007 聖女


 早速だが、最近困ったことが一つある。

 どういうわけか俺に視線を向けてくる輩がいるのだ。


 とはいえ、勘違いしないで欲しいのがその視線の主がアリサではないということ。

 いや、もちろんアリサからの視線がなくなったわけではなく今もじっとこちらを見てきている。


 だから正確に言うのであれば、俺への視線が一つ増えたというわけだ。


 もちろん俺は自分が視線を向けられるようなことをしたつもりはない。

 あるとしたら正体がバレたとかそういう感じのことくらいだが、それにしたってこんな突然視線を向けられるようになるのは不自然だ。


 目下、正体がバレているかもしれない疑惑のあるアリサから何か聞いたのだろうかとも思ったが、アリサが誰かと話している姿をこれまでに見たことがないので恐らくそれも違うだろう。


 ではどうして急に視線を、と改めてその話になるわけだが……。


 どうやら今回、俺のことを見てきてくる相手はかなり慎重なタイプらしい。

 あからさまに俺をジッと見てくるアリサとは異なり、遠くからこちらを窺ってくるような、そんな視線をここ一週間ずっと向けられている。


 さすがに俺も視線を向けてくる輩の特定くらいは済んでいるのだが、そういう慎重なタイプにアリサみたく話しかけていいものか、絶賛お悩み中だ。


「……やっぱり安定の焼きそばパンだな」


 とはいえすぐにどうこう出来る話ではない。

 とりあえず今は俺のお気に入り、購買で買った焼きそばパンで栄養を補給する。


 これがまた美味しいんだ。毎日のように購買での熾烈な争いに参加するだけの価値はある。


「果汁の飲み物も悪くはないな」


 適度に飲み物も補給する俺の周りには相変わらず人はいない。もちろんアリサも一人だ。


 だが一人なのも案外悪くない。

 まあ諜報活動を担っている身からすれば間違った行動なのだろうが、こうやって毎日の昼休憩の度に、窓の外を眺めながら焼きそばパンを頬張るひと時というのは優雅で気持ちの良いものだ。


 しかしそんな優雅なひと時は、得てして突然に崩れ去るものである。


「ちょっといいでしょうか?」


 誰かが近づいてくる気配を感じながらも別に気にせずにいると、凛と響くような綺麗な声がかけられる。


 振り返るとそこには白髪の美少女がいた。

 その仕草、佇まいはまさにどこぞの令嬢といった感じで高貴な雰囲気がそこかしこで漂っている。


 俺はこの少女のことを少なからず知っていた。

 その見目麗しい容姿はもちろん、彼女は”白狼”を召喚した優秀な生徒として覚えていたのだ。


 恐らくだが彼女はクラスで勇者に次ぐ実力者なのだろう。それにこれまで見てきた限りではクラスメイトたちとの親睦もかなりあるようだ。


 そんな優等生が一体俺なんかに何の用があるというのか。


「……出来れば場所を変えたいんですけど」


「あ? まあ別に構わないが」


 教室を見回しながらそう言う少女に、俺は残りの焼きそばパンを口に放り込むと果汁の飲み物でそれを一気に流し込む。

 そして先導する少女の後を追い、教室を出た。






「私はフィオナ。フェルメール家の次女です。僭越ながらクラスの学級委員も務めさせていただいております」


 やって来たのは屋上。


 普段から自由に使えるように解放されているらしいのだが、わざわざ階段を昇ってまで来ようという生徒は少なくとも今日はいなかったようだ。

 

「俺のことは……知ってるよな?」


 少女――フィオナに尋ねる。

 俺の場合はクラスメイトの名前などアリサくらいしか知らなかったが、わざわざこんなところまで呼び出す以上俺のことは知っているだろう。


 それにフィオナが俺のことを知っていると思った理由わけがもう一つある。


「単刀直入に聞くが――――ここ最近の視線はお前だな?」


「っ……!」


 目を見開くフィオナ。

 かなり慎重なタイプだったらしいだけに、まさかバレているとは思わなかったのだろう。


「今日ここに呼んだのも、その視線に関係していると思っているんだが。違うか?」


「……いえ、その通りです」


 意外にもフィオナは素直に認める。


 どうやらやはりここ一週間ほどずっと見られていると感じていたのは俺の間違いではなかったらしい。

 それならアリサから視線を感じるのも俺の間違いではないだろうと思うのだが、とりあえず今はその話は置いておこう。


「実は私、”聖女”という立場にあるのです」


 俺はその言葉に思わず唾を飲む。

 しかしそんな内心を悟られぬように平静を装う。


「聖女って言うのはあれか? 勇者みたいな感じの」


「はい、その認識で間違っていません」


 つまり魔族と人間とかそういう次元ではなく、俺とフィオナは敵同士ということになる。


 それに勇者と同じなのであれば、もしかしたら俺の正体がバレている可能性も十分に出てきたのではないだろうか。

 そしてそれを確認するためにこんなところに呼び出したと考えれば辻褄も合う。


 俺は僅かに身構えながら次の言葉を待つ。

 フィオナは僅かに息を吐き、その手を胸に添えながら口を開く。




「私も単刀直入に言わせてもらいますが――――アリサさんと親しくなる方法を教えて欲しいんです!」




「……は?」


 目をぎゅっと瞑りながら少し恥ずかしそうに言うフィオナの言葉に、思わず呆ける。


 さすがに予想外過ぎた。

 さっきまで正体がバレているのではと心配していたのが途端に馬鹿馬鹿しいものに感じる。


 もう一度、頭の中でフィオナに言われたことを整理してみる。

 アリサと親しくなる方法を教えてほしい。

 

 ……誰に? 俺に?


「いや意味分からん」


「そ、そんなっ!?」


 俺の言葉に絶望の表情を浮かべるフィオナ。


 しかしそんな反応をされても、俺にもどうしたらいいか分からない。

 そもそもどうして俺なんかにアリサと親しくなる方法を聞こうと思ったのかが一番謎だ。


「ア、アリサさんはこれまでずっと誰とも関わらずに生きてきたんです! 中等部でも仲のいい友達なんて一人もいなくて……」


 確かにその姿とか生活ぶりは容易に想像できる。

 事実、今だって一人じゃないか。さっきも一人で昼飯を食べていたし。


「そんなアリサさんがグランさん、あなただけには心を開いているんですよ!?」


「……そうか?」


 正直それにはあまり同意しかねる。

 一体どこら辺を見たら、アリサが俺に心を開いているように見えたのだろうか。


 むしろ俺は毎日正体がバレているのではないかと、びくびくしているというのに。


「実習の時だって一緒に依頼受けてるじゃないですか!」


「そりゃあ二人一組がルールだからな」


「で、でも楽しそうに話してたりとか!」


「そんなことしてたか?」


「……し、してないかもしれないですけど! それでもやっぱりグランさんに対するアリサさんの距離感は他の人とは比べ物にならないくらいに近いんです!」


 フィオナは腕を上下に振りながら必死に力説してくる。

 さすがの俺も、そこまで断言されてしまうと頭ごなしに否定はできない。


 ただ、もしフィオナが言うようなことが実際にあったとして一つ気になることがある。


「そもそもどうしてアリサと仲良くなりたいんだ? 別に今更、友達を作る必要なんてないだろ」


 フィオナには親しい友人が多いはずだ。


 俺の知る限りでも、フィオナが教室内もしくは学園内で一人でいるところを見たことがない。

 それだけ周りから好かれているのだろう。


 そんなフィオナが、ぼっちで自分勝手なアリサと親しくなりたいと、わざわざ俺に頼み込む必要性を全く感じられない。


「私が聖女で、アリサさんが勇者。それが理由です!」


「全く説明になってないんだが」


 しかしその必死な様子を見るに、アリサと親しくなりたいというのは本気のようだ。


「にしたってこんな回りくどいやり方しなくてもいいだろ。どうせあいつ、いつも一人なんだから話しかけるタイミングくらい幾らでもあるんじゃないのか?」


「そんな簡単な話じゃないんです!」


 それが出来たら苦労はしません! と不満を露にするフィオナは、何というか第一印象より随分とテンションが高い。

 勝手に物静かなイメージを抱いていたのだが、意外にそうでもないのかもしれない。


「アリサさんはちょっと、壁がある感じなんです」


「壁? あいつに?」


「何と言いますか、あまり他人を自分に近寄らせないような感じです。実際にクラスの人たちもアリサさんを遠巻きに見ているだけじゃないですか。話したいけど話しかけられない、みたいな」


「あー……言われてみればそんな感じは確かにあるような気がしなくもない」


 俺からすれば馬鹿馬鹿しいことこの上ないのだが、貴族な上に勇者というのは普通からすればかなり眩しい存在に映るのかもしれない。


 俺も魔王軍幹部として領地に行った時などは、畏敬の念が篭もった視線を向けられることが多いが、きっとそれに似たようなものなのだろう。


「かと言って、俺に何がしてやれるわけではないがな」


 フィオナの言いたいことは分かる。アリサに近寄りがたく、出来れば俺に仲介を頼みたいということなのだろう。

 まあやっぱり最後まで俺に仲介を頼む意味は分からないが……。


 それでも、そもそも俺がフィオナに手を貸さなければいけない義理がない。


 むしろ俺たちは敵同士。

 どうして俺が敵に塩を送るような真似をしなければいけないのか。


「あいつと仲良くなりたいなら自分でどうにかすることだな」


 手をひらひらさせながら「話はこれで終わりだ」と踵を返す。




「……私がそう簡単に諦めると思っているんですか?」




 俯いたフィオナが何やらぽつりと呟いたかと思うと、屋上に魔力の流れが集まってくる。


「――――来てください、セツカ」


 そしてまるで俺の行く手を阻むかのように現れたのは、一匹の狼。

 フィオナの使い魔である白狼だ。


 全身を覆う真っ白の体毛は毛並みもよく、高貴な雰囲気を纏っている。


 改めてじっくりと見る白狼に、思わず感嘆の声を零す。


「セツカは私以外の言うことは決して聞きません。だからアリサさんと親しくなれるように協力してください」


 フィオナがこちらを睨み付けながら言ってくる。もし協力しなければ白狼にあなたを襲わせますよ、とその目が語っている。


 脅しのつもりなのだろう。

 確かに並みの者なら白狼の威圧感に怯えて、フィオナへの協力を約束するだろう。


 だが、俺を誰だと思っている。


 たかが白狼一匹で俺を止めようなどと思うこと自体、不遜も甚だしかった。


「な、何を。セツカは私以外の者には……」


 躊躇わず白狼セツカへ歩み寄る俺に、フィオナが困惑の声を漏らす。

 まさか本人もそんな反応をされるとは予想していなかったのだろうが、そんなことはどうでもいい。


 既に手を伸ばせば届く距離。


 そこで俺は僅かに腰を低くする。ちょうどセツカの目線と同じくらいだ。

 そして俺は綺麗な金色の瞳でこちらを見つめてくるセツカに手を差し出し――。




「お手」




『ワンッ!』


「よし、いい子だ」


 俺の声に合わせて差し出した手に、自分の手を重ねてくる。


 お利口さんなセツカの頭を撫でてやると、気持ちよかったのか尻尾をこれでもかとばかりに振っている。

 見た目は荘厳だが、こうしてみると案外可愛いものだ。


「――――――は?」


 そんな俺たちの姿を見て、呆然とする者が一人。


 事の成り行きを見ていたはずのフィオナが口をぽかんと開けて固まってしまっている。

 とても淑女にあるまじき姿だ。


 そしてその間も、俺とセツカは戯れあっている。

 お手に続き、おかわりや伏せまで完璧にこなすセツカはとても賢く、愛嬌がある。


「な、ななななな何でセツカがあなたのいうことを聞くんですか!?」


 そこでようやく我に返ったフィオナが叫ぶ。


「セ、セツカは私の言うことしか聞かなくて、お父様たちにも威嚇しちゃうくらいなのに……。それどころか私にだって『お手』とかしてくれたことないんですよ!? それなのにどうしてあなたにはそんなに懐いてるんですか!?」


「さあな」


「さあな、ってそんな……っ! セツカ! あなたもいつまでグランさんと遊んでいるつもりですか! あなたのご主人様はこっちですよ!」


『ワン? ……ワンぅ』


 自分を呼ぶご主人様の声にセツカは不思議そうにフィオナを見る。

 そして少しだけ逡巡したような様子を見せたかと思うと、再び俺へと擦り寄ってくる。


「セ、セツカ!?」


 使い魔にまで見捨てられたフィオナが絶望したような表情を浮かべるのがさすがにいたたまれなくなったので、名残惜しいがセツカをフィオナの下へ向かわせる。


 その間にもセツカがこちらを何度も振り返ってくるのがまた可愛かった。


「グ、グランさん、うちの使い魔に一体何をしたんですかっ!」


「何をしたと言われてもな……。普通に戯れてただけだぞ?」


「それがあり得ないって言っているんです!」


 フィオナが叫びながら睨んでくるが、実際俺が何かをしたわけではない。


 ただ、思っていた以上に白狼セツカが優秀だったというだけの話である。

 俺と対峙したあの瞬間、セツカは本能的に察したのだ。


 目の前にいるのが人の皮を被った化け物である、ということに。


 だからこそ俺の言葉に素直に従い、服従してみせた。ただそれだけの話である。

 途中から俺のことが気に入ったのか、ご主人様以上に懐いてしまったようだが。


「……やっぱり、グランさんには何かあるんだと思います」


 しかしフィオナはまるで俺が、誰でも懐柔させられるような能力があると解釈したようだ。

 誓って言うが、俺にそんな能力はない。


「もう一度お願いします。アリサさんと親しくなるのに協力してください」


「断る。面倒なことはしない主義なんだ」


「め、面倒って……っ!?」


 俺を信じられないものを見るような目で見てくるフィオナ。

 しかし面倒なものは面倒だし、手伝いたくないものは手伝いたくない。


 だがフィオナは尚も食い下がる。

 俺の胸元を掴むと必死な形相で頼み込んでくる。


 胸元を掴まれるのはいい気分ではないが、フィオナが近くにやって来たことによって再びセツカが擦り寄ってきたので、振り払うのはひとまず止める。


「わ、私は神託に背くわけにはいかないんです! 私に出来ることなら何でもしますから……っ!」


 そこで聞きなれない単語が出てくる。


 神託。


 それが一体何なのか、俺は知らなかった。

 しかしその必死さから察するに、フィオナにとってかなり重要な何かであることは間違いない。


 だがここでそれを聞くにはあまりに不自然すぎる。

 だからそれを聞くためには……。


「今、何でもしますって言ったか?」


「っ! た、確かに言いましたけど! で、でも変なお願いとかはだめですよ!?」


 変なお願いというのが一体何なのか分からず首を傾げる。


「今週末、街を案内してくれないか?」


「……へ? 街を案内、ですか?」


 そんなに変な頼みをしたつもりはなかったのだが、フィオナの戸惑ったような反応に少し心配になってくる。


「あぁ、実はこの街に来て間もなくてな。色々と教えてほしいんだ。その時にでもアリサについて俺が知ってることでいいなら教えてやる。……だめか?」


「だ、だめじゃないです! 今週末とかでいいなら、私が案内します!」


「そ、そうか。じゃあ今週末、よろしく頼む」


 しかしフィオナは首を何度も振ったかと思うと、食い気味に俺の頼みを了承してくれる。

 その勢いに思わず仰け反ってしまったくらいだ。


 そんなフィオナだが、アリサと仲良くなれるかもしれないと期待の表情を浮かべているだけで、俺の目的などに気づいた様子は一切ない。


 というのも、俺の本来の目的は情報収集だ。


 知り合いなどいないせいですっかり忘れていたが、せいぜいこの機会を存分に利用させてもらうとしよう。

 そう考えると、俺も思わずニヤけてしまいそうになるのを堪えるので必死だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王軍幹部という身分を隠して人間どもの学園に入学した俺の正体が早くもバレそうなんだが きなこ軍曹/半透めい @kokiyuta0203

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ