応援コメント

18. 何処かのだれかへ -それぞれのふつう-」への応援コメント

  •  親切だと思うことをしたときに、お礼を言ってもらえなくて、腹を立てる。
     これは、あることだと思いますが、実は『お礼を言われること』が当たり前だと思って、やっている事に気が付いて、嫌になったことがあります。

     あいさつをして、返事が返ってこなくても、『私が挨拶をしたかったから、しているだけ』で、そこに返事を求めるのは、私のワガママなのかもしれない。
     人に席を譲っても、それは私がしたくてしたこと。
     そう思うことにしています。(まだ、完全に思い切れない私)

     良い人であろうとして、自分勝手な気持ちで行動している。そんな自分が、たまらなく嫌になることがあります。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    良い人であろう、そのように見られたい。
    それは、きっとたくさんのひとの思考だと思います。


    過去に、ある方がこんな感じのコメントを、別の話でくださったんです。
    (意味が違っていたらすみません)
    「いいじゃないですか、偽善者でも。
    偽善っていうのは悪いことじゃない。少なくとも「善」の行為なんだから」

    良い人だと、優しい人だと、善なる人だと、思われたい。
    そこを割りきるのか、そう思われたくての行動するのか。
    それも、人それぞれですよね。