第28話「ぼくらはみんな、資本主義」

 朝の7時からすでに、中央公園には花見客たちがちらほらとやってきていた。

 その中には、いつから飲んでいるのだろうか……? もう出来上できあがった男達のお座敷もある。これからが混雑の本番だというのに、酒宴しゅえんがあちこちで開かれている。

 外崎正重トノサキマサシゲは仲間たちに店の設営を頼んで、そんな中を歩く。

 すぐに遠くに、嫌でも目立つ黄色と緑色のはた十重二十重とえはたえ


「ハッピーマート、プレオープン……ねえ。でも、それだけ自信があるってことなんだ」


 隠れて盗み見るなんて考えは、毛頭もうとうない。

 堂々と正面から、正重は出店の前へと歩んだ。

 どこの出店もそうであるように、氷が浮かんだクーラーボックスが並んでいる。その中には、これでもかとドリンクが浮かんでいた。缶ビールに缶チューハイ、ソフトドリンクのペットボトル。

 やはり、安い。

 ソフトドリンクは100円均一、酒の類も一般的な値段よりずっと安価だ。

 それもそのはず、大半がハッピーマートの自社ブランド商品である。


「えぐいな……この価格帯、うちだけじゃなく他のお店もついてけないでしょ、って」


 ふと、聞き慣れた声が響いて、正重は周囲を見渡す。

 そこには、スタッフ達と一緒にてんてこまいで働く野原花子ノハラハナコの姿があった。自分から進んで商品の陳列ちんれつなどを手伝い、声を出して周囲を鼓舞している。

 なるほど、見れば彼女以外はいかにも頼りない。

 恐らく、急いで集めたスタッフなのだろう。

 だが、花子は笑顔を絶やさず元気に働いていた。

 先程の染井吉乃ソメイヨシノの言葉が脳裏を過ぎれば、悲壮感すら感じさせる。

 そんな時、正重の背後に人の気配が立った。


「おはようございます。敵情視察ですかな? 副社長」


 振り向くとそこには、向田一歩ムカイダハジメが立っていた。

 浮かれた周囲の中で、キッチリとスーツにネクタイという姿がやけに浮いて見える。彼はいつもの薄い笑みを顔に貼り付けたまま、静かに正重の前に立った。


「このプレオープン、もともと予定されていたものでして……本来なら、あそこには貴方あなたたちが働いてる筈でした」

「……そりゃどうも。でも、うちは……リカーショップトノサキはコンビニにはならないですよ」

「それはお客様が決めることです。無自覚に、勝負の存在すら知らず……よい商品を求めるお客様が決めるでしょう」


 今日はお得意の採点が飛んでこない。

 つまり、点数をつけるまでもない勝負と踏んでいるのだ。

 正重としても、そのことに興味はない。現役高校球児だった頃の、あの試合前の静かな緊張と興奮がよみがえる。その熱さに燃え上がる前に、どうしても確認したいことが一つだけあった。


「あの、野原さんは……」

「ああ、彼女ですか。ご安心下さい。リカーショップトノサキのコンビニ改装には、

「えっ?」

「今日の勝敗にかかわらず、彼女は解雇かいこです」

「……というのは、彼女には」


 黙って一歩は細い目をさらに細めた。

 地獄だ。

 花子は今、自分の仕事を繋ぎ止めるために戦っている。

 その彼女の知らぬところで、すでに解雇が決定しているのだ。

 そして、そのことに正重は口を出す立場にない。

 何事にも優先順位があって、正重が守らねばならないのは家業と仲間だ。だが、これではあまりに小狡こずるい。小賢こざかしくて小利口こりこうな、それでいて汚いやり口だ。


「……わかりました。とりあえず……絶対に負けませんから」

「おや? どうやってですか」

「どうやってでもです! ……勝敗と野原さんの立場が関係ないなんて、それじゃあなんで彼女は働いてるんです?」

「会社の利益のためですね」


 正重はお世辞にも、優秀な学生ではなかった。勉強はせいぜい、中の下程度だった。だが、今ははっきりわかる。

 理屈や理論の合理ではない。

 論理といったものからは程遠い場所で、理解している。

 頭ではなく心で感じて悟った、それが彼の答えだ。


「誰だってもうかる方がいいに決まってる。その、みんな……誰もが共有できなきゃ、儲けって言わない。働くのも稼ぐのも、会社じゃなくて人がやってくことだ」

「……0点、ですね。マルクスの資本論から勉強し直した方がいい。仮にも一応、副社長なのですから」

「俺は……リカーショップトノサキの副社長である前に! 外崎家の跡取り、外崎正重だ! 俺は俺であるだけで十分だ!」


 思ったより大きな声が出た。

 それでハッピーマートの人達は一斉に振り返る。

 花子は顔を上げて、何か言いたそうに口を開く。だが、彼女が選んだのは笑顔だった。まぶしい笑顔で「あ、副社長さん! おはようございまっす!」と頭を下げる。

 見ていられなくて、軽く挨拶を返して正重はきびすを返した。

 戦いは非情だ。

 そして、敗者が祝福されることはない。

 正重には、正重が守れる範囲の人達しか守れないのだ。


「こんな……こんなことって。やり口がいちいち汚いんだよ!」


 決然としたいきどおりに、歩調が強くなる。

 頭に血が昇っていた。

 だが、漫画やアニメのように、格好良く花子をも救う方法がわからない。そんなシナリオは存在しないし、ここでは正義も道理も機能不全を起こしていた。

 それでも、自分ができるベストを尽くすしかない。

 ズルはしない。

 そう自分に誓い直していると、不意に見知らぬ人影が振り向いた。


「お、帰ってきたなー? どう? バカ安でしょ、ハッピーマートって」


 そこには、姉の外崎涼華トノサキリョウカが笑っていた。

 いつだって彼女は、ゆるい笑みを正重に向けてくる。


「姉貴……その格好、は?」

「へへ、いいでしょー? コスプレだぞ? 花見客をまるごと悩殺のうさつ! なんてな、わはは!」


 そこには、メイド姿になった姉の姿があった。

 それも、長い黒のスカートに白いエプロンドレス、どこか古風で正統派に感じるメイドだ。いつものだらしない涼華が、見違みちがえてしまった。

 彼女はスカートを片手でつまんで一回転してみせる。


「準備はよろしいでしょうか? 御主人様ごしゅじんさまっ!」

「え、あ、ああ……えっと」

「ほら、しっかりしろ! あんた、うちの御主人でしょ。リカーショップトノサキを仕切ってんのはあんたなんだから。シャッキリしろ、馬鹿野郎! キンタマついてんのかー!」

「つ、ついてるよ! ったく……いちいち下品なんだよ、姉貴は」


 そして、自然と視線は一人の女性を探してしまう。

 鉄板を温め始めた喜多川清春キタガワキヨハルの横に、彼女はいた。

 それはもう、姿、染井吉乃は熱心に準備に勤しんでいる。視線に気付いた彼女は、恥ずかしそうにほおを赤らめながらも、力強く正重にうなずいてくれるのだった。

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