狂気に彩られた物語。
その狂気とは、それに囚われた者に言うべきなのか、それに追い込んだ者に言うべきなのか。
家長制の旧時代の日本では、家の名聞の為、気狂いとされた者達を、座敷牢等に押し込んだと言う。
現代でも子供を何年も閉じ込めた犯罪や、名誉殺人等があるのだから、人間の進化の無さには甚だ絶望する。
かつて有り、今も有るであろう人間の醜悪さを、どこか不気味な美的な物として描ききっている。
狂った世界に相応しい作品であるけれど、作品内の当事者の痛みは計り知れない。
無力な者達の哀愁と、それを踏みにじる者達。
何時だって両者の溝を埋めるものはない。
産まれの差異。
人は自身で経験した事しかわからないのだから。
また、阻害された者同士の共感と、それに伴う性的な感情の描写に、精神の仕組みの一つの働きを見た気がします。
ものを書くなら、やはり何かをえぐり出し、見せつける事が必要なのだと痛感しました。
見たくない事を見せる事、目を背けている者に見せる事。
表現とはそれが出来るものなのだなと。
この作品が、どのような経緯で出来上がったものかは、わかりませんが、そのように感じた次第です。