第2話 傭兵

 頃合いを見計らって天幕を出ると、そこが見知った野営地だとわかった。

 ティグレが会敵した場所からは二、三里は離れていたはずだ。

 傷ついた自分を運んだのが誰かは知らないが、ご苦労なことだと思った。意識の無い人間の身体は驚くほど重い。

 ぽつりぽつりと灯された篝火のおかげで、とりあえず物を見るのに困りはしない。

 雑多に建てられたいくつもの天幕。その中からは野卑な笑い声が漏れてくるものもある。

 月が雲に隠れているため夜明けまでどれほどあるか読めなかったが、案外とまだ宵の口なのやも知れない。

 夜陰に乗じ森に入ってしまえば、負傷した傭兵一人をわざわざ追って来る者もあるまい。

 とはいえこの夜着のような格好で森の中に入るというのもぞっとしない。少なくとも外套と燧箱くらいは必要だった。

 (ちょいと面倒だな……)

 馬をかっぱらえば話は早いのだが、さすがにそれは見逃されないだろう。

 面倒ごとから逃げるために新しく面倒を増やすというのも莫迦らしい。

 「おう、ティグレ! 生きてたかよ」

 どうしたものかと思案顔でいると名前を呼ばれた。

 声のする方を見やれば、知った顔の同業者が一人。

 「ようダリオ。お前さんに貸してた金が惜しくてな。地獄の前で取って返して来たぜ」

 抜かしやがれ、と笑うダリオ。吐く息は酒気を帯びていた。

 「災難だったみたいだな。まあ、大したことないようでなによりだぜ」

 そう言って焼酒の入った瓶を差し出してくる。

 ありがたく頂戴することにした。

 強い酒精の匂いが鼻を衝いた。たまらず放り込むように飲み下す。芳しい液体が冷たく喉を灼きながら臓腑に染みていった。

 思わず吐息が漏れる。

 「馬の小便でも入ってるかと思ったが、こりゃ悪くねえな」

 酒瓶を返しながら言う。

 実際、街でそれなりの金を払わねば味わえないような酒だった。間違ってもその辺の農家から供出させたものではあるまい。

 「景気づけの振る舞いだ。どうにも今回はんでな。領主サマがわざわざ樽で送ってきたんだとよ」

 「そいつは恐悦至極に存じますってなもんだな。そんなに悪いかい?」

 その言葉にダリオは阿呆を見る目になって答えた。

 「悪いかって……、お前も見たろうが。あの鉄砲とかいう武器のおかげで滅茶苦茶だよ」

 そういえば、と他人事のように思い出した。怪しげなまじないのおかげとはいえ何の問題もなく動けているのでいつの間にか『大したことはなかった』と思い違いをしていたのだ。右腕か命か、あるいはその両方を失うところであったというのに暢気なものだと、自分に苦笑する。

 その表情を妙な具合に受け取ったようで、ダリオは神妙な顔つきになって言う。

 「いや正味の話、に合わねぇ。名うての傭兵団カンパニーがこぞって出張る大いくさじゃねえんだ。こんなちんけな小競り合いに持ち出すような代物じゃねえだろう、ありゃあ」

 飛礫に砕かれた兵をダリオも見たのだろう。

 確かにあの威力であれば武装した騎兵であっても容易に潰せるであろうと思われた。ただの歩兵に向けるには明らかにだ。

 両陣営のほとんどが傭兵を主体とした剣か短槍で武装した歩兵で、弓兵・長槍兵はわずか。騎兵に至っては突撃を行えるだけの数も技量もないため伝令に使うための数騎がいるばかり。

 ダリオの言う通り、ちんけな小競り合いなのだ。

 元はよくある話ではあった。隣り合わせた荘園の境目はどこか。探せばこの国のどこにでも転がっている、つまらないきっかけ。

 ティグレたちの雇い主であるビドーネン家と、隣接するガルグ家。

 昨年の冬、その二つの領地を分かつ森の中でビドーネンの郎党がガルグ領の民を誤って射殺すという事件があった。

 薪拾いをしていた少年を鳥獣の類と間違えたというのが実際に起きたすべてなのだが、これに妙な弾みがついて転がった。

 。それが問題となった。

 ビドーネン領内で、という話であれば勝手に入り込んだ不埒者を成敗したという言い分が成り立つ。逆にガルグ領内で起きたとなれば無辜の民を他領の人間が一方的に殺害したという形になる。

 面目が立つ立たぬというだけの話だが、単純であるが故に揉めた。

 まずは曖昧であった境界線をはっきりさせようとなり、それが話し合いから暴力を伴うものとなるまでさしたる時間はいらなかった。

 正しく地方の風物といった具合の諍いであった。

 「こんなもん互いに嫌気がさすまでぶん殴りあって、適当なとこで手打ちにすんのが相場だろうがよ。

 市井の者であれば首を傾げそうなその物言いにティグレは大いに頷いた。

 傭兵稼業を長く続けるコツは勝ち馬に乗ることではない。

己がされる状況に巻き込まれないことだ。

 負け戦であったとしてもそれを弁えているものは墓穴から一歩遠ざかる。

 その意味では地方の荘園同士の小競り合いというのは旨味の多い仕事と言えたはずだったのだ。

 「いっそとんずらしちまうかい?」

 探るようにティグレは言った。

 自分ひとりでもなんとかなるとは思っているが、道連れがいれば心強いのも確かだ。

 「それも考えたんだがな……」

 ダリオは髭面の顎に手をやり何事か考えるような素振りを見せる。

 「なんだ煮え切らねえな」

 「いやな、あの銃ってやつは大層高価なシロモノなんだと」

 どことなく照れたような調子で言う。

 「まさかお前さん、アレを分捕るつもりか」

 ダリオはにやりと笑って首肯する。

 傭兵による戦場での略奪行為は珍しいことではない。ティグレとて物言わぬ死体から物品を奪ったことは一度や二度ではきかない。

 しかしそれは小遣い銭程度のものであるからこそ黙認されるのであって、例えば騎士の鎧兜や軍馬等の値が張るものであればその限りではない。仮にそういったものが手に入った場合は雇い主がいくばくかの手間賃を払って買い上げるのが通例だ。

 いわんや騎士すら屠れるであろう未知の新兵器をや、だ。

 訝しむ表情を浮かべるティグレ。

 それを諭すかのようにダリオは言った。

 「なにも酒代にちょいと色つけようって話じゃないんだ。酒樽持ってきたビドーネンの名代が言うにゃ、銃一つにつき金貨三十払うとよ。もし射手ごと生け捕りにできればその倍。たとえぶっ壊れていても半分は払う。ちょいと血迷ってみようかと思える値段じゃねえか?」

 どう考えても戦況が不味いから新しい餌をぶら下げたというだけの話だが、確かに金貨三十枚というのは人の心を揺り動かすには十分ではあった。

 「今の時点じゃ腐れ仕事だが、逃げるにはちと早い、と」

 「まあ、そんなとこだ」

 背徳を愉しむ聖職者の顔で、二人の傭兵は笑いあった。功利主義者でありながら、どこか博徒めいた刹那を好む。命のやり取りを生計たつきの術とする傭兵という職業の歪みが存分に表れている貌だった。

 ティグレの心中に、先ほどまでの逃げようとする気持ちはさっぱりと失せていた。

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死にぞこないの傭兵と仮面の医者。あるいはさよならまでの魔法 @bontaname

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