第29話「満開のソメイヨシノ」

 好天に恵まれ、東北の短い春が熱を帯びてゆく。

 そこかしこでカラオケの声が響き、咲き誇る桜に誰もが酔いしれていた。

 そして、外崎正重トノサキマサシゲは異常な忙しさの中にいた。

 思っても見なかった大繁盛、それも予想外の客入りだ。


「マサ君っ! すっごい賑わってる……エヘヘ、わたしが宣伝してあげたかいがあるわ!」

「ありゃ? 紅玉ルビィちゃん、一人? 親御おやごさんは?」

「あっちで親戚と一緒! ここでお酒買ってって、みんなにお願いしといたから!」

「はは、ありがと」


 八十宮紅玉ヤソミヤルビィは、小さな小さな常連さんだ。

 正重になついて、毎日友達と一緒に駄菓子を買いに来てくれる。

 だが、まさかこんな日まで頑張ってくれるとは思わなかった。子猫みたいな少女だが、今日は正重には招き猫みたいなありがたさが感じられる。その髪をでていると、すぐに姉の外崎涼華トノサキリョウカから声が飛んだ。


「ほらっ、マサ君! 急いでフランクフルトを焼いて! ほらほら、手が止まってる!」

「わかってるよ、姉貴あねき! 紅玉ちゃん、飲み物サービスするから、なんか選んできな」

「えっと……んとね、じゃあ……わたしも今日は、大人な感じがいい! あの、!」


 ――おばさん。

 その呼び方、何かヤメて欲しい……思わず苦笑がこぼれる。

 紅玉が指差す先では、一人の女性がシェイカーを振っていた。 

 誰であろう、染井吉乃ソメイヨシノその人である。黒いパンツに黒いベスト、白いシャツにちょうネクタイ……男装の麗人は、朝からずっとてんてこ舞いだ。

 否が応でも強調される、細くくびれた柳腰やなぎごし

 サスペンダーのせいで形よく寄せられた胸の膨らみ。

 だが、彼女は正重の視線に気付かぬ様子で仕事を続けていた。


「涼華さん、モスコミュールがこっちで、ジンライムがこっちです」

「あいきたー! 次はね、これ。シェイカー足りてる?」

「ちょこちょこ洗ってるんで、何とか」

「でもさー、結構サマになってるじゃん? よしのんも、あたしも!」


 銀のおぼんにカクテルのグラスを沢山載せて、スカートを片手でつまんで涼華が走る。その姿は、人目を引くのに十分なきらびやかさがあった。

 バーテンダーさんが作って、メイドさんが配達してくれる。

 どんなカクテルも、一杯400円で飲める。

 こうした出店で考えられる常識を、全く真逆に考えた奇策だった。

 メニューの種類は50、オマカセでオーダーすれば100円引き。店のあらゆる酒を持ってきたので、ほぼ全てのカクテルを作ることが可能だ。

 そして、思いもしなかった……吉乃がシェイカーを振れるなんて。


「先輩! なんか手伝えることないスか。すんません、俺だけで来るつもりだったんスけど」


 坊主頭ぼうずあたまを並べて引き連れてきたのは、野球部の今井清次郎イマイセイジロウだった。

 あの夏の敗退以来、まともに目線も合わせられなかった後輩達もいる。それも何故なぜか、笑顔で。どういう風の吹き回しかと思ったが、今は店のことで頭がいっぱいだった。


「すまん! 公園内のゴミ拾いに何人がで行ってくれ! 軍手とかゴミ袋、そこだ」

「ウス! こういうのは俺が、部長がやる! みんな、他にも仕事探して気張きばれよ!」


 すれ違いざま、清次郎は小さな声で笑った。

 皆、本当は正重に謝りたかったのだと。あの夏、誰よりもマウンドにいたかった少年がいた。彼をひとりにしてしまったのは、勝てるならマウンドにいてほしかった全員だったのだ。

 それで正重は、痛めていた肩を完全に壊してしまった。

 今はもう、キャッチボールすらできない。

 でも、こうして五体満足で働いている……家業を継いでいる。


「っし、みんな! 来てくれて、ありがとう……本当にありがとう! しまって行こうぜ!」

「おうっ!」


 後輩が変わってくれたので、フランクフルトや焼き鳥といった調理に二、三の注意を話す。火の扱いには注意、そして衛生面には気を付けて。全員でひじまで手を洗って、消毒してもらう。

 こういう時に水は貴重だが、それも部員が正重の家までみに走ってくれた。

 活気づいてきた中で、いよいよ注文が殺到する。

 座敷を回って、涼華達が注文を取ってくるスタイル……店に客を呼ぶのではない、客側にどんどん売り込んでゆくのだ。何でもカクテル、一律400円。店に任せるなら300円。生ビールだって出してるし、ついでにさりげなくおつまみも勧める。


「吉乃さん、大丈夫ですか? あ、待って待って、紅玉ちゃん。これは子供は飲めないジュースなんだよ。お酒なんだよなあ、カクテルって」

「あ、大丈夫です、正重さん。ノンアルコールのを何か……待っててね」

「ありがと、おば……お姉ちゃん!」


 ガシッ! と脚に抱き付いてくる紅玉を見下ろし、正重は自然と笑みが浮かんだ。

 吉乃はいつもの黒縁眼鏡くろぶちめがねに長いみで、いつもよりずっと綺麗に見えた。非日常の中で彼女は、いつも通りのモノクローム。赤い蝶ネクタイだけが彩りで、そのワンポイントもあってまぶしい。


「吉乃さん、色んな資格持ってたけど……まさか、シェイカーまで振れるなんて」

「これですか? 涼華さんと勉強しました。YouTubeユーチューブとか見て……その、

「へ?」

「私、今……無免許バーテンダーです、ね。昔は、沢山資格の勉強してて……入院してた時も、気分転換にって変な資格まで取って。でも、今欲しいのは資格じゃなくて、実際に働く自分です。実際にできること、したいから」


 だが、彼女の姿はなかなか堂に入ったものだ。

 そして、その姿に見惚みとれているのは正重だけではない。彼女も気恥ずかしいだろうに、頑張って我慢してくれている。店の一番目立つところに、ボトルをズラリと並べてカクテルを作り続ける。

 そういえば昔、シェイカーやカクテル作りの道具一式を、姉が買い揃えたことがあった。

 作って飲めば買うより安い! と豪語ごうごした彼女は、最初の数週間で飽きたのだ。

 正重が作らされた時もあったが、結構腕が疲れるものである。

 そんな時、背後で不意に声がした。


「握りがかたいですね……24点。一杯、頂けますか? オススメで構いませんので」


 振り向くとそこには、向田一歩ムコウダハジメが立っていた。

 自分の店から離れて、わざわざやってきた……それでもう、正重には全てがわかった。

 吉乃は無言でうなずき、テキパキとカクテルを作ってゆく。


「あの、えと……向田さん」

「売上でいえば五分、でしょうか。いえ、わずかにハッピーマートが上でしょう」

「じゃあ、どうして?」

「まず、純利益を算出すると、勝敗はひっくり返ります。うちは惣菜そうざいは全部100円均一にしましたから。それに、客は思ったでしょう……これが毎日24時間食べられる、では……この花見でしか味わえないものは何かと」


 正重は黙って吉乃から受け取った、プラスチックのグラスを手渡す。

 300円を払って、一歩はそれを一口飲んだ。


「……雑な仕事です。バーテンダーは一朝一夕いっちょういっせきでできることではありませんので。ふふ……62点、くらいにしておきましょう」

「向田さん!」

「新しい用地の確保が必要になりました……しかし、プレオープンまでしてしまったのです。必ずあの商店街に、ハッピーマートは出店しますよ。それだけはお忘れなく」


 それだけ言うと、スーツ姿の一歩は花見客の中へと消えてゆく。

 その間もずっと、正重は吉乃がシェイカーを振り続ける音を聴いていた。そのリズミカルな酒が混じり合う歌に、周囲の花見客達の歓声が響いて歓喜をかなでてゆくのだった。

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