともないのかもしれない】
そう書いたことが、かなり懐かしく感じます。
13. 守られるべきはなにかへの応援コメント
私も中学の先生の対応には、絶望しました。担任が一番最悪でしたが、数学の先生もそうでした。
無関心というか『自分は今までこれで問題がなかったんだから』という、ベテランの先生達です。
生徒から話を聞かないで、決めつける。
もう、話してもムダだし、教師の資格は1度取ったら、更新がないので、こうなるのだなとも思いました。
作者からの返信
ありがとうございます。
本当に、最悪でした…。
よく、
「校長先生で学校は変わる」
なんて聞きますが。
私の担任は「イエスマン」でした。
その中学は、昔から
「いじめの絶えない学校」
そんな風に言う大人もいたくらいです。
何かの問題がおこってからでは、遅いのになぁ…。
9. 誰しも、好き好んで強くなる人ばかりじゃないへの応援コメント
一番簡単な強くなることは、心を閉じることだと思います。もちろん、これは本当に強くなったわけではないと思いますが、少なくとも周りの人は「元橋さんは強いね」と言います。
本当に、そうですよね。
好きで強くなる人ばかりではないのに。
作者からの返信
ありがとうございます。
人間って、不思議ですよね。
私は小さな頃に
「泣かない強さ」をほしいと思った
その強さを持った頃には
人前で泣けるひとを、「ちょっと羨ましい」と、少し思って。
そして今は、
「あれ? 私はこんなに涙もろかったっけ?」
と思うほど涙腺がゆるくなりがちに…。
そう、好きでそうなったわけではないひとって、案外たくさんいますよね、きっと。
8. 「普通」の定義 ―理解するのは―への応援コメント
本当にわからないことだらけです。
Aさんについて、私は優しくて良い人だと思っていました。
Bさんも、私からするととても優しくて、大好きな人でした。
でも、あるときBさんがいなくなってしまい、それがAさんのイジメが原因だと知りました。私は、気が付かなかったのです。でも、あとあと考えると、おかしなことはあったのですが。
(もっと早く気づけば、変わっていたかもしれません)
人は、色々な面を持っていて、私に優しく話しかけていても、本当は違うことを考えているのではないかと思って、人と話すのが恐くなるのです。
割り切って付き合うのが正解なのでしょうが、なかなか難しいです。
作者からの返信
ありがとうございます。
そのようなことが、あったのですね。
本当に、人間関係って難しいですよね…。
自分に見せる顔だけが全て、なんてことはなかなかないかもしれないです。
私にも、正解はわからないです。
というか「正解」があるのかも、わからないなぁ…。
探り探りです。
7. 一年続きの休息期 ―統合失調症―への応援コメント
私は人の顔が見分けられないというか、見分けにくくなりました。あと、名前もほとんど難しいです。
字は、映像としては、なんとか覚えられます。でも、名前としては難しいのです。(この辺りのニュアンス、わかっていただけるかわかりませんが)
これは、仕事において、かなり致命的でして。
一時よりは良くなっているので、これも良くなる前の停滞なのでしょうか。わかりませんが。
なんだか、このエッセイには、元気をもらえるような気がしています。
作者からの返信
ありがとうございます。
映像として…。
風景のような感じなのでしょうか?
私も、人の顔と名前を一致させるのはとても苦手ですね。
「休息期」
当時は良くも悪くも「大きな変化が少ない」頃でした。なので「冬眠」に例えていたんでしょうね。
嬉しいお言葉、ありがとうございます。
元気を、もしあたえることができているのなら、書く甲斐もありますね。
6. とある一例 ―精神患者―への応援コメント
昔、仕事をするのが楽しくて、仕事が辛いという人の気持ちが、全くわかりませんでした。
どんな仕事にも、楽しいことがあって、それにグチを言う人は、努力が足りないのだと。
だけど、ある日から仕事が苦痛になりました。
責任が重くなったのと、イジメのようなことがあったからです。
起きるのが大変で、背中も痛むし、嫌で嫌で涙が止まらない日もありました。
駅へ向かう途中、車を見かけて、本当に『自分が轢かれて、頭蓋骨が大きな音を上げて砕けたら、スッキリするに違いない』と思いました。
よく「誰かに相談すれば良い」とか言いますが、両親が死んで、親戚すらおらず、信用できる同僚すらいない場合、どうしたらいいものかと。まあ、いても話さないでしょうが。
いまは、あの頃よりずっとマシです。
でも、こうなってから初めて、「仕事が辛い」と言っていた人の気持ちが、わかるようになりました。
逆に、わからない人に説明するのは、難しいのかとも思いました。
作者からの返信
ありがとうございます!
元橋ヒロミさんも、そのようにつらい経験をなさっていたんですね…。
私も、「あのころ」よりはずっとマシな状態になれました。
なってみないと、わからないことは多いのかもしれないですね。
5. 足掻いた先に ―矛盾するひと―への応援コメント
昔、アメリカ大統領のオバマさんが、原爆投下について陳謝していました。
でも、原爆投下の時に、オバマさんは全く関係していないのに? 元ハワイに住んでいた人だと思いましたが、アメリカ人だから謝るということなんですね。
恨みや差別は、繰り返し聞かされる……伝えられることにより、根付いてしまうように思います。
なら、その逆もあると信じています。
優しさや希望は、根付いていくと思うのです。
作者からの返信
ありがとうございます。
そういえば。昨年あたりに
人に紹介するために、とある本を読んだんですよね。
「天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇」
優しさや希望…。
そうですね、確かに。
(例えば戦争の話など)
繰り返し聞くことで、毒となりそこに根付くか
聞いたことを糧に変えて、また誰かに引き継がれるのか
どちらになるかは、言うひと、聞くひとによるのかなって。
私は、そう思いますね。
1. 矛盾の先に ―病気―への応援コメント
身近や人になるほど、言えない気持ちになります。
逆に、もう二度と会わない人になら、色々と話せるのかもしれませんが。残念ながら、人見知りなので、それは無理でしょうね。
作者からの返信
こちらへも♡やコメントくださり、ありがとうございます。
そうですね。
これは、今より約10年近く前に書いたものなので、我ながら
「懐かしい」と、「まだまだ甘いなあ」
という感情になります。
でも、れっきとしたその当時の気持ちなので、それを修正はしないでおきます。
25. 「知らない」で済まされては困ることへの応援コメント
私もいつも思うのです。
「偽善」というのは悪いことによく例えられますが、
「悪」よりはとてもいいものだと思うのです。
だって偽物でも、しっかり善行を成しているのだから。
作者からの返信
毎回、ありがとうございます。
はい、そうなんですよ!
賛同いただけて、とても心強いです。
13. 守られるべきはなにかへの応援コメント
月凪さんほどの壮絶ないじめは経験しておりませんが、自分も過去を思い出して辛くなりました。
担任「あの子はハーフだから。」
相手の母「ふざけてるだけよ。」
今だったら考えられない大人たちの言動。いや、今も表面上(新聞や良識ある世論)は良くなったように見えるけど、水面下では何も変わっていないのかもしれない。
学業で順位付けが当然なされるので、「人間」にも順位を付けるのが当たり前の感覚になっているのかもしれません。かといって、運動会のかけっこで「全員一緒にゴール」というのも変な気持ちになります。難しいです。
作者からの返信
そうですねえ…。
よく、疑問に思うことは。
「みんなと同じようにしなさい」
と学校で指導されるのに、
大人になると、
「個性を大切に」
とか
「ひとの真似ばかりするな」
とか。
すご〜く、矛盾ですよね。
読んでくださり等々、ありがとうございます。
2. 興味を ―障がい―への応援コメント
パラリンピックについて、私が常々思っていること。
精神障碍者が弾かれてない?
いや、障害の程度の認定が非常に難しいから、統一ルールが作れないのだとは思う。
でも「障碍者の祭典」と謳っているのに、精神のアスリートの噂を聞かない。
不満ありです。
ボッチャやってみたいけど、交流会のチラシは配ってないし、近所に参加できる場所がないのです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
確かに…。
そもそもが、「障害者」というと、知らないひとからしちゃえば、基本的に「身体」を想像する人が多い気もします。
あと、私の勝手な考えなんですが。
世間に浸透してないのは、オリンピック、パラリンピック。
二つにしっかりとした線引きがされ過ぎて、別物と化してるのも、一理あるんじゃないかな、とも。
ちょっと思ったのが、例えば「オリンピック・チャレンジド部門」とか。
(チャレンジドは、「挑戦する使命やチャンスを与えられた人」というポジティブな考えから生まれたらしい)
本当に、ふと思ったことです。
あえて別物にしたい、という意見もあるとは思います。
15. きょうだい児はほんとは不器用でへの応援コメント
自分の弱みをさらけ出して「助けて」と言える人が、かわいいなあと思うし全力で助けてあげたいと思うのに、自分は人に「助けて」とは言えない。
状況が厳しい時ほど言えない。
伝染病のように辛い気持ちが広がって収拾できなくなるんじゃないかと心配してしまうのかもしれません。
自分の中だけに収めておいた方が傷が少ないような……。
こういう所がかわいくないんだろうな、と思いつつも今さら変えられそうにないです。
幼少期に培った性格はなかなか変えられないですね。
でも私は不器用な人、好きですよ(笑)
作者からの返信
ありがとうございます。
そうなんですよね。
そもそも、「性格」ってコロコロと簡単に変えたりなんて、そうそうできるものじゃないはずですしね 苦笑
私も、周りのピンチは察しても、自分のピンチにはついつい気づかないふりをしがちです…。
ああ、でも。
「かわいい」人には、きっと私でなくての「誰かしら」がそばにいるだろう。
だから私は「分かりにくい(かわいくない)」人のほうによく探りを入れてみたり。…それで痛い目見た時と、周りとの仲介人みたいなことをしたときと、とかがありますよ。苦笑
世渡り上手って、いいなぁとは思います。
14. 「かわいそう」という言葉への応援コメント
思いやりがあるようでいて、上から目線な場合もあるかもしれないですね。
相手の痛みもすべて受け止める覚悟のある人しか言ってはいけない言葉なのかもしれません。
テレビなどを見ていてポロリと言ってしまうことはよくありますが。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
あ、確かに「ポロリと」ってときはありますよね。苦笑
ちなみに
この「かわいそう」のシチュエーションのイメージは、
「噂好きのおばさんたちによる、井戸端会議」
だったりします。
(内緒話って恐いもんですよね)
11. 障がい児ときょうだい児の親たちへへの応援コメント
障がい児の兄弟として知っている方たちは、不思議にみんな謙虚で思いやりのある人として優れた方ばかりだなと思うことはよくあるのですが、そうでなければならない、と必死で生きてきた結果なのかもしれませんね。
少し見方が変わりました。
作者からの返信
毎回コメント、今回は星とレビューまで、ありがとうございます…!
きっとなかには、ちゃんと「葛藤」と向き合って。
そのうえで、「自分はこれでいいんだ」と、今を生きてらっしゃる方もいるかもしれないですよね。
あとたぶん、最初は「こうしよう」と生きていて、いつの間にかそれがその人の「キャラクター」になっている、とか。
(私もそんな感じです)
逆に。反抗的になって「障害者なんて…」という方も、いらっしゃるようです。
10. 障がいを持つひとのきょうだいへへの応援コメント
大人になることを急がされてしまうのかもしれませんね。
このエッセイを読むことで救われた気持ちになる人がいっぱいいるような気がします。
作者からの返信
ありがとうございます。
「きょうだい児」の中には、
「彼(障がい者)ばかりをみんなはチヤホヤする。もっとこっちも見てほしい。
なんだか彼が憎たらしいなんて。自分はなんて醜い心を持っているんだろう」→「こんな自分が嫌になる」
↑
こんなふうに思い悩んでいる方もいるんですね。
だからできれば、
「そう思ってしまうのは、ごく当たり前で、貴方の心は醜いんじゃないよ」
「むしろ、相手よりも自分を責めてしまうのは、貴方が優しすぎるからなんだよ」
それに、本人にもその周りの方にも、気づいてほしくて、書いてみました。
(近々、それをメインな話を書くかもしれません)
5. 足掻いた先に ―矛盾するひと―への応援コメント
すごく素敵な言葉ですね。
いろんな角度から物事をとらえてみる。
そういう小説が大好きです。
作者からの返信
わあ、ありがとうございます♪
嬉しいです。
できるだけ、「こういうもんだ!」
と決めつけるよりも、
「1の考え方がある」「2の考え方がある」
「私は1.5の考え方もありではないかと思う」
というように、頭ごなしに否定はしたくないな、とは思って書いています。
少しでも伝われば、幸いです。
4. 逆転の発想 ―死にたいひとへ―への応援コメント
自殺された側の人は、一生棄てられた思いに苦しむのではないかと私は思います。自分のいるこの世界に何の興味もなくなって切り捨てられたのだと。
たとえ心を病んでいたのだとしても、ひどい現実に耐えられなくなったのだとしても、残された者は棄てられたと感じてしまう。
どんなに無様でも迷惑をいっぱいかけられても、一緒に生きていて欲しいと……そう思います。
いろいろ考えさせられる作品ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
たぶんこの話は、自身がそういう発言をしなくなった頃ぐらいのものです。
本当に「自分への言葉」でもありました。
単純に、その時考えたことを書きなぐってるものも多いですが、少しでも心に残るものがあればいいなあ、とも思っています
43. 障がい者が親になることへの応援コメント
私が思うのは『賛成』か『反対』の、完全な二択ではないのではないかということ。
例えば『24時間テレビ』でも、この部分は良いけど、ここはどうなの? という感じです。
特に、1人ではなく、複数の人の手によって作られたモノは、作り手の『意思』や『思惑』が混在してしまいます。
複数の『意思』や『思惑』が入る以上、それは仕方の無いことなのでしょう。
小説のように、1人で完結した物でさえ、映像となると『意思』や『思惑』や『利益』が交ざり合い、作者の意図したモノと、違う表現をされることも珍しくはありません。
『24時間テレビ』は、出演者のスタンスによっても、全く違いますし。
おっしゃるように、対話が出来たら1番なんですけどね。
進行や時間制限などなく、本音で話し合えれば、その先へ進めると思うのですが……。
作者からの返信
ハートにコメント、今回は作品への評価まで、本当にありがとうございます……!
確かに、そうですね。
「賛成」と「反対」があるなら、その中間もあって当然なんですね。
ひとの、それぞれの想いで、作品が出来上がる。
対話だけで、物事全てが解決出来るぽど、甘くはないかもしれない。でも、だからといって。
辞めてしまえば、なにも残らない。
そんな風にも、思います。