初めての街で

見月 知茶

初めての街で

 何度訪れても東京駅の人の多さには驚かされる。

 聞き慣れないイントネーションで話している家族、どこの言葉だろうかアジア系とおぼしき観光客の集団の横を通り過ぎ、学生達の黒っぽい群れを遠巻きに眺めつつ外に出る。


 夕日に映えるレトロな駅舎は古めかしく美しいのに、目の前を通り過ぎる人々はあまりにせわしない。

 スマホを見ながら歩く女子高生、電話で話しながら大股で去っていくサラリーマン。

 どれもこれも、つい半日前までいた故郷の長閑な光景とは大違いだ。



 引越しを手伝ってくれた家族を見送り、今日から東京での生活が始まる。

 仕事へ行く人、学校から帰る人、首都へ来る者、故郷へ帰る者…多くの人々が行き交うこの駅なら、1人ぐらい知り合いがいてもおかしくなさそうだけれど、きっと気づくことなくすれ違ってしまうのだろう。


 駅舎の中に戻って、アパートの最寄り駅までの電車を待つ。

 エレベーターは混んでいるから、階段で行こう。

 1週間後の入学式までに慣らそうと思って履いてみたパンプスはつま先に圧がかかって履き心地が悪い。


 次の瞬間、慣れないヒールが滑って階段から外れた。

「危ないっ!」

 左腕を引っ張られる感覚に顔を上げれば、垢抜けたスーツ姿の女性。


「だいじ?ぎこちない歩き方だなーと思ったから気になったんだけど、その靴、サイズ合ってないよね」

「だいじです。ありがとうございます。」


 聞かれて言葉に反射的に答えたら、少しイントネーションが妙だったかもしれない。

 すると目の前の人は目を丸くして「あなたも栃木出身?」と尋ねた。


「咄嗟に言っちゃったけど、『だいじ?』なんて、栃木弁だから伝わらないかなーって思ったのに…心配いらなかったみたい」


『大丈夫』を意味する『だいじ』という言葉は、確かに栃木の方言だと聞いたことがある。

 あまりに馴染みすぎて、方言であることを忘れがちであったが…


「私も最初はよく転んだけど、そのうち慣れるよ。あ、でも、緩めだから中敷きとか入れた方がいいかも」

「はい、ありがとうございます」


 にっこりと笑うと、彼女は歩き去っていった。

 故郷の言葉を聞きに駅に行く。

 かつて文豪が残した言葉にそんなようなことがあったはず。

 今でもそんなことができるなんて、半日前の私には想像出来なかっただろう。


 故郷とは比べ物にならないほど混みあった車両に乗り込むと、あまたの星の代わりに都会のビル群が夜の街を照らしていた。

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初めての街で 見月 知茶 @m_chisa

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