第3話 膝の上の猫

 *


 あるとき、預言者ムハンマドが、友人と会う約束をしておりました。しかし、ムハンマドが出かける前に少し ばかり椅子に腰掛けたところ、猫がその膝に乗ってきました。無類の猫好きで知られるムハンマドはその猫を 振り払うことができず、結局友人との約束を反故にしてしまいました。


 この話は、コーランに次ぐ聖典ハディースに載っているものです。私にはこの話が何故聖典の中に入っている のかが疑問でした。不敬ながら、猫を振り払わなかったムハンマドは友人に対して不誠実だと思ったのです。 しかし、後に気付いたのです。これは、人の傲慢さに対する戒めなのだと。イスラームにおけるムハンマド は、キリスト教におけるイエスとは違って、市場にいるありふれた人間です。人間は過ちを犯すものです。預 言者として神に選ばれたムハンマドですらそうなのです。


 ムハンマドは自分の過ちを受け入れます。過ちを犯すことがないのは神のみです。自分の過ちを認めないとい うことは、自分が神と同じであると思うことです。この話が聖典の中にあるのも、傲慢さに対する戒めなので す。人の弱さを許したもう神への絶対的帰依――これをイスラームと呼ぶのです。


 いえ、私は宣教に来たのではありません。世俗においてもやはり同じだと思うのです。自分の過ちを認めず、 あるいは認めたとしても自分ですべてを正せると信じ、自分だけで成し遂げる完全を求める私のような人間が います。それは一見強いことのように見えますが、他人を必要とせず、柔軟性を欠き、脆いものなのです。そ のような者は神の裁きを受ける間でもなく、現世において報いを受けるのでしょう……。


 *


 いつのまにか自虐的な話になっていることに気付き、言葉を止めた。

「スレイマン様は違います」

目を伏せてそう言うと、フランス王も自嘲的に言った。

「膝に乗った猫だけではなく、投獄された愚かなフランス王すら見捨てなかったと?」

 ほら、そういうことになっている。 あれは私がフランス王の母と交渉して、純粋に政治的な判断によって決めたことだ。 スレイマン様はそれに素直に従っただけなのに。 それなのに、いつのまにか“スレイマン大帝の慈悲”になっている。


「スレイマン様は、ムハンマドと同様、普通の人間です。そして、それを正しく受け止められる謙虚さがあります」

 謙虚さ……本人はそのように意識していないのだろう。 むしろ、そのようなことは考えず、無邪気に生きている。 私にはスレイマン様はぼんやりしているように見えるが、他の者には鷹揚で寛大だと映るらしい。

「なるほど……普通の人間であることを受け入れるということは、存外難しいということか。それができる君主 は名君で、臣下ならば賢臣、学者ならば智者ということか」

「はい」

 そう頷きながら思った。フランス王もそれができる人であると。言わなかったが。


「ならば、スレイマンには、その弱さを補うイブラヒム・パシャの強さが必要だと思うが?自分のことを厳しく評価しすぎでは?」

「そう言って頂ければ光栄です」


 それから私はしばし、フランス王と雑談をしてから、アンボワーズ城の客室に戻り、ぼんやりとスレイマン様 のことを考えた。 熱愛も葛藤も事実だ。 スレイマン様は出会ってからずっと私に纏わり付いて離れようとしない。 私の何がお気に召したかよくわからないが、初めて出会ったときから、アンカラ猫のような翆の目でじっと私を見ておられた。 私がスレイマン様に惹かれたのは、今フランス王に語った、人として必要な弱さゆえだろう。 その弱さを守ろうと、誰よりも私が側で守ろうと決めた17歳の冬。 守るのは私、愛するのは私。 例えスレイマン様が王になったとしても、私は王の寵愛を受ける臣下にはならない。


 王に愛された臣下は王の寵愛を失うことを恐れて生きなければならない。 だから、私はスレイマン様が纏わり付こうが離れようが、スレイマン様を愛し続ける。 王に愛されるのではなく、王を愛することで王よりも優位に立つ。 私は誰にも依存したくないし、自分の想定せぬことに振り回されたくもない。


 やはり、ムハンマドと猫のあの話だ。 あの話の猫とは、“想定していなかった事態”でもある。 ムハンマドは出かけるつもりでいた。しかし、猫が膝に乗るという不測の事態(と言えば大げさだが)のため に予定を変えた。 私は…私ならどうするだろう。私もムハンマドと同じくらいに猫が好きだ。 しかし私ならば、友人との約束を守るだろう。 それは、猫と友人のどちらが大切かということではない。 私には、“私が決めたこと”が一番大事なのだ。 もし初めから猫の世話をして過ごすと決めていたならば、後から誘われても出かけないだろう。


 結局、スレイマン様に対してもそうなのだ。 始めに私が決めた。私が愛するのだと。 だからスレイマン様は私に愛され守られるべき者でならねばならないし、 同時に“スレイマン大帝”、そのように呼ばれる偉大なお方でなければならない。 つまり、私の制御可能な範囲で偉人になれと。 我ながら勝手なものだ。


 長らく大人しく私に従っていたスレイマン様も、近頃、私に抗おうと何やら画策している。 だがそのやり方があまりに中途半端で、こちらが心配になるくらいだ。 私の支配から本当に解放されたいのなら、私を切り捨てるしかないのに。 半端に私の力を削いで、そのまま私を繋ぎ止めようとする。 皇帝と大宰相という関係でそのようなことが成り立つはずがない。 まあ、それがスレイマン様の弱さで、愛すべき点なのだろう。


 しかし私は自分の運命をスレイマン様にも、神にすら委ねたくない。 私たちの関係は私が決める。 終わらせるなら、私が終わらせる。


 フォンテーヌブローか。 見栄っ張りなフランス王の新しい城とはどのようなものだろう。 取りあえず、見たままをスレイマン様に伝えよう。 きっと、対抗してスレイマニエ・ジャーミーの建造に躍起になるだろう。 大人げない人達だ。 そして、愛すべき人達だ。

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