西の織姫、東の旅人
音崎 琳
西の織姫、東の旅人
涼やかな、夏の夜だった。夕映えの名残は、つい先ほど、西の空に呑みこまれたばかりだ。紺碧の空には無数の星が煌めき、空を光の帯が横切っていた。
黒い、見渡す限りの草原に、天から落ちてきたひとかけらの流れ星のように、小さな石の家があった。柔らかな光を閉じ込めた家の中で、少女は窓から、星空を見上げていた。
手にしたブリキの水差しから、窓辺のサボテンの鉢に水をやる。そのサボテンはまだ、手の中にすっぽり収まってしまうほど小さい。家の中にひしめく大きなサボテンたちは、自分よりも小さい少女の背中を、静かに見守っている。
「キミは、まだここに来て一年も経っていないのだっけ。そうね、去年の夏の終わりだった、キミを連れてきたのは」
鉢の隣に水差しを置いて、少女は小さなサボテンに話しかけた。
「毎年、夏の初め――うん、ちょうど今くらいの頃ね。このくらいの季節に、訪ねてきてくれる旅人さんがいるの。その人から聞いた話なんだけど」
ぼんやりと定まらない視線で、星の川を見上げる。
「ずっとずっと、東の国の伝説よ。空の上に、一人の女の人と、一人の男の人が住んでいるんですって。あの、空で光っている川の両岸にね。そして一年に一夜だけ、川を渡って会うんですって」
まだ柔らかい棘に覆われたサボテンを、指先でそっとつつく。
「だからその国の人たちは、その夜に、お願い事をするの」
背後をふりむく。少女がいる二階は、木で造られた櫓のようなもので、いくつかのサボテンの鉢と、寝台しかない。木製の手すりの向こうに、一階の床に置かれた機織り機が見えた。織りかけの布が、続きを辛抱強く待っている。
「ねえ。退屈ね」
サボテンはおとなしく、少女の話を聞いている。少女は、あーあ、とため息をついた。
「誰か、訪ねてきてくれないかしら」
ふと、少女の視界の隅に、揺れるものがあった。
慌てて窓の外を見る。闇に沈む草の海を、揺れる星が、段々と近づいてくる。少女は水差しを窓辺に放ったまま、短い階段を駆け下りた。機織り機と、戸口の間に立つ。確かな予感に、小さな胸がふんわりと温かくなる。
それほど時間は掛からなかった。優しいノックの音がして、深く響く声が聞こえてきた。
「こんばんは。ごめんください」
西の織姫、東の旅人 音崎 琳 @otosakilin
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