第3話 とある男の手紙
野分が通り過ぎて暫くした頃から、山の色彩が豊かになったように思う。稲穂が金色に、山が錦に彩られても、空が遠いからなのか物悲しさが募るばかりだ。
あと少しすれば、龍田川も唐紅に染まるだろう。本当は神代から染まっていたことを知るのは、もう君だけになってしまったけれど。
君を最初に見つけたのも、こんな季節だった。
桜木の下での出会いといったら普通は桜色なのだろうが、紅の出会いもなかなかに乙なものだと自信を持って言える。紅色の桜紅葉と、濡羽色の君の髪。目を瞑れば今でも思い出せるほど、美しいコントラストだった。
私は泣いている君を、白い岩のある麓の湖へと連れて行ったな。あの時は私も幼かったからあれは湖だと言ったのだけれど、今思えば池と呼ぶほうがふさわしかったように思う。でも、君があれを湖だと呼び続けるから、私もそれに同じよう。君と私の世界で、あれは二人だけの湖だ。
私はこれを、誰かに送るつもりはない。だから君に言えなかったことも、好きに書かせてもらおうと思う。死ぬ間際にでも処分する予定だから、これは手紙というよりも日記なのかもしれない。それでも、君に伝えたかった想いを君に向けて綴るのだから、やはり手紙でいさせて欲しい。
あれは何度目の逢瀬でのことだったか、私は一度、君の前で醜態をさらしたことがあったと思う。ああ、もちろん一度だ。二度とご免だ。
何度目か思い出せないのは、君との逢瀬が適当なわけじゃない。君のことだから何度目のことだったか覚えているんだろうが、私は君といるだけで、回数を数える余裕なんて無かったんだ。余裕がないからこそ、いつも余裕なふりをしていた、なんて、今思い返すとむず痒い話だな。
私はあの日、あの時、君を置いていくことを許して欲しくて、君に何度も謝った。何も言わずに、何も知らない君にただただ謝って、君の許しを得ようとした。なんとも卑怯なやり方だ。
けれど、口にしてしまえば本当になりそうで、自分でも認めたくなくて、言葉にすることが出来なかったんだ。決して君のためを思っての行動なんかじゃない。私が弱いだけだったんだ。謝ったところで、許してもらったところで未来を変えることは出来ないけれど、1人では抱えることもできなくて、君に気持ちを押し付けた。
本当にすまなかった。
君を置いていくことも、君に何も言わなかったことも。
この罪悪感すらも一人では抱えきれない弱い私を、愛してくれてありがとう。
私も、君を愛しく思っている。
親愛なる君へ
追伸:卑怯の告白ついでに
いつだったか二人して湖に出かけた時、紅葉を見ているふりをして「綺麗だな」なんて言ったな。あれ、本当は君のことを言っていたんだ。君は私の方を見向きもしなかったから、気が付いていないようだったが。
なんだか、改まって言うのも照れくさくてな。だが、君だって目もあわせてくれなかったのだから、これくらいのずるはおあいこだ。本音を言えば、嫌われたのかと少し傷ついていたんだぞ。
今も変わらず、君を一等美しいと思っているよ。愛している。
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