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「宿舎長さーん」


 生後4日でまさかの騎士になってしまったティアは、ここ最近お菓子作りに嵌っている。

 見習いの訓練で体は疲れているだろうに、ちょっとした時間を見つけては宿舎の厨房へ駆け込むのだ。1人で行動しない、という約束など見習いになった直後に勝手に破棄された。


 確かに変身してしまえば小柄な見習い女性騎士にしか見えない。行動を制限するのはおかしな話だと分かっているのだが、そうはいっても妖精族である。

 希少性は変わったわけではないし、好奇心旺盛な性格もそのままだ。というか、日が経つに連れて妖精族らしくなっていると思う。


 最初から不安に思っていたが、警戒心がとにかく薄い。結希の頃はそんなことはなかったのだが、今は彼女自身が少しでも「いい人」「優しい人」と感じてしまうとすぐに懐いてしまうのである。

 …つまりちょっと親切にすれば、簡単に騙せてしまうし、連れ去れる。本人は危険だと感じていないのだから妖精族の姿隠しも使われない。


 そんな調子だからこそか、私だけではなく多くの者が心配し、近衛隊の者たちを中心に「スノーティア護衛係」が発足していた。言い出したのはシアンである。


「お、スノーティア。今日は変身してないのか」


 事務所のカウンター上でカルヴァッド長を呼び出したティアは、目当ての人物がやって来ると嬉しそうに笑った。


 カルヴァッド長は強面の竜人である。過去、近衛隊長として騎士団で腕を揮っていた。私とシアンが近衛隊に移動した当時がそうだ。

 体も声も大きいカルヴァッド長は、女性や子どもに怖がられる傾向がある。彼は小さいものや可愛いものが好きなため、子どもに逃げられるとよく寂しそうな空気を醸し出していた。

 彼がティアとの初対面時、狼狽えていたのはそれが原因である。この人は初対面の子どもから好かれた経験がないのだ。

 自分の子どもからも、ある程度大きくなるまでは怖がられていた過去を持つらしいので。


「うん、今日はね届け物のついでに、宿舎長さんにお願いがあって、小さくないと困るんだー」

「届け物とお願い?」

「エルくん」


 ティアに呼びかけられて、私はここまで運んだ小袋をカウンターに置いた。


「これ、今開発中のお菓子なの! 宿舎長さん、甘すぎるのはダメだけど食べられないわけじゃないって聞いて。味見してほしいの」

「菓子か…。まぁ、得意じゃないがフェアルほどでもねぇか…。お願いってのはそれか?」

「ううん。こっちはついでなの。あのね、宿舎長さん、右肩の治療をわたしにさせて下さい」


 カルヴァッド長の引退は、陛下の地方視察の際に起こった暗殺事件に関係する。幸い陛下は守れたし騎士に死者は出なかった。だが、そこで使用された魔獣──使役魔法で服従させられた獣だ。魔力を持たない獣でも使役されると術者の魔力によって魔法を使えるようになる──によって右肩を粉砕されたカルヴァッド長は重傷だった。


 竜人族の医術師によって治療を施されたが以前のようには戻らず、惜しまれながら騎士を辞したのである。それからはこうして男子宿舎の宿舎長として働いていた。


 その話をティアは午前の座学で聞いたらしい。午後、厨房が落ち着いた時刻に駆け込んだ彼女はお菓子を用意し、勤務時間が終わるのを待ってから私に強請った。「宿舎長さんにお菓子の味見と、肩の治療をお願いしたいの。エルくん、事務所に連れて行って」と。


「あー…コレか。やりたいなら構わねぇが、上手くいかなくても落ち込むなよ。それが条件だ」

「うん、大丈夫! わたしの魔法すごいからきっと治るよー」

「…条件聞いてたか…」


 早速肩に乗せて、と両手を上げているティアは自由だ。人の話を聞いているようで聞いちゃいない。


 カルヴァッド長の右肩に乗せられたティアはそれから暫く黙り込んだ。すぐに治療魔法を使わないということは患部の状態から確認を始めたのだろう。


「──ふむふむ。うん、じゃあ宿舎長さん、魔法かけるねー!」


 そして軽く声をかけたと思ったら。


「[な~お~れ~]」

「……」


 なんとも気の抜ける、本人曰くの詠唱が零された。魔法に詠唱はいらないと言っても「それじゃつまんない!」と不満を言う。

 だが語彙力もあまり豊富ではないティアが考えた詠唱とやらをこうして聞かされると、毎回ため息が零れた。それは詠唱なのかとつっこんでいいものやら。日本語になっているだけそれらしくしようと努力しているのは感じられるが。


 因みにこの詠唱を唱えるたびに、ティアは唇を尖らせて「何か違う…」と言っているのも知っている。それなら止めればいいのに、と言ってやるべきだろうか。


 本来であれば隙をつくることになる詠唱を止めさせるのが指導者としては正しいのだが、私を含めて周りが放置しているのは、詠唱を口にする前より先に魔法が既に発動しているからである。

 つまり、今「治れ」と言っていても既に治っている。


「──宿舎長さん、どう~?」


 期待に顔を輝かせるティアの前で、カルヴァッド長は右肩を数度回してみせた。怪我を負ってからそうすることさえ難しかったのだ。


「……動く」


 信じられない、とその表情が語っていた。


 残ってしまった後遺症を彼は気にしていないようにこれまで振る舞い続けていた。「命があるだけで幸せだ」と。

 確かにそうだろう。右肩だけではなく全身に怪我を負っていたのだ。生きていられただけで幸運だった。けれど、生きがいであった剣を満足に扱えなくなって平気であるわけがない。


「んふふ~。これでまた剣が持てるね! 宿舎長さんは団長さんより強かったって聞いたの。わたし、団長さんと宿舎長さんの試合が見てみたいな」

「…ははっ…。スノーティアは、本当に…そんな小せえくせに規格外だな…」

「小さいは余計なの」


 ムッと不機嫌さを表してから、ティアは私に向かって手を伸ばした。治療が終わったから戻るという合図だ。

 ティアを回収していつも通りに私の肩に乗せる。


「宿舎長さん、わたしのお願い聞いてくれてありがとう!」

「──いいや。俺の方が礼を言うべきだろ。スノーティア、ありがとう。まさかもう1度剣を握れるようになるとは思ってなかった。本当に、感謝する。…団長と試合するにゃ、鍛え直さなきゃならねぇから今すぐには無理だ。悪いな」

「ううん。分かってるから大丈夫! いつか見せてくれたらいいの」

「ああ。約束するぜ」


 カルヴァッド長の肩がスノーティアの魔法によって完治したことは、翌日には知れ渡っていた。原因は夜、訓練所に彼が現れて自主練していた騎士数名を叩きのめしたせいである。



「あっ! エルくんどうしよう。宿舎長さん、肩が治ったから騎士に復帰するのかな。そしたら宿舎からいなくなっちゃう!」

「…ティアは女子宿舎だからこれまでもそれほど関わってないだろう?」

「エルくんの部屋に行く時はよく宿舎長さんと挨拶してるから無関係じゃないもの。宿舎長さんいなくなっちゃうと寂しいなぁ」

「…だが、治したかったんだろう? それとも後悔してるのか」


 私が意地悪く聞くと、肩に座るティアは「むぅ」と唸ったあと、パタパタと足を揺らした。踵が数回当たるが、全く痛まない。


「してないもん」

「──もし騎士に復帰することになっても、永遠の別れではないんだ。転移門もある。会おうと思えば会えるのだから、寂しがる必要はないさ」


 そう言ってティアを乗せていない右側の手で軽く頭を撫でてやれば、途端に彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「そうだよね。転移しちゃえば一瞬だもんね!」

「念の為に言っておくが、転移魔法で勝手に出かけないように」

「しないよ!? この姿じゃないと魔法使えないし!」


 ティアの言うことは尤もなのだが、どうも信用しにくい。後先考えずにやらかすことがあるからだろうな、恐らく。


「…転移先で変身すればいい、と出かけて行きそうな気がするが、しないな?」

「ねぇエルくん。最近思うことがあるの。私に対する信用度が低くないかな?」

「話をそらすな」

「しないってばー! 変身したら素っ裸だよっ。わたし露出狂じゃない!」

「着替えを持って…」

「少しは信じて!?」



 結局、カルヴァッド長は復職しなかった。彼曰く「剣なら訓練所で揮えるからな。後進を育てるのも悪くねぇだろ」とのことだ。それを聞いたらしい騎士たちが顔を青くさせていた。


「宿舎長さんから剣を教えてもらえるの? わたしも参加してみたい!!」


 と約1名、目をキラキラさせているどこかの妖精もいたが。


 ティア、お前には無理だ。諦めてくれ。

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その日わたしは、 志希 @nsara_mmoe

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