最終話「年上の新人は――」

 すでに勝敗は決した。

 リカーショップトノサキが持ち込んだ酒と食材は、全て売り切れてしまった。カクテルもそうだが、比較的高い価格帯だったにもかかわらず、売り抜けてしまった。

 それは勿論もちろん、地元の地の利を活かした勝利だった。

 吾妻源太郎アズマゲンタロウさんたち、商店街の仲間達が密かに動いてくれたことも、先程知った。

 外崎正重トノサキマサシゲは今、撤収準備の中でようやく桜を見上げる。


「正重さん、お疲れ様でした」


 振り向くとそこには、染井吉乃ソメイヨシノが立っていた。

 彼女はちょうネクタイを外して、襟元えりもとのボタンを全て外す。僅かに胸元がのぞいて、思わず正重は頬を赤らめた。

 夕闇迫る逢魔おうまが時、まだまだ冷たい風が桜の花びらを舞い散らす。

 だが、まだまだよいの口とばかりに、どこの座敷も盛り上がっていた。

 吉乃は珍しく、汗を吸って重いみを静かにほどく。

 すかさず姉の外崎涼華トノサキリョウカがニヤニヤとオヤジっぽい笑みを浮かべた。


「おっ、よしのん! いいじゃん、今度から三つ編みやめれば? なんか垢抜あかぬけないもん」

「いえ、お仕事の邪魔になるので……小さい頃から、この髪型ですし」

眼鏡めがねももっとさ、かわいいフレームにしようよ。もしくは、コンタクト。にはは、ほいこれ! お疲れ! ちょっちマサ君と休んでなよ!」


 吉乃は、放られた飲み物の缶をわたわたと二つ受け取る。

 長い黒髪は、毎日の三つ編みで緩いウェーブがかかって風に棚引たなびく。

 まるで、異国の姫君のような情緒あふれる光景だ。

 改めて正重は思った。

 吉乃は地味だが、凄く地味だが、やはり綺麗な女性なのだ。どこかはかなげで、守ってあげたくなる。一途いちず真面目まじめで、放っておくとどこまでもれてしまいそうな頑張り屋さん。年上の人に失礼かもしれないが、放っておけない雰囲気がある。


「正重さん、どっち飲みます? あ、少し歩いてみませんか。私、お花見って久しぶりで」

「え、あ、俺が?」

「……いや、ですか?」

「全然! ただ……どっち飲みます、はないよね。コーラで」


 吉乃が手にしているのは、コーラと缶ビールだ。

 そのことに気付いて、彼女は目を丸くして、次の瞬間に笑った。

 コーラを受け取り、開封する。

 こういう時は乾杯だろうかと思っていると、何故か吉乃はプルトップに指をかけたまま震えている。まるで生まれたての子鹿みたいになってしまってる。


「あ、吉乃さん……開けましょうか?」

「す、すみません。あの……手の力が、入らなくて」


 吉乃はほぼ八時間、ブッ通しでシェイカーを振ってたのだ。

 見目麗みめうるわしいその姿は、自然と客の目を引いた。

 頼めば何でも作ってくれる、よくまあ数日であれだけの量のカクテルを覚えたものだ。ちょっと調べればネットにってますからと、彼女は笑うが……それを配合から何から全部覚えるのは、なかなかできることじゃない。

 勿論、見よう見まねだから味の方は本格派とはいかない。

 でも、男装の麗人れいじんがシェイカーを振り、メイドがそれを配る。

 花見の余興よきょうには持って来いだった。

 正重は缶ビールを受け取り、開けてから返してやる。


「ありがとうございます。じゃあ、乾杯で」

「は、はい。ども、お疲れ様っした! ……あ、あれ? 何か俺、おかしいこと言いました?」

「いえ、ふふ……あ、でも、おかしいのかな……勝手に笑いが。こういうの、体育会系っていうんですよね」


 いつもの笑顔も、今日は少し違う。

 女性は髪型が違うだけで、こんなにも見違えてしまうものだろうか。

 吉乃はちょっとずつビールを飲みながら、桜並木さくらなみきの中を歩く。

 行き交う誰もが、夕暮れ時の中で夜桜を待っていた。

 多少寒くても、酔っぱらいには関係ない。加えて言えば、防寒対策してまで夜桜を見たい連中だっているのだ。いよいよ混雑し始める中央公園の片隅で、正重は吉乃と二人、触れ合う肩が触れ合うままに並んで歩いた。


「そうそう、正重さん! 見て下さい、これっ」

「ん、何か……あ! これ、野原ノハラさん?」


 不意に吉乃は、スマートフォンを取り出した。

 スッカスカのアドレス帳に、正重や涼華と並んで……あの野原花子ノハラハナコの名前があった。


「さっき、メアドを交換したんです。これはもしかして、メル友というやつじゃないでしょうか」

「そう、かも……あー、えっと、野原さんは何か言ってました?」

「ええ……やっぱり、やとめになるそうです。それで、田舎いなかに帰るって。さっきちょっと話したら、結構サバサバしてました」

「そっかあ」


 先程吉乃も、ハッピーマートの方に行ってみたらしい。

 今は正重達が全品完売で店を閉めたので、あっちが賑わっている。忙しい中、花子はいさぎよく負けを認めた。むしろ、勝負してくれたことへ感謝してるとまで言ったらしい。

 るいは友を呼ぶというのだろうか? 企業の世知辛せちがらい経営方針で、二人の女性は共に痛い目を見た仲だ。あっという間に意気投合したとか、しないとか。


「野原さんは、これから地元に帰って、なんか就職先がもうあるらしいです」

「あ、良かったじゃないですか! そっかあ、家業でも継ぐのかな?」

「何でも、幼馴染おさななじみの方が小さな会社をやってて……!」

「ああー、そういう……ま、まあ、そういうのもアリなのかなあ」


 正重は花子の、どこかのんびりとした人の良さそうな顔を思い浮かべる。

 だが、


「いい仕事が見つかったんですね、きっと。永久だなんて、凄い……福利厚生ふくりこうせい、年金も保険も大丈夫ですよね? あ、でも永久就職って……定年退職できるんでしょうか」

「あ、あの、吉乃さん?」

「一応あとでメールしてあげなきゃ。変な企業だったら、またドツボにハマっちゃう」

「えっと……吉乃さん、永久就職の意味、知ってる?」


 まばたきしながら首をかしげる吉乃に、正重は説明した。

 瞬間、ボンッ! と吉乃は真っ赤になった。


「そっ、そそそ、そういう意味なんですか!? ……はあ、それで……永久、就職」

「いやあ、話を聞いてたら、こりゃ知らないなって」

「あっ、笑いましたね? 正重さん、7歳も年上を笑うなんて、いけませんよ!」

「いや、ごめんごめん。でも、吉乃さんってなんでもできる凄い人なのに……あ、あれ? 7歳? ……えっと」

「4月18日生まれのおひつじ座です。……先日、25歳になりました。正重さん……こっ、こゆこと、女の人に言わせるの……ずるい、です。7歳も年上、ですから」


 全く気付かなかった。

 最近いそがしくて、コンビニ騒ぎもあって……すっかり忘れていた。

 そう思っていると、グイと吉乃が缶ビールをあおる。ほっそりとしたのどをごくごく言わせて、彼女は一息で琥珀色こはくいろ酒精しゅせいを身に招いた。

 小さく「ぷはっ」とこぼした溜息ためいきが、とても気持ちよさそうだ。


「……正重さん。私、誕生日プレゼント……もらっても、いいですか」

「え? あ、いや、はい! ど、どうぞ……えっと、バースデー休暇とか? それとも――」


 突然の不意打ちだった。

 突然、そっと身を寄せた吉乃が……くちびるを重ねてきた。

 止まった呼吸と呼吸との中で、互いの呼気が密接に交わる。

 わずか一瞬のくちづけだったが、離れた吉乃は少し悪戯いたずらのように笑った。


「早く大人になってくださいね? 副社長。私……側で支えますから。やっと、自分で働きたい場所を見つけた気がします」

「えと、あ、うん……善処ぜんしょします」

「はいっ!」


 初めてのキスは、少しお酒の味がした。それは、労働後のビールに少し酔った、染井吉乃という名のカクテルだった。

 こうして、春……正重の家業はこれからも続く未来へと歩み出す。

 家族と、仲間と、地域と共に……これからもずっと、進み続けるのだった。

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年上の新人は社畜さん ながやん @nagamono

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