第2話 日常
僕の生まれた村はココ村という、マケドニア王国の端っこも端っこにある辺境の村だ。周りには何もない。馬で十分ほどしたところには森があるが、狩人でもない僕にはほとんど関係がない。
ただ、村自体は大きい。まぁ、人が多いという訳ではなく、畑や家畜のための小屋が大きいだけだ。何もない所為か、街や他の村も近辺には無い。そのため、土地はあまりに余っている。だから昔から少しずつ広げていって今に至るらしい。
この村には娯楽というものは殆どない。あっても子供たちと一緒に駆けずり回ったり、神父様の話を聞くことくらいだ。
そう、この村にはおかしなことに神父様がいる。神父様曰く、本来、神父様は大きな街や街に近い村にしかいないらしいのに、だ。それだというのに、この村にいる神父様はわざわざこの辺境の村にやってきて、村のみんなと一緒に畑仕事を行っている。片手間に子供たちの相手をしてくれるのだ。
以前、なんで来たのかを尋ねたら、
「疲れを癒しにね」
と、刈り入れが終わった後の父さんみたいな顔をして言った。何かあったんだろうけど、正直どうでもいい。神父様がここに来てくれたおかげで村が少し豊かになったから、それだけで神様に感謝だ。
そんな村での僕の一日は、朝の水くみから始まる。
早朝、それもまだお日様が上ったばかりの時間だ。春とはいえ、まだ寒い。僕は軽く体を動かしてから井戸に向かい、水を汲んだ。桶いっぱいに入れ、転んで溢さない様に注意して歩く。
家と井戸を五回ほど往復してやっと水くみは終わった。けれど、休んでいられない。
牛舎に向かい、牛に餌をあげ、牛舎の掃除をし、お乳を搾る準備をした。掃除が終わったころに父さんがやってきて、牛のお乳を搾り始めた。
僕は慣れた手つきでお乳を搾る父さんに聞きたかったことを尋ねた。
「父さん」
「なんだ」
「神父様が言ってたんだけどね。こんな辺境にある村に牛や鶏、豚がいるのはとても珍しい事なんだって」
「それがどうした」
「いや、なんでこの村にはあるんだろうなって」
僕が聞くと、父さんは手を止めずに一言、知らんとだけ言った。当然だった。父さんが生まれた時にはもう村は今くらいの大きさだったらしい。知らなくて当たり前だと思った。
「そんなことよりも手を動かせ」
「うん」
僕は父さんに言われた通り、牛のお乳を搾っていった。
僕の家は他の家と違って牛しかいなく、さらに牛の数もたくさんという訳ではないので、乳しぼりはすぐに終わった。
家に戻り、手を洗ってからテーブルに着く。テーブルの上にはいつも通り、牛乳と野菜のスープ、そして堅パンがあった。
「相変わらずこのパン堅いね」
「スープでふやけさせろよ。じゃなきゃ歯がかける」
「……嘘だよね?」
「ロク爺さんの歯が欠けてるのはそれの所為だ」
「…………」
いつも通りの無表情でさらっと言った父さんの顔はいつもより青い気がした。初めて堅パンに恐怖を感じた。
「早く食べなさい。今日も忙しいんだから。メルク、これ食べたら洗濯手伝って」
「わかった」
母さんは呆れながらいつものセリフを言い、最後に手伝いを言い渡して朝食を再開した。
それから歯が欠けることなく朝食を食べ終え、僕は家の裏手に向かった。裏手にはすでに母さんが洗濯を始めていて、僕も黙って加わった。
洗濯物は衣服に始まり、タオルや雑巾などだ。方法は石鹸の実という、こすると泡が出て、汚れを落とす木の実を使って、ひたすら木でできた洗濯板にこすりつける。結構大変だけど、神父様が来る前は石鹸の実が無かったらしく、もっと大変だったらしい。本当に神父様には感謝してもしきれない。
「こっちの分は終わったから、神父様のところに行くね」
「神父様に失礼が無いようにね」
僕は家を出て、神父様の家に向かった。別にお話を聞きに行くわけではない。神父様は今年で六十七歳と、とってもお爺ちゃんだから、お世話しに行くのだ。お世話の内容は畑仕事を手伝ったり、重たいものを持ってあげたりといろいろだ。
「神父様―、僕です。メルクです」
「メルクか、開いているから入って来なさい」
家に上がり、部屋に入ると、神父様が丁度、朝食を食べようとしていた。朝食の内容は僕の家と同じだけれど、量は少しだけ少ない。
「今日を生きる糧を与えてくださった神フレイヤと神ヴォールスに感謝を」
神父様は祈りの言葉を言ってからゆっくりとした動作で食べていった。
神フレイヤとは、豊穣の神の事だ。神ヴォールスは家畜の神。僕の家も、この村のみんなも、神父様も同じ宗教だ。名前は確か、創生教だった気がする。正直、宗教名はどうでもいいから覚えてない。
創生教は多神教というやつらしく、神様がたくさんいる。創造神を大いなる父とし、いろいろな神様がいる。僕の村でよく聞く神様は、豊穣の神フレイヤ、家畜の神ヴォ―ロス、夜の神ニュクスの三柱ぐらいだが、神父様曰く、実際はもっとたくさんいるらしい。教会の人たちはみんな覚えるのかな。
「ねぇ神父様」
「なんだい、メルク」
「なんでご飯を食べるとき、神様に祈りをささげるの?」
「これまた変なことを聞くなぁ」
僕の質問に神父様は困った子供を見るような優しい目で僕を見た。神父様が白いあごひげをさすりながら、僕の質問に答えてくれた。
「我々が食べておる作物はすべてフレイヤ様から授かった物なのだ。牛乳は家畜の神たるヴォールス様からの贈り物。だから感謝する」
「でも、作物も家畜も、育てているのは僕たちだよ?神様は何もしてない」
「確かに。だがな、ヴォールス様がいなければ、そもそも家畜は存在せん。フレイヤ様が豊穣をつかさどっているからこそ、我々は作物を育てることができるのだ」
「うーん……つまりはきっかけをくれたから?」
「その通りだ。よくわかったな。賢い子だよ」
神父様がしわのある手を伸ばし、僕の頭を撫でた。神父様の撫で方は、やさしい感じがしてとっても気持ちがいい。おじいちゃんってこんな感じなのかな。
「さて、朝食も食べ終わった。メルク、畑仕事だ。手伝ってもらうぞ」
「うん。でも、昨日は雨が降ったよ?水やりはしなくていいんじゃないの?」
「私は神父だぞ?畑仕事と言っても小麦ではない」
神父様について行くと、畑に小麦ではない他の植物が生えていた。神父様は畑に入り、その植物の葉を一枚一枚丁寧に見て行った。
「神父様、この植物は何ですか?」
「これはポムだ」
「ポム?ポムって、塗り薬の?」
「そうだ」
僕はなんでポムを栽培しているのかわからなかった。確かに怪我をする人もいるけれど、大抵は神父様の使う
そんな僕の考えが伝わったのだろう。神父様が理由を教えてくれた。
神父様曰く、今は神父様のヒールで何とかなっているけれど、神父様が死んでしまった後はそういかない。それに、ポムは煎じ方などを変えれば、風邪薬にもなる万能の薬草らしい。だから、万が一に備えて育てているそうだ。
「みんなの事を考えての事だったんだね」
「私は神父だからね。みんなの事を考えるのは当たり前だ。ほら、メルトも歯を検査するのを手伝ってくれ。虫や変なものが付いていたら払い、虫食いがあるものはとってくれ。あと、少し黄色の混ざっている葉っぱがあったら根っこから抜いていい」
「わかったよ」
僕は神父様に言われた通り、ポムの葉を一枚一枚見て行った。時々ある虫食いのある葉をむしり、虫がついていたら払った。ただ、ナメクジは神父様に払ってもらったけど。
すべてのポムの葉を検査し終え、神父様と共に家に戻った。すでに日は高くなっていて、高さからもうすぐ授業の時間だと分かった。
「神父様、今日は何の授業をするんですか?」
「そうだな……ポムを使った薬の作り方でも教えるか。メルク、いったん自分の家に戻って使わなくなった鍋と太い棒を持ってきなさい」
「棒の長さは?」
「長くなくていい」
「わかった!またあとでね、神父様」
僕は途中にある家々に授業で持ってくるものを伝えながら走って家に戻った。家について物置から鍋と太い棒を掘り出し、走って神父様の家に向かった。戻ってくる時と違う場所を通って、そこでも持ってくるものを伝えた。こういう伝達役は神父様の手伝いをしている僕の役目なのだ。
神父様のところに戻ると、子供たちが鍋と太い棒を持って神父様と他のみんなを待っていた。
「神父様、全員連れてきました」
「わかった。それでは授業を始める。今日はポムを使った薬の作り方だ。覚えておけば何かと役に立つだろうから、ちゃんと聞くんだぞ」
「「「「はーい」」」」
子供たちの返事に神父様は大きくうなずき、授業に取り掛かった。
こうして今日も平和な日常が送られた。それは明日も当然続き、今後もずっと続くと誰もが信じていた。けれど、僕たちの祈りが足りなかったのか、そんな思いは突然、壊された。
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