第3話

 いつもの平和な日常を過ごしたある日の夜、僕は外の騒がしさに目を覚ました。普段、ココ村での夜は虫とフクロウの鳴き声のみが響く。それなのに今夜は人の声がたくさんする。しかも、悲鳴ばかりだ。


 僕は何が起きているのか父さんたちに聞こうと部屋の外へ出ると、階下から母さんの悲鳴と、気味の悪い笑い声、そして父さんの嘆く声が聞こえた。


「母さん……このっ」


「っと。危ないなぁ、おっさん!」


「ぐあっ」


 父さんの悲鳴と共に倒れこむ音が聞こえた。おそらく、父さんもやられてしまったのだろう。


 父さんがやられてしまった。次は僕だとすぐにわかった。


 何人いるかは分からないけれど、すぐに階段を上ってきて、僕を殺すだろう。


 ――死にたくない


 ただそう思った。けれど、僕には力がない。相手はおそらく大人。対して僕は子供だ。単純な力勝負では敵わないし、武器もない。


 この状況から逃げ出すために浮かび上がってきた考えの結末はどれも死だろう。走って逃げても追いつかれるだろうし、隠れても、外の明るさから察するにこの家にも火がつけられて終わりだ。


 まともな考えが全く浮かばない。突然の事で驚きや死への恐怖が強すぎて、何をやってもダメだと、悪い方へと考えが行ってしまう。


 ――どんな状況でも冷静に、だ


 以前、授業で作った塗り薬を見て、神父様の言葉が浮かび上がった。


 授業で火が勢いよく燃え上がり、みんなが混乱していた時、神父様が言っていた言葉だ。


 その言葉を思い出した瞬間、慌てて混乱していた僕の頭は一気に冷え、悪い方へと考えが行くのが止まった。


「隠れるのも無駄………火?そうだ、火をつければ!」


 僕はすぐにマッチをこすって火をおこし、床や棚、ベッドに投げた。


 火は一気に燃え上がり、いろいろな場所に燃え移っていった。


 僕は生じた煙を階下に行くように仰いだ。すると、下が騒がしくなり、玄関の方へ行く足音が聞こえた。


 少ししてから、僕はゆっくりと階段を下りて行った。ちゃんと神父様に教わった通り、口元に濡れた布を当てながらだ。こうしないと死んじゃうそうだ。


「父さん、母さん」


 僕の呼びかけに応える声は無く、部屋には壊れたテーブルと血をたくさん流して倒れている父さんと母さんがあった。


 七年間生きて、死体はいくつも見た。でも、人の死体だけは見たことが無かった。


 呆然とし、膝から崩れ落ちた。父さんたちが倒れていることにもそうだが、何よりも、自分があまり悲しんでいないことに驚いてしまった。


 自分に対して怒り、今すぐにでも殴りたくなってくるが、火が迫ってきている。


そんな暇がない事は恐ろしいほど冷静な頭が理解していた。


「早く家から出なきゃ」


 家を出て、そして僕は見た。


 家を燃やして夜空を赤く照らす炎。倒れている死体から流れて道を赤く染め上げる血。畑にも火が燃え移っていて、土の色が見えず、そこも赤だった。


 僕の知る、平和で静かな村が、赤く燃え上がっていた。どこに目を向けても炎による赤か、血による赤が映り込み、どこにも僕の知る村の姿は無かった。


 神父様は言っていた。死後、悪いことを行った人が行く地獄とは恐ろしく、そして赤で染まった世界だろうと。


 今、僕の目に移っている景色はなんだ?僕はまだ死んでいないぞ。ここは死後の世界ではないはずだ。


「はは、地獄は死後ではなく、生きている時に、しかも、悪人ではなく、僕のような普通の人が見るんだな」


 これが、生存競争に負け、それでも生きている人が見る景色。どこにも慈悲は無く、ただただ、自分の無力さを見せつけられるだけ。目の前で自分の日常が壊されていても、何もできず、呆然と見ていることしかできない。


「……僕は、勇者でも、英雄でもない。ただの農民だ」


 だから仕方がない。勇者や英雄のような物語の主人公なら、今この瞬間、力に目覚めて、今も笑いながら破壊を続ける人たちを倒すべく立ち上がるだろう。


 だけど、僕にはそんな眠っていた力はなかったようだ。



 一通り破壊したからか、それとも楽しんだからなのかはわからないけれど、僕の日常を壊した悪魔どもは去っていった。僕は偶然、見つからなかったけれど、いっそのこと殺してくれた方が良かったかもしれなかった。あの地獄を見続けるよりはマシだろうから。


 この日、僕は自分以外の大切な物すべてを失った。

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人魔対戦 @watashihadaredesuka

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