さなぎ

06

 猛烈な勢いで〝氷雨〟を駆って屋敷の門に横付けし、アマキはテマの名を叫んだ。

 寸分待たせずその姿が現れて、目の前の光景に声を震わせる。

「なにごとです――!」


 アマキは一足先に馬から飛び降り―――ぐったりと蒼白な顔をするタカトヲを、抱きとめるようにして引きおろしている。

「アマキ丸!」

 見るとふたりとも、目を疑ってしまうほどの血の跡を、着物の合わせ目あたりに……べっとりとつけている。

 その血の出所はどう見ても、真っ青な顔でアマキの肩に寄りかかる青年のものだ。


「テマ、ちょっと手伝って欲しい」

 ふらり、自分よりも遥かに体重も上背もある大人の男を支え歩き、焦燥の色を浮かべた主人あるじが淡々とした声でそう告げる。

「わかりました」

 返事をして、テマは即座にアマキの片側に移動した。


 庭の縁側から直接タカトヲを運び入れて、近くの室に寝具を整えた。

 寝かされたタカトヲに意識があるのかは微妙なところだ。支えられながらも、自力でここまで歩いてきたとはもはや驚くしかない。


「タカトヲ殿は……」

 そう呟いたテマに、アマキは苦笑してみせる。

「少し無理が祟っただけだ。……大事は、無い」

「……そうですか」


 タカトヲの呼吸が落ち着いて、意識の境が眠りのほうへといざなわれる。

「テマ、お願いがあるんだ」

 まるで見計らったように、ふとアマキが口を開いた。

 いつもとどこか様子がおかしい。本来なら、タカトヲに縋り付いてじっと黙って看ているような子だったはず。自分の好きな人を何よりも優先して、尽くしてしまう子。


 そんな少女がふときつい眼差しを、その青ばんだ目に湛えた。

 ああ……ようやくそのときが来たのだろうか―――テマは心中で思いながら、ゆっくりと首を縦に動かす。

「わたくしめに、出来得ることならば」


 真摯な声でそう返したテマに微笑をくれて見せ、アマキは言葉をつなげた。

「私を思い切り着飾って欲しい。それこそ――誰もが息を呑むぐらいに思い切り、かっこいい美男子にね」


 テマは微笑をうかべて畳の上に座し、右の手の三つ指を床についた。

 その様を見つめて、アマキが悪戯っぽく笑うのを感じる。頭を恭しく垂れて、きりとその額をアマキに向けた。

 従者……それも武官が主に向ける、最高礼――それは、紛れも無く帝にしか許されざる形式のもの。


「大げさだな……でも、ありがとう。この盆くらな容姿を飾り立てることが出来るのはテマだけだからね。わたしに少しでも、タカトヲみたいな完璧さが備わっていたらよかったのだけど」

 そう言って苦笑すると、すらりとアマキは立ち上がった。続けてテマも立ち上がる。

「アマキ様はお父上に似て、精悍なお顔立ちを継いでいらっしゃる。十分に皆の目を集めることができましょう」


 そう、ひらひらと、ひとつずつ脱いでいくのだ。自らを守り、玉座の道から遮ってきた「少女」という名のさなぎの衣を――この娘は。

 この日のためにしまっておいたお衣装を、ついに着せて差し上げるときがきた。


「夕刻には出発する。……タカトヲは置いていくよ」

 わずかに躊躇いを残して、アマキは言った。

「はい。お医者の算段をつけたら、すぐにでも貴方様をお追いになられるでしょう」


 テマはすたすたと奥座敷まで歩を早めて、そう遠くないところに常にしまっておいた檜の長箱を運び出す。ここに一式、すべてが揃えられている。

 禁色の紫をあしらった美しい着物。

 皇太子へと建つ皇子が、歴代身に纏い続けてきた慣例の衣装だ。


「……容易周到だね。まさかそんなにすぐ引っ張り出せるところにしまってるなんて」

 小さな声で笑いながら、それでもアマキは鏡台の前にすでに陣取っている。テマの常日頃の行動を、逐一観察し得ているのだろう。茶化すような口調をしていても、そこには前から知っていたとでもいうような色が含められている。


「こんなことをしたら、父上はさらに私をお嫌いになるだろうなぁ」

 ふと呟いて自嘲するアマキを、テマは微笑んで見つめた。

 立太子も終えぬ皇子が、無断でその衣装を着て宮殿に参内するなど前代未聞のことだ。


「私も……参内することをお許しください」

 ふと、足元から掠れた声が沸きあがる。

 なにごとかと視線を向けると、半身を起こしたタカトヲが青い顔もそのままに必死の形相でアマキを看ている。


「タカトヲ殿!」

 慌てて制しようと膝を折るものの、その手に逆に遮られてテマは弾かれる羽目になった。

「タカトヲ」

 アマキは苦笑して、そのまだ小ささの残る細い指でタカトヲの手を掴み引き上げた。


「私は貴方の側近です。舞台を整えるのも私の役目」

「――そうだった、危うく忘れるところだったよ」

 ふと笑うアマキの顔には、これ以上と無い安堵の色が見て取れた。


 あの昏睡の状態から、よくも起き上がってきたものだ。……そこには気迫以外の何物も感じられなかったが、それでも。

 こんなときにも微笑ましいと思えてしまうふたりが、なんだか歯がゆい。

 けっして、結ばれることなどないと決まってしまったのに。

 身支度を始めたアマキを尻目に、タカトヲの姿がどこかへ消える。


「……アマキ様」

「タカトヲなら先に宮殿に。わたしとテマは後から行こうね」

 彼の所在を問おうと思ったテマだったが、アマキの矢継ぎ早な返答に先手を打たれてしまった。


「はい、如何様にも」

 おだやかな顔で返答して、テマは主の着つけを仕上げにかかった。




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