第27話「桜の園へ」

 喜多川清春キタガワキヨハルの運転で、リカーショップトノサキの配達車がガタゴトと走る。

 助手席を姉の外崎涼華トノサキリョウカに譲ったので、外崎正重トノサキマサシゲは沢山の荷物と一緒に膝を抱えていた。古いライトバンは、後ろがまるまる貨物スペースだ。そこに、びっちり酒を積み込んで中央公園へ向かう。

 すぐ隣には、身を寄せ合うように染井吉乃ソメイヨシノの姿があった。

 あれからすぐに時間は過ぎて、週末の桜まつりの日がやってきたのだ。


「あれ、どうしたんですか? 吉乃さん……何か、機嫌よくないですか?」


 段ボール箱が居並ぶ狭い中、密着してくる吉乃が少し楽しげだ。

 彼女は今、いつもより無邪気な笑みを浮かべていた。

 隣の正重を見上げて、吉乃はニッコリと更に笑顔をまぶしく輝かせる。


「私、桜を見るなんて久しぶりです。……そういう時間が取れる仕事じゃなかったから」

「ああ、そういえば。あの……この間の、あの野原花子ノハラハナコさんとかって人と」

「あっ! その、あの時は……ごめんなさい。こうなったのも、もとあといえば私があの時……すみません」

「それはいいんですけど、その」


 結局、なし崩し的に正重達は花子の挑戦を受ける形になった。

 勝負は単純だ。

 桜まつりに屋台やたいを出店して、売上の多かった方が勝ち。負けた方は勝った方の要求を飲むというものだ。はっきり言って、こんな滅茶苦茶な勝負をするメリットは、リカーショップトノサキには少ない。

 理詰めで時間をかけて協議してゆけば、法的な正当性が正重の実家を救ってくれるからだ。そしてそれは、本当は吉乃が一番よく理解しているはずだったのだ。


「本当にごめんなさい……少し、昔を思い出してしまって」

「野原さんを見て、ですか?」

「ええ。彼女、多分……です。あの、向田一歩さんって方の経営コンサルタント事務所に雇われてるんでしょうけど、その」

「何か、崖っぷちとか言ってましたよね。それってつまり」

「多分、実績が奮わないので、


 ――雇い止め。

 契約社員に対して、契約の延長や更新をせず、雇用を打ち切ることを言う。この制度がホワイトカラー、いわゆる特殊な技能を持たない一般職にも広がったため、時には大量の契約難民が溢れ出る事態となった。

 だが、企業にとっては有利だろう。

 例えば、吉乃は簿記の資格を持ってて、経理の仕事ができる。

 正重は彼女を、青色申告で忙しい一月から二月までだけ雇えば、人件費を削減できる。青色申告が終わったら、あとは自分でやってやれないことはない仕事ばかりだ。

 だが、人間の労働力はモノではない。

 雇用とは、その人の生活を一部預かることだと思う。

 資本主義の宿命がコストとリスクを削減することだというのなら、余剰在庫よじょうざいこのように労働力を扱い管理、時に切り捨てることも必要かもしれない。だが、それでは何のために仕事をしているのか、わからなくなってしまう気がした。


「ま、俺はいいと思ったんですよ。このままダラダラ裁判だなんだって、そういう話になりそうでしたよね?」

「え、ええ。ほぼ勝てると思いますけど」

「ただ、時間が惜しいし、諸手続しょてつづきだけでもアレコレ出費するんです。そういうのって、うちみたいな小さな個人商店には痛いですからね。むしろこの選択、アリですよ」

「……そう言って、いただけると、少し……あ、ありがとう、ございます」


 助手席で振り返った涼華が、ニッカリ笑って親指を立てていた。

 そういえば彼女は、夜遅くまで吉乃と何やら毎日忙しそうにしていた。正重は店の業務を回しながらも、涼華の秘密の特訓めいたアレコレが気になっていたのである。

 だが、もったいぶって教えてくれないのが姉なのである。

 我に秘策あり! としか言ってくれなかった。

 まあ、大したことをしでかすことはないだろう。

 それに、こういう時の涼華がノリと雰囲気だけで成功をおさめるのを、幼い頃から正重は何度も見てきている。吉乃もついているし、大丈夫だろう。


「まあ、仕切りは姉貴に任せるとして……酒、ですよね」

「お花見のお客さんはやっぱり、お酒を飲みますよね。この勝負、一見すると私達が有利に見えますけど……」

「価格帯、ですよね」


 ハッピーマートは、大手百貨店デパートや有名な大型量販店ホームセンターとも経営母体が同じで、自社ブランドの製品を多種多様に扱っているコンビニだ。

 その価格は、一度に大量に作ることでコストを落とし、安く売られている。

 例えば、缶チューハイ一つとっても、大手酒造メーカーのものよりかなり安い。

 そして、更に相手が有利な条件を吉乃は教えてくれた。


「少し調べましたが、こうしたイベントでの出店では、ある程度販売する商品を絞る必要があります」

「生ビールに缶ビール、あとは日本酒に焼酎、ええと」

「あとは女性向けのカクテルや缶チューハイ等、逆に焼酎は出さないでしょうね。……わ、私は、好きです、けど……」


 正重の家業は酒屋、リカーショップだ。

 価格競争ではなく、手厚いサービスと安定した供給、何より品揃えで勝負する店なのである。しかし、花見客が求めるのは、ビール、日本酒、そしてちょっとの缶チューハイ……ワインだ焼酎だは、並べても思うようには売れないだろう。

 では、今日の大荷物はなんだろうか?

 正重にぴったり身を寄せて座る、吉乃の居場所すら奪う大量の酒、酒、酒。

 恐らく、これが涼華の言っていた秘策だろう。

 そんなことを思っていると、ボソリと清春が呟いた。


「坊っちゃん。吉乃さんも……見えてきました」


 その声に、吉乃が背の窓を振り返った。

 ふわりとひるがえった三つ編みが、シャンプーの匂いで正重の鼻孔びこうをくすぐる。

 狭い中、とても顔が近い。

 そして、外の光景を見詰める吉乃の笑顔は、やっぱり眩しかった。


「咲いてますね、桜! 凄い……満開です」


 中央公園の外からでも、咲き誇る桜の花びらがはっきり見えた。

 穏やかな春風に舞い散る、薄紅色うすべにいろ桜吹雪さくらふぶき

 ここからでも、花見客の歓声が聴こえてくる。

 そして、中では沢山の出店がのきを連ねていた。


「場所は、いいとこを、抑えてますんで」


 清春はそう言いながら、割り当てられた専用の駐車場へとライトバンを転がしてゆく。


「あ、うん……ありがとうございます、清春さん」

「いえ、昔のつてで。それと……今日は俺、色々作りますんで。焼きそばとか」

「えっ!? 姉貴や吉乃さんじゃなくて!? で、でも……助かりますよ、ホント」

「まあ……昔、的屋てきやだったこともありますんで」


 清春の素性や経歴には謎も多いが、正重は気にしない。

 そして、涼華も吉乃も問題にすることはなかった。


「よーしっ! ほんじゃ今日もバリバリ働くわよっ! よしのん、例のやつを持ってきたから、設営終わったら着替えよう!」

「は、はいっ!」

「わはは、緊張すんなよー! あたしなんか、これで意外と楽しみで楽しみで……前の旦那にも見せたことないからさー、こんなの」


 何やら企んでいるようで、ニシシと涼華が笑う。

 こうして、リカーショップトノサキの一番長い休日が幕を開けるのだった。

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