第4話


 ざわめきが大きくなってきたように思う。

 振り返って時計を見れば、新年まであと一時間を切っていた。


 窓を開けると、人の声が近くなる。

 ほぅっと息を吐けば、私の魂がゆらゆらと揺れた。



 「そろそろ出掛けようか」 

 私はそういって、藁人形あなたを抱きかかえた。


 傍から見れば、人形に独り言つ奇妙な女に見えるのだろうか。

 誰に狂っていると思われてもかまわないけれど、冷やかしで藁人形あなたとの逢瀬を邪魔されるのはごめんだ。私の愛の以外の情報なんて、あなたに還元される必要はないのだから。




 参道は、予想していた程混雑してはいなかった。


 近頃、大晦日のうちから境内に集まる人がめっきり減ったように思う。信仰が廃れてきているからか、二年参りはさほどメジャーではなくなった。でも、それも仕方のないことだと思う。


 ――――だって、神様はもういないのだから。



 この社の神様の消失が確認されたのは千年も前の大昔のこと。

 それでも、人の世となってからも神様が存在した、なんて記録が残っているのはこの社くらいなものだから、未だに人々の信仰心は消えていない。そして、この信仰心のもとで、社は消えた主神の名を冠しながら現存し、私は生活できている。


 神主の娘などというと霊感や超能力が期待されるけど、それは全くの誤解だ。悲しいかな、流行のおまじないに縋るくらいには、ごくごく普通の恋に悩む無力でかよわい女の子に過ぎない。



 神様の力は、どんな願いでも一つだけ叶えてくれるというものだったという。

 ああ、なんで消えてしまったんだろう。あなたの居場所を教えてもらえるなら、迎えに行くこともできたのに。




 一礼してから鳥居をくぐり、本殿へと足を向ける。

 大晦日だけあって、境内では松明に灯りが点されていた。普段見慣れている社とは違う厳かな雰囲気に思わず息をのみ、あなたと来た時も思わず感嘆したことを思い出す。


「私を連れ出して、ここに来た日のことを覚えている?」

 懐から藁人形あなたを取り出し、胸に抱いた。


 私は十三になったのに、子供は寝る時間だと大晦日の夜に社に行くことが許されなかった年。不貞腐れた私を、父に内緒で部屋から連れ出してくれたよね。

 「ほら、行くぞ」といって、部屋の窓から手を伸ばして迎えに来てくれた時、王子様みたいで本当にかっこよかった。囚われのお姫様を助けに来る王子様……なんていうシチュエーション、ほとんど全ての女の子が一度は夢見るんだから。もちろん、私も含めて。


 初めて見る夜の社は、闇に浮き上がっているのに重々しくて、神秘的で、まるで違う世界に迷い込んだかのようだった。

 私は少し怖くなって、でも子供扱いされたくなくて、そっとあなたの羽織の裾を掴んだの、気づいていたかな?あの時は気づかれていないと思っていたけど、あなたは私のことをよく見ていてくれたから、気づいていたんじゃないかな……気づかないふりをしてくれたけど。


「あの時、怖かったのも本当なんだけど、このままあなたとどこかに行っちゃいたいとも思っていたの。そしたらずっと一緒にいれるのかなって」

 ふふふ、照れますね、といいながら、藁人形あなたに頬ずりをする。

 しっとりとしていたあなたとは違って、チクチクと藁が顔にささった。


 結局、私たちの密会は部屋に戻る前に父に見つかって、あなたは怒られてしまったよね。私の我儘だったのに、矢面に立たせてしまってごめんなさい。




 そろそろだろうかと辺りを見れば、先程よりも人が増えている。

 大切な人と来ているのだろうか、声も顔も優しい人が多い。

 けれど、そんな中に藁人形を持った人も見えるから、きっと同士が何人もいるんだろう。




 ドンドンドン……と、太鼓が新年を告げる。


 空から白い欠片が降ってきた。

 ちらちらと舞う雪を手のひらで受け止めれば、はじめから存在していなかったかのように一瞬で水となった。









――――冬のある晴れた日の朝、あなたは雪解けとともに姿を消した。



――雪が降り続く間、あなたは思いつめたかのように、ずっと暗い顔をしていた。

 「人の笑った声が好きだ」と、いつも楽しそうにしていたのに。私は太陽のようなあなたの笑顔が大好きだった。


――雪が止んだと聞いても、外に出ることはしなかった。

「まっさらな雪の上を歩くのが一等好きだ」とそういって、何度も何度も一緒に跡をつけたのに。子供っぽい、なんて言ったことを気にしているのなら謝るから、また隣を歩きたい。


――あなたは私に、「きみは雪の上を歩いてこなくていいのか」と言った。

 私、本当はね、雪なんて好きじゃなかったんだ。だって寒いし冷たいし。でも、あなたの隣に居たかったから、私も雪が好きと嘘をついていたの。 


――私はあなたの髪を撫でた。

 優しくて柔らかな白い髪。雪が嫌いと言ったけど、あれも嘘。あなたの髪がいつからか白くなってからは、雪の色が大好きだった。


――それからしばらくして、あなたは眠りについた。

 あなたがなかなか目覚めなかったから、私はこっそりと布団に忍び込んだ。だって、起きていたら同じ布団に入ることを許してくれないもの。あなたの匂いがして、抱きしめられているようで幸せだった。だからなんだか安心して、そのまま私も寝てしまったの。


――目が覚めたら、あなたはいなくなっていた。

  君一人残していくこと選んだ僕を許して欲しい、そう書いてある手紙だけが枕元で眠っていた。




 どうして私を置いて行ったのだろう、ずっとずっと愛していたのに。


 嘘、本当は知っている、気が付いている。

 会話の回数が減ったことも、私に内緒で時々出かけていたことも、私にあまり触れないことも、全部知って、気が付いて、それでも見たくないからと蓋をしていたのは私だ。




「ねぇどうしたら、もっと一緒にいれたのかな」

 問いかけても藁人形あなたは黙ったまま。

 答えが返ってくることなんて期待していなかったけど、孤独感が一層増した。








 雪が本格的に降り始める。

 指先の痛みも、もう感じなくなっていた。










「神様、彼に会いたいです」

 何度目とも知れぬ願い事。


 消えたと聞いてはいたけれど、それでも願わずにはいられない。








 かじかんだ唇では、の冷たささえも、よくわからなかった。

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藁人形に口づけを タケノコのコ @takeno-ko

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