第26話「彼女は彼女に何を見たか」

 突然のハッピーマートの襲来から、一夜が明けた。

 外崎正重トノサキマサシゲは今日も、シャッターを開けてつかの平穏に安堵あんどする。期日通りに強引に工事が始まるということは、どうやらないようだ。

 その辺りは、あの向田一歩ムコウダハジメも常識をわきまえているということだろう。

 だが、今日は朝から珍しい面々が店に押しかけていた。


「おっ、開いたぜ! うぉい、マサちゃん! 話は聞かせてもらったぜ!」


 居酒屋『吾妻家あずまや』を経営する、吾妻源太郎アズマゲンタロウだ。

 聞けば、開店準備の仕込み前にやってきたという。

 他にも、商店街の名だたる面々が顔を揃えていた。


「あ、おはようございます。え、皆さんどうしたんです?」

「どうしたんです、じゃねえだろ、マサちゃん!」

「もう、水臭みずくさいよ……頼ってくれてもよかったのに」

「そうそう、相談くらいなら乗るぜ! 金はねぇけどな!」


 話が読めないが、奥から出てきた染井吉乃ソメイヨシノ耳打みみうちしてくれる。

 どうやら皆、リカーショップトノサキがハッピーマートになってしまうと聞きつけて、飛んできてくれたのかもしれない。どこかでうわさひとあるきして、商店街の昔ながらの酒屋が消えてしまうと思われたのだろう。

 その危機は今もあるが、とりあえずは事情を説明しなければならない。

 物理的でなくても、味方は多い方がいいし、いつも商店街の面々にはお世話になっている。吉乃もすぐに、お茶を出すと言ってくれた。


「で? マサちゃん! その、コンビニになっちまうのかい?」

「いや……それは昨日、断ったんですけどね。ただ、オヤジが勝手に契約しちゃったらしくて」

「かーっ! 大五郎ダイゴロウさんかよ! ……やりそうだよなあ、あん人は。酒を探して飲むこと以外、本当に無頓着むとんちゃくというか、興味を持たねえ人だからな」

「そうなんですよ」


 とりあえずいつものベンチと一緒に、倉庫からパイプ椅子を何個か出してくる。

 吉乃が茶を配り出して、突発的な商店街会議が始まってしまった。

 正直、ありがたい。

 そして、自分が逆の立場だったら、やはり同じことをしたかもしれない。これからハッピーマートとは実際的な話し合いを持つとして、契約面の不備等を問うことにもなる。だが、吉乃が敏腕を奮ってくれるのと同等に、周囲の商売仲間が応援してくれるのが嬉しかった。


「とりあえず、改めて契約の見直し、契約破棄を前提に話し合いを持ちたいと思ってます。で、そのへんは吉乃さんが詳しいので、何とかなるかも、って感じですね」

「よかったじゃねえか、マサちゃん。いい嫁さんもらったなあ」

「そうそう! 昔から『年上のよめは金の草鞋わらじいて探せ』って言うしな!」

「ちげえねえ! 吉乃ちゃんだったら、マサちゃんも大安泰よ!」


 年寄りはすぐこれだ。

 苦笑しつつ、正重はなんだかこそばゆくて照れる。

 吉乃も真っ赤になって、顔をお盆で隠してしまった。


「で、マサちゃん! 俺等も力になるからよ」

「そうそう! 何でも言ってくれや。いざとなったら座り込みだぜ!」

「ああ! 大五郎さんの店を取り壊すなんざ、許してなるかい!」


 少し話が大げさになっているようだ。

 まずどこから話すべきかと、正重が思案していたその時。

 不意に、朝から元気な声があっけらかんと響く。


「取り壊しの予定はないですねぇ! あ、おはよーございますっ! 先日は大変失礼いたしました!」


 皆が振り向く先へと、正重も視線を放る。

 そこには、スーツ姿の女性が満面の笑みで立っていた。

 それは、先日訪れたハッピーマートの経営コンサルタント、野原花子ノハラハナコだ。

 彼女は、野に咲く花というよりは大輪の向日葵ひまわりみたいな笑顔である。


「どもども、副社長! 本日はですね、その件でお話を……お、おろ? えっとぉ……そ、そんな怖い顔でにらまないでくださいよぉ、皆さぁん!」


 商店街の年寄り達が、ついつい険しい顔になってしまう。

 花子は頼りない笑みを引きつらせつつ、ずずいと正重の前に来た。


「えっとぉ、実はやっぱり……どうしてもここにハッピーマートをですね」

「ああ、それでしたらお断りしようと思って。正式な話し合いを持ちたいので、できれば日程の調整からって吉乃さんが……あ、あの?」


 花子がずずいずい、と更ににじり寄ってくる。

 顔が近い。

 目がすわわっている。


「そこを何とか! あ、これは昨晩新たな事業計画書でして……酒屋を兼ねたコンビニという折衷案せっちゅうあんなんですが、全国では前例もありまして」

「あ、ああ、えっと」

「わたし、今回の案件次第で今後が決まっちゃうんです。どーしてもっ! ここで実績が欲しいんです! なので! 仲良く一緒にやりましょう! ハッピーマート!」


 すかさず正重と花子の間に、吉乃が割って入ってくれた。

 彼女は手で花子を制しつつ、穏やかな声をくずさない。だが、笑顔もいつも通りなのに、そこには不退転ふたいてんの決意というか、普段からは想像もできない強い意志が感じられた。


「野原さん、その件でしたら後日改めて正式なお話をさせて頂きたいのですが。本日は営業日ですし、お客様もいらっしゃいますので」

「ま、まあ、そうですよねぇ……でもっ! わたし、本当にピンチなんです! このままじゃ、されちゃいますよぉ!」

「それは……野原さんの、都合つごうで……その、っ! はぁ、はぁ……と、とにかく、今日はお引き取り、くださ――」


 不意に吉乃がよろけた。

 咄嗟とっさに肩を抱いて、正重は支える。

 周囲からは「おお!?」という声があがったが、それも耳に入らない。

 いつになく強気な態度を見せたかと思えば、何があったのか?

 だが、花子はグイグイと引き下がる様子を見せない。


「副社長! じゃあ、もう一つ! もう一つだけ!」

「あのっ、とにかく今日は……すみません! えっと、吉乃さん? 大丈夫ですか」

「副社長! 今度の週末、中央公園のさくらまつりで勝負して欲しいですぅ!」

「……は? いや、今はそれどころじゃなくて」


 正重の胸に手をつき、か細い声で吉乃が「大丈夫です」と無理に微笑ほほえむ。

 だが、顔面蒼白がんめんそうはくで声が震えていた。

 そして、花子も言葉に悲壮感ひそうかんにじませてゆく。


「桜まつりで、ハッピーマートのお披露目ひろめプレ開店イベントがありますぅ! リカーショップトノサキさんも来て頂いて、そこでハッピーマートの素晴らしさをですね」

「わかった、わかりましたから! 頼むから今日はもう」

「そこで勝負ということで! 詳細はこれに書いてありますので!」


 何が花子をここまで必死にさせるのだろう?

 正直、軽い戦慄せんりつを覚える……まるで生き死にがかかった問題であるかのようだ。

 それで正重は、吉乃を抱き寄せたまま、何かの書類を受け取ってしまった。

 周囲が徐々に殺気立つ中で、花子は何度も頭を下げて退散していった。

 桜の季節が迫る春の到来に、言い知れぬ怖気おぞけを感じて正重は薄ら寒く思うのだった。

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