雪国の賞金稼ぎ

笹野にゃん吉

雪をナメるな

 この地に季節なんて大層な恵みは存在しない。


 花香る春? バカンスの夏? 哀愁浸る秋?


 まったくもってバカバカしいことこの上ない。


 ここにあるのは冬ですらない。

 薄く墨を融かしたような灰の雲が、ゆっくりと地上へ沈んでくるように、雪を降らせる。それだけのことを季節なんて言葉で飾れるものか。まして、そこに情趣を見出そうとするような奴は、雪の恐ろしさを知らぬアホとしか言いようがない。


 この地では、年中雪が降り続ける。

 冷気が目に沁み、そうして滲んだ涙はたちまち凍る。


 花なんて見ることはできないし、外で裸になって日焼けを試みるような奴は、雪かきでよほど体温が上がった奴か、よほどのアホだけだ。「ああ、あと数ヶ月もすれば今年が終わるな」と憂鬱になったり、過ぎた時間を思い出して感傷に浸ったりする暇があったら、雪かきをするのが賢明だ。


 いや、そんな甘っちょろい言葉で誤魔化すのはよそう。


 雪かきをしない奴に、生き残る術などない。そんな奴に人権などあるはずもない。


 女だろうと、子どもだろうと、ジジイだろうがババアだろうが、雪かきをしない奴は死ぬ。雪かきを怠れば、ドアを雪に塞がれ家から出ることもできなくなり、いずれ雪の重みに耐えかねて潰れるからだ。雪かきを諦めた奴は、だから生きることを諦めた自殺志願者と変わりがない。


 俺はスノーダンプを雪の中にかき入れる。ズズ、とブレードが雪を切る音がする。持ち手を手前に押しこむと、てこの原理で雪が持ち上がり、バゴと鈍い音ともに灰色の大地がひび割れる――。


 ところでお前らはスノーダンプを知っているのか?


 常夏の島でサングラスをかけながら、ビーチチェアに寝そべっているようなアホは、この頼もしく凶悪な文明の利器を知らんだろう。


 スノーダンプというのは、バカでかい角型シャベルに持ち手をつけた、この世で最も頼りになる人力除雪器だ。最小限の力で、一度に多くの雪を運搬できる雪国の住人の必需品だ。想像力の乏しい奴は、ググってでもたしかめてみるがいい。完璧なフォルムに、人の姿をとっている自分が恥ずかしくなるに違いない。


 言うまでもないことだが、スノーダンプは武器でもある。シャベル部分を直接持って振り回せば、人の首を刎ねることも容易い。


 除雪・凶器としての用途は、およそ半々と言ったところで、雪国に人の頭が転がっているなんてことはさして珍しいことでもない。常夏の島から来る能天気なアホは、覚悟もなく雪国に踏み入れるべきでないということを憶えておいたほうが身のためだ。


 もしかしたらお前たちの中には、「雪かきなんてスコップ一本あれば充分でしょ?」とかほざくアホがいるかもしれない。一瞬でもそんなふうに思った奴は、ここに来てスコップで雪かきをしてみるといい。ものの数分で足腰から血を噴き出して死ぬことになる。


 いや、あるいは――続きは追々理解できてくるだろう。


 ダンプに雪を盛った俺が次にすべきは、無論運搬だ。


 だがこの地には、側溝も水路もありはしない。何度かそれらを築こうとした殊勝な輩もいたが、すべて凄惨な死体となって雪の中に沈んでいった。工事のために雪を住民の敷地内へはけてしまったことが原因だった。


 この過酷なる地に根を下ろした者たちは、余所の雪を決して受け入れないのだ。たった一塊の雪を転がされただけでも彼らは怒り狂う。普段は温厚なババアも血の涙を流して辺りの命を狩りつくす。怒りは闘争を呼ぶ。血が飛び散り、四肢や首が舞い、饐えたにおいが辺りにたちこめる。


 その気性ゆえに、雪の捨て場のない彼らは、家の周りに雪の壁を築く。うずたかく雪を盛り、テリトリーを主張するのだ。


 高さは平均して二十メートルほどになるだろうか。


 雪国で鍛え上げられた俺たちは、もちろんその高みにまで跳ぶ。そして雪を盛る。ダンプの底を叩きつけて形を整える。相手のテリトリーに雪壁が崩れれば、戦争が始まってしまうので、壁の調整は慎重かつ入念に行われる。


 その一連の作業を終えると、俺は一息に雪壁からおり立ち、燃えるような息を吐く。肩の上にはらりと雪が落ちてくる。触れるとたちまち蒸発する。それほど俺の体温は上がっている。足腰の辺りは陽炎のように空間が歪んで見える。雪かきは過酷だ。


 ちょっと雪に慣れたような奴は、こんな俺の姿を見て「なんで除雪機使わないの? アホなの?」と呆れるかもしれない。


 だがこの地においては、除雪機を使う奴のほうがアホだ。


 除雪機を使った奴の行き着く先はどこか。お前たちは少しずつ理解してきたのではないか。


 そう、地獄だ。肉体は雪に滲みる真っ赤な血肉と化し、魂は枯れ果てる。


 俺はそんなアホをこの目で何度も見てきた。中には俺自身が手にかけた奴もいる。ちょっと過酷な雪国に住んでいる奴なら、俺の言っていることに嫌というほど共感できただろう。


 除雪機の使用がなぜ死を招き寄せてしまうのか。


 俺は親切だから、知らない奴のため特別に教えてやる。


 それは先のテリトリーのことと関連しているのだ。


 まさか除雪機の汲み上げた雪がどこに行くか知らん奴はいないだろう。いないと信じたい。もし、知らんというアホがいるなら、一度、除雪機の前で横になって、実際に雪の行き場を体験してくるといい。


 当然のことながら、除雪機は汲み上げた雪を外へ吐き出す。その勢いは、俺たちが誤って吐いてしまうゲロとは、とても比較にならない。つい最近までこの辺りに売っていた除雪機は、二十メートルの壁なんて難なく越えた。


 しかし壁を越え、雪をまき散らせばどうなるかは、想像に難くない。


 そう、戦争が起こるのだ。血みどろの戦いが起こり、誰かが死ぬのだ。


 そういった凄惨な事故を未然に防ぐため、近く除雪機廃止令がだされた。除雪機を所持・使用した者には、重い刑罰が下るようになった。


 言うに恐ろしい「見せしめ走行の刑」がそれだ。除雪車に裸で括りつけられ、凍えながら死を待つ、戦慄耐えかねる極刑である。だからお前たちも、誤って除雪機を持ち込んだり、使用したりしてはいけない。恥辱と寒さに震えながら死にたいという変態野郎以外は過酷な雪国で生きるための良識を身につけるべきなのだ。


 俺は家の正面の雪かきを終えると、なんとはなしに雪壁の一面を見た。


 厚い雲がちぎれ、微かな晴れ間がさしている。融けだした雪がてらてらと油のように光っている。


 壁の補強をしなければ――と思い至った。こちらに倒れてくれば家が潰れるし、向こうに倒れれば隣人の怒りを買って戦いが起きてしまう。


 無論、俺は己の腕に自信があり、敗ける恐れなど微塵も感じていない。だが俺は、無益な血を好む蛮族とは違うのだ。


 隣人とは上手くやっていきたい。過酷な地だからこそ、豊かな人間関係を保ちたいと思う。両親にきつく叱られると解っていながら、それでも弱りゆく命に耐えかね、凍えた猫を拾ってきてしまうマーベルくんのような心優しい人間と殺し合うのはごめんだ。


 しかし、永遠の平和などない。

 平穏は突如として崩れ去るものだ。

 そうやって歴史や雪は堆積してきた。


「シャアアアアアッ!」


 不意に雪壁の向こうから、何者かの咆哮が轟いた。


 隣人の怒声に違いなかった。


 おそらくもう一つ向こうの住人が、テリトリーを侵したのだ。


 俺はまたかと思った。


 二つ隣に住むノーマンとかいう大男の仕業に違いなかったからだ。

 奴は筋骨隆々で、クマのように毛深く、男のくせにおっぱいが大きい。スーパーで見かけても挨拶を返さず、代わりにニヤリと不敵な笑みを浮かべて胸筋をピクピク動かしてみせてくる、鼻持ちならない男である。


 だがなによりも許し難いのは、奴がこうして近隣の住民へ喧嘩を売りまくっていることだ。この二週間で、すでに五回の戦争が勃発し、ノーマンはそのすべてに勝利してきた。五つもの世帯が滅び、そこにうずたかい雪の山が築かれたのだ。


 そして今、六回目の戦争が始まった。


「キシャアアアアアッ!」


 信じ難いことだが、この奇声を上げているのは、あの心優しいマーベルくんに相違なかった。物腰柔らかく、動物を愛でるのが好きな爽やかボーイである彼さえ、テリトリーを侵犯されれば我を忘れてしまうのだ。


 彼はベンチプレスで三百キロのダンベルを軽々持ち上げられるという。もやしのような細腕で、よくもそれだけと感心するが、その程度のことが勝利に直結する理由になるとは思えなかった。


 五世帯の住人を次々雪壁の染みとしてきたノーマンの実力は偽物ではない。両親と三人で雪かきを分担してきたマーベルくんが敵う相手ではないだろう。


 俺は咄嗟に踵を返し、家の中に閉じこもった。


「この腰抜け!」と言いたいお前らの気持ちはよく解る。だが罵倒はあとで聞くことにする。今、お前らにかまってやれる余裕はない。


 俺はFAXにかじりつく。無骨なメタリックカラーの電話機を前に、獣のように唸るしかない自分が惨めだった。身を焼かれるような思いがした。


「なぜだ、なぜ来ない……!」


 ノーマンは凶悪な男だ。

 故意に住民の聖地を侵し続けていくことで実力を示し、この地を支配しようとしているに違いない。


 俺はそんなクソ野郎を許しはしない。

 許しはしないが、すぐには殺せない理由があった。


 実を言うと、俺は賞金稼ぎだ。


 ノーマンのような不埒な輩には警察も手を焼く。雪国の男はあまりにも屈強であり、銃弾さえも大した傷にはならない。警察とて雪国の男だが、銃の力に頼っているようでは、真のユキカキストには敵わない。


 だから俺のような男がいる。


 そういった不埒な輩には賞金がかけられ、俺のような屈強なユキカキストがそれを狩るのだ。


 ところが、五つもの世帯が滅びているというのに、未だFAXから奴の情報が吐き出されてこない。


 己の正義のために、ノーマンを殺しに行くことは容易い。しかしそれは、俺が犯罪者となることを意味する。領域侵犯による戦争は正当防衛を主張できるが、部外者が戦いに闖入すれば、法の制裁は避けられない。


「くそっ!」


 堪らず壁を殴りつける。鋼鉄の冷えた壁が大きく歪み、赤子が泣き声を上げるように軋んだ。


 俺にはそれが自分自身の心の歪みのように見えた。


 なにが法だ。なにが犯罪だ。そんなことを言っている場合か。

 あの心優しい隣人が、非道なアウトローに殺されてしまってもいいのか。


 俺の中で怒りが渦を巻いた。頭にこんもりと積もったままの雪が怒りの熱で蒸発し、ジィと長い音をたてる。蒸気が怒髪天の如く立ち昇る。


 俺は覚悟を決めた。


 優しい隣人一人に手を差し伸べることもできずに、真のユキカキストを名乗れるものか!


 踵を返した。


 まさにその時だった。


 ピーロロー、とじれったい音を流しながら、FAXがパンチシートを吐き出し始めたのだ!


 そこに記された名前と顔写真を、俺はじれったい心持ちで待った。


「うおおおおおおおっ!」


 そして目に飛び込んできた情報を前に、俺は獣のような声を荒げた。


 そこに記されていたのが、あの、男のくせにおっぱいの大きいノーマンに他ならなかったからだ!


 俺は光の如く家を飛び出し、スノーダンプ片手に跳躍した。

 二十メートル超の壁を一息に跳び越える。


「……ッ!」


 そこで俺は信じ難い光景を目の当たりにした。

 あまりの悲惨さに吐き気がした。


「たす、け……」


 なんとマーベルくんの家とノーマンとを隔てていた雪壁に、無残にも巨大な穴が穿たれていたのだ。


 俺は靴底の雪を自分の敷地へ払い飛ばし、マーベルくんの敷地へと着地した。


 穴の近くではマーベルくんが雪に埋もれている。辺りの雪は錆びた鉄のように赤く染まっていた。目許を覆う割れたメガネが痛々しいが、マーベルくんはまだ息をしていた。


 しかしマーベルくんの安否を気遣ってやれるだけの余裕などありはしなかった。


 雪壁に空いた穴からは、絶えず高濃度の吹雪のような雪が吹きこみ、マーベルくんを埋葬しようとしていた。


「なんてことを……!」


 雪の出処を認め、絶句した。


 雪壁の向こうであのクソったれノーマンは、除雪機を使っていたのだ!


 俺はマーベルくんを守るべく、除雪機から吐き出される雪を正面から受けた。怒りで俺の体温は燃えるほど熱くなっていた。すべて蒸発させた。たちまち一帯が濃い霧に包まれた。


 だが俺には見える。

 穴の向こう側で、不敵に笑う筋肉おっぱい野郎の姿が!


「許せん!」


 俺は踏み込んだ。雪の大地が悲鳴を上げた。

 御神渡りの生じた諏訪湖の如く、大地がひび割れ、俺は憤怒の弾丸と化していた。


 ノーマンが除雪機を蹴り飛ばし、スコップを構える。


 キイィィン!


 刹那、激しい衝突が起こった。スコップとダンプがかち合い、周囲の雪が旋風のごとく舞い上がった。


 膂力はほぼ互角だった。


 俺たちは互いに衝撃で弾き飛ばされた。


 ノーマンが屋根の上へと着地した。

 俺は空中で何度も身を捻り、ひび割れた壁の頂点で膝を伸ばした。


「俺はバウンティハンターのユキカキストだ。今しがた、お前に賞金がかけられた。その首、刈らせてもらう」


 俺は怒りを押し殺し、努めて冷静さを失わぬようにしながら告げた。


 ノーマンが猪首をすくめ、獰猛に笑った。


「ハッ! 賞金稼ぎのユキカキストだぁ? わけの解らねぇこと言ってんじゃねぇ。お前もあのメガネのガキみたいに、雪の中へ埋められてぇのか?」


 ノーマンの胸筋がピクピクと跳ね上がった。挑発しているのだ。


「雪の地層で化石になるのはお前のほうだ。スコップを握った時点で勝敗は見えている。大人しく刑罰を受けるのが身のためだぞ」


 無論、テリトリーを侵し、除雪機まで使ったとなれば死は免れない。だが、刑罰に処されれば、人間としての死の尊厳は守られる。二度と掘り返されることのない雪の地層で、化石となることはないのだ。


 しかしノーマンは、恐れ知らずのアホだった。

 俺が言い終えるや否や屋根の雪を払って跳びかかって来たのだ。


 俺は雪壁を飛び降り、ダンプを構え、再びスコップと切り結んだ。


 高地を得たダンプの力は凄まじく、一瞬にしてノーマンを弾き飛ばした。大地に雪の柱が立ち昇り、周囲を波打たせた。


 この時、俺に卑しい驕りがあったことを認めねばなるまい。


 俺はてっきり雪の中に埋もれたノーマンが、情けない呻きの渦に囚われているとばかり思っていた。


 ところがノーマンは、俺が着地する寸前には、すでに肉薄し、シャベルを振り抜いていたのだ!


 俺は柄を掴み、勢いを殺したが、力む足場がなくては押し返せなかった。


「くぅ!」


 あえなく背中からキンと冷えた雪壁に叩きつけられた。雪壁に蜘蛛の巣状のヒビが生じ、俺は膝から地に崩れ落ちた。


「ヒャアアアッ!」


 そこへノーマンのスコップが首を刈り取りにくる!


 俺はかっと目を見開いた。

 もうこの心に一抹の間隙を作ることも許さぬと誓った。

 

 ノーマンの動きはひどく緩慢に見えた。

 奴には決定的になにかが足りていなかったからだ。


 俺は首刈りスコップを、僅かに首を傾けて躱した!


「がっ……!」


 さらにカウンターとばかりに膝蹴りを刺し、顔面にショートフックを叩きこんだ。

 ノーマンの口から折れた歯が飛び、雪の中に消えた。


 すかさず俺はノーマンを蹴り飛ばす。


「ぐはぁ!」


 ノーマンが雪の上を転がった。それでもスコップばかりは手の中だった。性根の腐った奴ではあるが、よく鍛え上げられた戦士であることは疑いようがなかった。


 すぐさま体勢を立て直したノーマンの目には、苛立ちがざわざわと揺れていた。その奥で燃えるのは、未だ衰えることのない闘志だった。


「ふざけやがって……。てめぇ、なんで俺の邪魔をする? 俺とあのメガネのガキとのご近所トラブルに、なんでてめぇみてぇな奴が割って入ってくんだよ!」

「お前には賞金がかけられたと言ったはずだ。賞金首になった奴を狩り、警察に代わって治安を守る。それがバウンティハンターユキカキストの仕事だ」


 言うと、ノーマンはおっぱいをぴくりともせずに吐き捨てた。


「ハッ! なにが治安を守るだ、くだらねぇ! 雪がちょっと自分の敷地に入ったくらいで争い合うこいつらを守るってのか?」

「そうだ」


 俺の答えに迷いはなかった。ノーマンが一瞬、怯えたように目を見開いた。


「俺たちはここのルールに準じて生きているだけだ。他国には他国のルールがあり、ここにはここのルールがある。ルールを破った者に制裁があるのは当然のことだ」

「ああ、そうだな! じゃあ、俺があいつらを殺したのはルール違反じゃねぇってことだ!」


 ノーマンが残忍な笑みを浮かべた。俺はそれにきつい睨みを返した。


「お前は雪をナメているな」


 俺はスコップを一瞥し、奴のスコップさばきを思い返した。それだけで、はっきりと確信した。


 こいつは雪国の人間ではないと。


 雪国で育った人間は、強靭な足腰をもつ。俺の蹴りはたしかに強烈だが、雪国育ちの人間ならたたらを踏むこともなかったはずだ。だが奴は呆気なく蹴り飛ばされ、惨めに雪を舐めたのだ。


 ノーマンは、ただ身体を鍛え上げてきただけのマッチョマンだった。過酷なる雪国の外から来た人間に過ぎなかった。


 無辜なるユキカキストたちは、たしかに敗れた。

 だがそれは彼らが雪を侮り、怠けていたからではない。


 彼らには崇高な魂があったのだ。

 俺の言説によってユキカリストの心得を学んだお前たちは、それに気付いただろう。


「ここに来たばかりのお前には解らんだろうが、自分のテリトリーに少し雪が増えるだけで、俺たちの負担は大きく増す。そこかしこに乳酸が溜まり、痛みで夜も眠れなくなる。過剰労働に耐えかね、死ぬ奴もいる。不幸な事故で命を落とす奴も絶えない。だから俺たちはテリトリーを侵されれば怒り、仲の好い隣人であろうと、容赦なくダンプを振り下ろす」


 ノーマンが理解不能な珍獣を見たように当惑した眼差しを寄越したが、俺の言葉は淀まなかった。


「そんな悲しい事件を引き起こさぬよう、俺たちはルールを守り続けてきた。平和な世界を生きられるよう、慎重に雪の壁を築いてきた」


 俺は雪壁を見上げ、眩しいものを見るように目を細めた。


「この壁の高さは、俺たちが守ろうとしてきた平和の証だ。そうして実際に平和は守られてきた。だからこそ、ユキカキストたちの戦いの感覚は薄れ、お前のようなアウトローに命を奪われてしまった……」


 やれやれとでも言いたげにノーマンが首を振った。


 そしてスコップ片手に踏み込んだ。


 ノーマンの輪郭が霞んだ。

 すでに敵は懐の中にあった。


 スコップが俺の顎を削り抜くべく突き上げられた。

 ノーマンの顔に勝利の確信が宿った。


 俺はその一挙手一投足を見て取った。


 そして俺の目にも、確信が宿った。


 ノーマンの足腰は、真のユキカキストには遠く及ばない、貧相なものでしかないと!


「なっ……!」


 奴が突き上げるスコップを、俺は股で挟み込んで止めた。すかさず地を蹴り、円弧を描いて後方へ弾き飛ばす。


「ブッ!」


 ノーマンの顔面が雪壁に叩きつけられた。


 身体を捻り、向き直って着地した俺は、その無防備な脇腹にスノーダンプを叩きつける!


「がはっ!」


 血の塊を吐き出し、ノーマンは錐もみ回転しながら弾き飛ばされた。ごりごりと石を削るような感覚があった。腕と肋の骨を屑にしたのはたしかだった。


 しかし俺は、すぐさまノーマンにとどめを刺すことをしなかった。


 その代わり、雪に埋もれ、斑に白く染まったその背中へ声をかけた。


「人は誰しも、自分のために生きている。だからこそ、他人の過ちを許せなくなることもある。怒りにまかせて人を殺してしまうこともある。ここにはそんな汚い人間の業が満ちている」


 赤い斑点を散らした雪の上でのたうつノーマンへ向けて、俺はゆっくりと歩み寄ってゆく。


「だがルールを守るのはなぜだ? 自分が害を被るかもしれないからか? ペナルティが科せられるからか?」


 ダンプのブレードが怪しく光った。


 直後、灰の雲が空をきつく縫い合わせた。空の傷は見る影もなく塞がり、むしろ厚く鈍色に淀んだ。


 間もなくして、血のように重く大きな雪が、視界を埋め尽くすほど激しく吹き荒れた。


「それももちろん真実だ。しかしこの地の住人たちは、お前のように不当な防衛を主張し、隣人を手にかけたりはしない。雪かきの過酷さより、隣人を手にかけるほうが楽であったとしても、彼らはあえてそれを犯さんのだ。俺はそこに、人間の尊ぶべき真実を見る。そして、その真実を守るべく戦う。そのためにお前のような不埒な輩を狩る!」


 ノーマンはなおも立ち上がろうとする。しかし足が震え、小鹿のように上手く立ち上がることができないようだった。足腰が弱いのだ。


「俺の言っていることの意味が解るか、ノーマン!」

「解るわけねぇだろが……っ!」

「ならば、死ねえええぇっ!」


 咆哮とともに、俺はダンプを構え踏み出した。

 上昇した体温が、潰された大気が、チリと俺の輪郭を燃やした。


 視界に斜をひく豪雪を切り払った。

 怒りの熱が全身を廻り、紅蓮に燃え上がらせた。


 平和を侵す積雪を取り除くべく、俺は燃え盛る除雪車と化した!


「おおおおおおおおっ!」


 ノーマンが決死の覚悟で立ち上がり、スコップを突きだした。

 ダンプが螺旋を描き、空隙を埋めた。


 ギイイイイイッ!


 激突の刹那、灰の景色を火花の滝が彩った!


「バカなっ!」


 一片の雪が地に落ちるのも待たず、ノーマンのスコップが中ほどから焼き切れた。


 それでもノーマンは、全身の筋肉をはち切れんばかりに膨張させ耐えた。


 ダンプの侵攻が止まった!


 その時、俺たちの体感時間は、何倍にも引き延ばされたように感じられていた。

 吹き荒ぶ雪の中から、ただ一片だけが、俺たちを隔てたように見えた。


 一瞬の膠着があった。


 ダンプとスコップ。

 それを押し出す腕力は互角。


 しかし雪がはらりと地に寝そべったとき、均衡は破られた。


「アッ……」


 ユキカキストでない奴には、ダンプがどう動いたのかさえ視認できなかっただろう。


 決着の瞬間は、音速を凌駕していたのだから。


 遅れて吹き荒れた衝撃波が、雪という雪を払い飛ばし、一面を洗った。


 スコップが真っ二つに裂け、地に落ちた。

 ノーマンの首と胴を、断罪のダンプが隔てていた。


 ノーマンは敗れた。

 奴の足腰は、真のユキカキストの足腰には遠く及ばなかったのだ。


 焼き切れたスコップが雪を融かし、ジワジワと音をたてながら沈んでゆく。


 ダンプをひき抜くと、頭がシャベル部の中でごろごろと転がり、首からおびただしい量の血液が噴きあがった。血液はたちまち舞い落ちる白と混じり合い、赤い雪を降らせた。


 俺は血の雪に濡らされるまま、掬い上げたノーマンの頭を手に取った。


 そして、警察に連絡を取るべく壁の天頂へ向けて跳躍した。


 背後でノーマンの身体がゆっくりと雪の中に倒れる。


 と同時に、眼下の雪山の中から、マーベルくんが這い出してきた。

 ユキカキストの身体は強靭であり、傷はすぐに癒えるのだ。よそ者のノーマンと違い、マーベルくんは、立ち上がるのにも難儀しなかった。彼の足腰は大人の鹿と大差ない逞しさを湛えていた。


 俺はそれを見て取って、一足飛びに自分の敷地の雪壁へと戻った。


 マーベルくんは、そんな俺の姿に気付いたらしい。


「ハンターさん、ありがとおおおっ!」と、満面の笑みを浮かべ手を振ってくれた。


 地上の雪を踏むまでに、俺はその笑顔を頭の中のフィルムに色濃く焼き付けていた。

 

 この手で守ったものの姿は、その一瞬で、永遠に刻みつけられた。


 そして、こみ上げてくる。 

 

 また、一つの平和が守られたのだと。

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雪国の賞金稼ぎ 笹野にゃん吉 @nyankawa

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