落葉の日
07
宮廷は、いつになく騒がしい日を迎えていた。
静けさを
それほどに、回廊から庭先から厨房から。
タカトヲの
アマキも、あんなに小さかっただろうか。
久々に目通った主の姿は、いつのまにか大きく成長を遂げていた。背も、顔立ちも、何もかも。あの口から帝王論がすべり出たときには、しめたと心が浮き立ちさえしたもの。
――なのに。どうして〝時〟はこんなにも非情なのか。
自分があともう少しだけ、この世に遅く生まれ
彼女のそばに居て、もう少しだけその成長を見守ってやれる時間が、自分に残されていたら……どれだけ良かっただろう。
五つという、そう多くもない歳の差が、悔しくてならない。
「遅かったな」
升舞台へ続く回廊のすそで、タカトヲの背に声がかかる。振り向かずとも、その声の主はすぐにわかった。
「――父上、」
「
振り向かない息子をわかってか、父自らが目前へと回りくる。
頭ひとつ小さい父の眼差しを受けて、タカトヲはいつも通り無感情に頷いた。
「はい」
「お前の
「ええ」
一体、父はどういうつもりなのだろう。十五年前、あれほど嬉々としてアマキに奉仕するよう諭したというのに。
歳月を過ぎた今、容易にくつがえされた
当時のあの選択が、何よりも正しかったのだと本能が告げる。アマキを男児として育て、このくにの王に据えてやろうという選択が。
――アマキは王だ。この自分がそう感じるのだから、王なのだ。
タカトヲは渋い顔を見せまいと、父の前で目を伏せて礼をとる。
「父上、私は――……」
「なんだ」
珍しく言いよどんだ息子を見て、父は不思議そうに首を傾げた。
この人は、知らない。自分の息子が何者で、その母親が何者であったのかなど。
「いいえ、何でもありません。着付けをして参ります」
形式だけの美しい礼をすらりと残して、タカトヲは舞台の奥の
* * *
正方形の舞台は宮殿の中心部、大きな池が広がる真中に、水面に浮かぶよう創られている。その一段低いところから、しとやかに笛の音が鳴り響き、
演者はまだ現れぬ、序章の部分。
とつり、とつり――独特の足音が、襖の向こうで二度叩かれる。つま先で、板張りの床を強く踏む音。
襖の図案は誰もがため息をこぼすほど、うつくしい。金箔が惜しみなく施された、
とつり、とつり。そうして響いた足踏みの音を合図に、ついに両の襖が開いた。
ひらりと、まるで襖の図柄が飛び出たかと思うほど軽々と舞台の上に跳び出る演者の姿。
美しい、一羽の鳳凰。たとえるならまさにそれだった。
紫の禁色に、
少年のような少女のような。中性的な顔立ちには凛とした輝きが見え、
「あれは――……」
升舞台をぐるりと取り囲む形に、橋のようなつくりで設けられた客席から、感嘆と驚きが湧き上がった。
「あの演者は誰なのだ――」
誰かがそう呟くのを皮切りに、ざわめきが広まっていく。
帝と側室のあいだに御生れになった男児の、無病息災を願う宴。それは同時に、皇太子の位を授ける〝立太子の儀礼〟でもあった。
赤子を立太子させるという慣例にない取り決めは、帝自らの意思だ。そこに側室の甘言が含まれようと、何者も違を唱えることはできない。
名代と聞いていたはずの青年――かの宰相の息子、タカトヲの姿ではない。「タカトヲはどこへ行ったのだ、あの少年は誰か」と問うざわめきが、またたく間に広がってゆく。
まだ年端もいかぬ少年が
舞台には、八本の胸丈ほどの蜀台が灯を灯し円を描いて配されている。その周囲を演者の少年は、とん、とん、と舞い跳ぶ。炎を揺らして軽やかに、鼓の音に身をあわせる。
――広がりつつあった観衆のざわめきはひっそりと止み、升舞台の上の若い縁者を、誰もが目を凝らして見ていた。
けっして激しい曲ではなく、静かな曲でもない。その独特の節回しに身のしなりを合わせられるまで、少なくとも五年の歳月が費やされる。あの年頃の少年が、こうまでも美しく舞い切る様は滅多に見られるものではない。
「捕らえ!」
凛と張った、
「あれは……」
見事な舞を魅せるアマキの向こう。控えの奥間から声の主を見とめて、タカトヲは思わず口を開いた。
観衆の中央。最前列にあたる位置で立ち上がり、升舞台を指す一人の女性。――彼女こそが、「ほんものの皇子」を産んだヒタリの側室だ。
笛拍子がぴたりと止まり、それに合わせて舞台上のアマキの手足も止まる。
「この者を捕らえよ。簒奪をたくらむ謀反者だ」
曲線に富んだ身体は、金糸で流線を縫い取られた白地の着物に包まれ、その背もすらりと高い。抜けるような白肌に輝く隻眼は、琥珀よりも黄金に近かった。波打つ豊かな金の髪も、ガズエトの着物に合わせて結い上げられている。
初めて見る
升舞台の奥で――タカトヲは目の前が真っ赤に染められていくのを感じていた。
他でもない、本能が告げる、警戒の色。
「まさか、」
わらわらと升舞台に上り来る近衛の武官らを、止めなければならない。アマキを逃がさなければ――。そう思うのに、身体は動いてはくれなかった。
ただ茫然と、見えぬ鎖に金縛られて。
舞台の向こうの黄金の目が、こちらをじっと見据えている。
気づいたときにはもう、遅すぎたのだ。
覇王に生まれし大樹の子 凛子 @r_shirakami
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