たった一人のクーデター、血よりも濃い酒
クーデターが起きた、という話が詰め所に飛んで来た時に、どのくらいの規模の敵なんだと当然聞くわけである。
慌てて突っ走ってきた新米が「一人です!」と叫んだのはいいにしても、普通はそこから笑い話になるはずが、辺境都市ルドゥシュの王立騎士団が鏖殺されて壊滅したという話も別口から突っ込んできて、いよいよ首都マルギタの騎士団は騒然となった。おっとり刀で武器を手に取る連中を横目に、俺は飲んでいた酒の器を傾けながら、息をまだ整えている新米に言った。
「イゴールだろ」
「え? あ、はい! そうです、イゴールというはぐれ騎士が首謀者で……というかたった一人で、街を……」
「市民には手を出してないだろ」
「あ、それは聞いてきませんでした」
「手を出していないはずだよ」
俺は立ち上がって愛剣を手に取った。三人ほど野盗を斬り殺して、ようやく油を塗ったばかりだというのに。
ここからルドゥシュはそれほど遠くない。どうせすぐに出動命令が出る。のんびり旅支度を始めた俺を、ジクーのやつが訝しそうに見てきた。
「おい、ラディスロウ。おまえ、なんでイゴールが蜂起したなんて分かったんだ」
「たった一人で国家転覆を謀ろうとするバカは、あいつくらいしかいるまい」
「……そうか。それもそうだな。だが、いいか。お前はあくまで客員剣士、図に乗るなよ。指揮は俺たち正規の騎士が取る」
「好きにしろ」
俺の口車に簡単に乗せられて納得するようなバカが、イゴールに勝てるわけがないのだから、どうでもいい。どうせすぐにバラバラ死体になるだけだ。
イゴールか。
ずいぶんと、懐かしい名前だった。
俺とイゴールが共に酒を飲んだことがある、というのを、たぶん誰も知らない。
もう十年も前の話だ。
その宴は、王統三派の剣術家たちが流派の垣根を取り払って盛大に行われたものだった。イゴールとはたまたま席が近くて、少し話をした。それだけだった。
イゴールは建国時代の英雄が残した遺剣を信奉する、保守派の剣術家の一員だった。
強さよりも儀礼や品格を重んじる剣で、それだけに貴族の子弟や女騙しの優男が学ぶ剣として、ほかの二派からは軽んじられることが多かった。
確かに、建国時代と今では剣の技術には多少の隔たりがある。
その時代、時代を生きた剣士たちが改良を重ねた剣が残されていくわけだが、イゴールの純王派は今でも敵が名乗りを挙げたらこうしましょう、というような形骸化した教えがある。
しかもそれをマスターしなければ次の剣技を教えないという頑なさだ。
とはいえ、俺自身がどう思うかといえば、純王派の剣というものは基礎が恐ろしくしっかりしている。
おそらく創始者の王家直轄の騎士団団長だった男・イアノスは物事の本質を見抜く天才だったのだろうと思う。当時、もっと剣の技術というのは乱れていて誰が何をどう追求しているのかまったく分からない状態であったにも関わらず、今の時代でも『基礎といえば純王派』と言われるほどの完成度を保っている。莫大な調査と無尽の実践を繰り返した果てに辿り着いた理論のはずだ。
だが、イアノスは弟子に恵まれず、あるいは恵まれすぎたのか、己の剣を発展させるのではなく保存する方向で後の時代に残されてしまった。
だから、純王派だというだけで、『弱い』と断定するのは間違っている。それが俺の考えだ。
それに、俺はイゴールという男は、純王派の思想や王国騎士としての考え方には共感していても、本質的には『言われたことだけやっていればいい、残されたものをそのまま使えばいい』というような考え方をしていないと思っている。
一度だけ、やつの剣を見たことがある。
純王派の剣を使うやつは、相手が自分の思い通りに動かないと怒り出すという悪癖があるのだが、イゴールにはそれがなかった。
勧進試合である程度の自由が利いたとはいえ、やつは対戦相手をよく観察していた。それがわかる動きをしていた。
儀礼を重視する為に、剣を読まれやすく、また後手から打つことを美徳とされている純王派は『試合には負けたが勝負には勝った』とうそぶいて対戦相手をこき下ろし、それでよしと帰っていくことも多い。
だがやつは違った。
イゴールは勝つことしか考えていなかった。
退くことなど、ましてや儀礼上で勝利すればよいなどと微塵も考えていなかった。
その試合、やつは負けたが、俺は本当に殺し合えばイゴールが勝っていただろうと思う。
だから、やつに興味が湧いたのだ。
純王派に対して、俺が習得した我竜派は、文字通りの我流をよしとする。
建国時代よりさらに遡る、動乱の時代に創始者を持つ。
そいつは山賊の頭領で、大勢の人間を殺したが、教えを請うやつには片手しか無かろうが片足が吹っ飛んでいようが金も取らずに剣を教えた。
そしてそのすべてが実戦形式であり、『生き延び方は教えてやるが、それでも死ぬならそのまま死ね』という真剣稽古を繰り返した。
我王ルドヴィク。純王派ともっとも仲が悪い派閥だ。
その中でも、同門殺しで悪名を轟かせ、『我竜派でなければ破門されている』と言われたこの俺が話しかけた時、イゴールは少し眉根を寄せていた。別にやつは聖人でもなければ、物語の登場人物でもない。悪評の多い他流派の男に話しかけられて嫌だったろう。
だがすぐに、やつの眉根からシワは消えていった。俺が純王派を否定せず、むしろ肯定したからだと思う。
別に取り入ろうとしたわけじゃないが、最初から「おまえんとこの剣は間違ってるよ」なんて言って、話が弾むわけがない。情報だって取れない。面白い話もしてくれない。そんなプライドになんの値打ちがある?
だから逆に俺はイゴールに聞いてみた。我竜派のことをどう思う? と。
「皆が言っているほど、感性だけに任せた剣ではないと思う」
イゴールはちびちびと酒を飲んでいた。本当は飲みたくなかったのかもしれない。酒焼けのしていない綺麗な声だった。
「ほう。だが、俺たちは何も考えちゃいないぜ。センスにだけ従ってる」
「それは違う。貴方達は自分が死なないための方法を考え続けている。そう見える動きをしている」
「……へえ。そうかな?」
「ああ。僕にはわかる。……信じないかもしれないが」
「いや、信じるぜ」
疑わしそうにイゴールが俺を見る。
「純王派の新米剣士の言うことをなぜ信じる?」
「俺は強いやつが好きだからだ」
「強い? 僕がか。僕は負けっぱなしだ。戦地に出れば、間違いなく死ぬと言われている」
「でも、お前はそう思っていないだろ?」
「…………」
「戦地に出れば、死ぬのは自分じゃなく、儀礼や常識に取り憑かれた周りの連中だ。だが、お優しいあんたは、できればみんな救いたいと思ってる。でも、そこまでの力はない。だから僕は弱いんだ、と思い込みたいわけだ」
「……君は僕と喧嘩がしたいのか。それとも褒めているつもりなのか?」
「残念ながら褒めている。悪いな、褒め方も我流でね」
「直した方がいい」
ツッケンドンな言い方ではあったが、誤魔化しがてらに傾けた盃の奥でほんの少し唇が笑みを浮かべていたのを俺は見逃さなかった。
そうとも。俺にはわかる。
本物の剣士同士は必ず惹かれ合う。
この俺の目に、狂いなんざねぇのさ。
愛馬に飛び乗る。
俺の考えを読んだのか、武者震いのように嘶いた。
俺より早く騒ぎ出したくせに、まだ馬に乗ることもできずにバタバタしているバカどもを放っておいて、俺は馬の腹を滑車で叩いた。
夜だった。星屑が眩い。
明け方には、ルドゥシュに着くだろう。
たった一人の戦士に壊滅させられた廃墟に。
俺にはイゴールがなぜ蜂起したのか、わかる気がする。
この腐敗しきった王国で、民は蹂躙され、支配者たちだけが美味い汁をすする。
俺はもう、それに納得して諦めた。こんな時代だ、仕方ないと。
だが、イゴールはそうしなかった。
純王派の創始者は、クーデターを起こして自分が信じる人間を新国の王に祭り上げた。
壊れた方がいい国なら。死んだ方がいい王なら。
自分がやるしかない。
たった一人でも。
――大したやつだと思う。
方法は間違っている。あのやり方では、たとえ市民に犠牲を出したくないと考えていたとしても、大勢が死ぬだろう。俺は、それこそ仕方がないと思うが、イゴールはおそらくそれを認めない。犠牲を最小限に革命を成功させようとし、失敗したならば自分が死ねばいいと考えている。
そうはさせない。
こんな面白いことを、途中で終わらせられてはたまらない。
あの陰気な男に思い知らせてやろう。
お前は自分が思っているほど、孤独ではないと。
たとえ死にたいと思っても、許さず生かそうとする存在がいると。
友ではない。仲間でもない。
だが、俺はイゴールにつく。
やつの武装蜂起に参戦し、この腐った王国に瞬く眩い星屑ほど多くの命をなんの値打ちもない塵に還してやる。
たとえやつに味方する剣士が俺一人しかいなくても、関係ない。
我竜派の剣士というやつは、他人がどうこうなんて興味がないのだ。
俺は構わない。自分が死んでも。
あのどうしようもなくバカで優しい男が、たった一人で、満足そうに死んでいったのを噂話で聞くくらいなら、どこまでも生かしてどこまで夢を追えるのか確かめてやる。
汚れ仕事は俺がやってやろう。どんな腐った剣でも振るってみせる。
感謝などされなくていい。恨みも呪詛も聞いてやる。
だが、クーデターを起こしたのはあいつだ。
あいつには、その責任がある。
俺に夢を見せたという、責任が。
あいつは俺のことなんか覚えちゃいないだろう。
それでも俺は覚えてる。
それでも俺は行く。
END
『血よりも濃い酒』ファンタジー短編集 顎男 @gakuo004
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